これは
「円周率は無理数である」
という一言で片付くのであるが.
円周率の話題は今までもたくさん書いている.>サイト内の記事
円周率の計算記録が伸びるニュースが伝わると,「いつか終わるのだろうか」という素朴な疑問を持つ人もいるようだ.
もちろん,円周率は無理数なので,終わることはない.
実際の計算も,「無限に長い式」を途中で止めて,「今回は○桁」である.
そもそも,
「分数にならない実数を無理数という」
のであるから,無理数である円周率は分数にならないことも明らか.
さて,
「無理数ならば無限小数」
を示すことも,たやすいことである.
それはその対偶である,
「有限小数ならば分数(有理数)」
と同値だからである.
証明
小数n桁なら,分数の分母に$10^n$(0の個数がn個の100…0という数)をつかえば,分子も整数になる.
これは証明より,実例のほうが納得できる.
123.456789 という有限小数は
$\frac{123456789}{1000000}$
という分数(整数比)になるということである.
「有限小数ならば分数(有理数)」
が示されたのでその対偶
「分数(有理数)でないならば有限でない小数」
も正しい.ここで,
「分数(有理数)でない実数を無理数という.」
「有限でない小数を無限小数という.」
なので,言葉を置き換えれば,
「無理数ならば無限小数」
が言える.
ということで,円周率は無理数であることがわかっているので,分数で表すことができず,「無限小数」といえる.
同様に高校の教科書で,無理数であると証明している√2も無限小数である.
問題は円周率が無理数であることを証明すること.結構面倒だが,高校レベルの数学でできる.>参考サイト(PDF)
大阪大学の入試問題になった.>入試問題 大阪大学 後期4
さて,無限小数の中には,分数で表されるものもある.
つまり,無理数ならば分数にならないし無限小数だが,無限小数の中にも分数(有理数)がある.(正しい命題の逆が成り立つとは限らない)
1÷3 = 0.333・・・
1÷7 = 0.142857 142857 ・・・
分数には,このように循環する無限小数がたくさんあるが,逆に,循環小数はすべて分数(有理数)であるといえる(高校の数学III).たとえば,
0.5736866 5736866 5736866・・・= 5736866/9999999 = 1234/2151
のように必ずできる.>循環小数の話題
したがって,無理数である円周率や√2は,循環もしない無限小数といえるし,無理数なので分数にもならない.
さて,5736866/9999999 = 1234/2151 の約分はユークリッドの互除法を使う.>過去の記事
>くろべえ「互除法」関連の記事
ユークリッドの互除法
9999999 - 5736866 = 4263133
5736866 - 4263133 = 1473733
4263133 - 1473733 × 2 = 1315667
1315667 - 158066 × 8 = 51139
158066 - 51139 × 3 = 4649
51139 - 4649 × 11 = 0
より最大公約数 4649.
5736866 ÷ 4649 = 1234
9999999 ÷ 4649 = 2151
5736866 / 9999999 = 1234 / 2151
2007年1月5日金曜日
2009年2月16日月曜日
円周率と無限の感覚
以前,書いた記事で,
>円周率の計算記録が伸びるニュースが伝わると,「いつか終わるのだろうか」という素朴な疑問を持つ人もいるようだ.
と書いたが,
1÷3
に対して,「いつか終わるのだろうか」などと考える人はいない.
つまり,
1÷3 = 0.333・・・
は数字の並びを見ただけで,無限の感覚を持つことができる.
感覚的に無限が知覚できるのは,循環小数のほか
1,2,3,・・・
といった数の羅列とか,
「0以上1以下の実数は無限にある」
とか,いろいろあるだろう.
この「無限」の感覚が持てる・持てないの違いは何だろうか.
循環小数は
1÷7 = 0.142857 142857 ・・・
くらいでも,無限に繰り返しそうな感覚だが,
1÷61 = 0.016393442・・・
は循環節の長さが60桁もあるから,循環しないような気持ちになるかもしれない.
循環の長さが長いとき,「本当に循環するかな」という気持ちになるのは,その循環全体を瞬時に見渡せないからだろう.300桁くらい並べれば60桁の循環が納得できるだろうが.つまり,見渡せ得る循環小数には,無限を知覚させる力があるのだろう.
「有理数の無限小数は必ず循環する」というのは,論理の力でも,比較的簡単に納得できる.
>以前の記事
しかし,円周率が,「無限に循環することのない小数」であることは,感覚ではなく「論理の力」でしかわからないという点で,難しいかもしれない.
循環するなら,「無限にある」と思えるが,循環しない無限だと無限を知覚することができず,「もしかして・・・?」という気持ちになるのだろう.
もちろん,「無理数は無限小数」という論理に基づいた感覚があれば,円周率が無限小数であることは「感覚」である.
まず,
「有限小数ならば有理数である.」
これは感覚的にも明らかだろう.
0.1234 = 1234/10000
となるからである.
この命題の対偶は
「有理数でないなら,有限小数でない.」
ここは論理の力である.
「PならばQである」
が真ならば,その対偶
「Qでないならば,Pでない」
も真となる.
「有理数でないなら,有限小数でない.」
において,有理数でない実数は無理数といい,有限小数でない実数を無限小数というから,
「無理数ならば,無限小数である.」
といえる.
つまり円周率が無理数であることが言えれば,自動的に無限小数となる.
円周率が無理数であることは,結構面倒で,数IIIの微積分の知識の上に,「背理法」という論理の力が必要.
背理法は,数学Aの「√2 が無理数である」の証明に出てくる.これは有理数であると仮定したら矛盾が出ることにより,無理数であることを結論する.
論理記号で書けば,
「p→q」の否定は
「¬(p→q)」⇔「¬(¬p or q)」⇔「¬¬p & ¬q」⇔「p & ¬q」
より,「xが√2ならば,xは無理数」の否定は「xが√2 かつ xは有理数」となる.
円周率のときも同様に,円周率が有理数と仮定して,微積分の計算で矛盾を証明する.
>以前の記事
このように,無理数は循環しない無限小数なのであるが,それは数字の並びだけど見ただけでは確信することはできず,論理の力を信じるしかないのだ.
ちなみに「論理」とは,人間の言語の中に自然にあるもので,それによって会話なり,人間社会なり,科学が成り立っているものである.どこか遠いところにあるものではない.
>円周率の計算記録が伸びるニュースが伝わると,「いつか終わるのだろうか」という素朴な疑問を持つ人もいるようだ.
と書いたが,
1÷3
に対して,「いつか終わるのだろうか」などと考える人はいない.
つまり,
1÷3 = 0.333・・・
は数字の並びを見ただけで,無限の感覚を持つことができる.
感覚的に無限が知覚できるのは,循環小数のほか
1,2,3,・・・
といった数の羅列とか,
「0以上1以下の実数は無限にある」
とか,いろいろあるだろう.
この「無限」の感覚が持てる・持てないの違いは何だろうか.
循環小数は
1÷7 = 0.142857 142857 ・・・
くらいでも,無限に繰り返しそうな感覚だが,
1÷61 = 0.016393442・・・
は循環節の長さが60桁もあるから,循環しないような気持ちになるかもしれない.
循環の長さが長いとき,「本当に循環するかな」という気持ちになるのは,その循環全体を瞬時に見渡せないからだろう.300桁くらい並べれば60桁の循環が納得できるだろうが.つまり,見渡せ得る循環小数には,無限を知覚させる力があるのだろう.
「有理数の無限小数は必ず循環する」というのは,論理の力でも,比較的簡単に納得できる.
>以前の記事
しかし,円周率が,「無限に循環することのない小数」であることは,感覚ではなく「論理の力」でしかわからないという点で,難しいかもしれない.
循環するなら,「無限にある」と思えるが,循環しない無限だと無限を知覚することができず,「もしかして・・・?」という気持ちになるのだろう.
もちろん,「無理数は無限小数」という論理に基づいた感覚があれば,円周率が無限小数であることは「感覚」である.
まず,
「有限小数ならば有理数である.」
これは感覚的にも明らかだろう.
0.1234 = 1234/10000
となるからである.
この命題の対偶は
「有理数でないなら,有限小数でない.」
ここは論理の力である.
「PならばQである」
が真ならば,その対偶
「Qでないならば,Pでない」
も真となる.
「有理数でないなら,有限小数でない.」
において,有理数でない実数は無理数といい,有限小数でない実数を無限小数というから,
「無理数ならば,無限小数である.」
といえる.
つまり円周率が無理数であることが言えれば,自動的に無限小数となる.
円周率が無理数であることは,結構面倒で,数IIIの微積分の知識の上に,「背理法」という論理の力が必要.
背理法は,数学Aの「√2 が無理数である」の証明に出てくる.これは有理数であると仮定したら矛盾が出ることにより,無理数であることを結論する.
論理記号で書けば,
「p→q」の否定は
「¬(p→q)」⇔「¬(¬p or q)」⇔「¬¬p & ¬q」⇔「p & ¬q」
より,「xが√2ならば,xは無理数」の否定は「xが√2 かつ xは有理数」となる.
円周率のときも同様に,円周率が有理数と仮定して,微積分の計算で矛盾を証明する.
>以前の記事
このように,無理数は循環しない無限小数なのであるが,それは数字の並びだけど見ただけでは確信することはできず,論理の力を信じるしかないのだ.
ちなみに「論理」とは,人間の言語の中に自然にあるもので,それによって会話なり,人間社会なり,科学が成り立っているものである.どこか遠いところにあるものではない.
2021年7月3日土曜日
チコちゃんで円周率
「円周率がずっと続くのはなぜ?」
「円の長さを正確に測るのは本当に無理だから」
アルキメデスによる正96角形による近似、1600年にルドルフ・ファン・コーレンの正461京角形を使った近似といくらでも近似できるが、それでも円の長さは正確に測れない。
ということは、円周率は終わらない。
という簡単な説明。
論理の力による証明は強力だが、そういうことに不慣れな人に「腑に落ちた」と思ってもらうには、正多角形の説明はいいな。
正461京角形とは正$2^{62}$角形ということ。 $2^{62}$は 461京1686兆184億2738万7904 という数だが、正方形から角の2等分を繰り返した図形でなので、ルートを使って長さをいくらでも計算できるのである。
論理なら、
「無理数は無限小数である。」
「円周率は無理数である」
ゆえに、「円周率は無限小数である。」
という3段論法。
円周率が無理数である証明は、大学入試問題になる程度の高校数学である。>以前の記事
ときどき大学入試で
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}+\frac{1}{9}-\cdots = \frac{\pi}{4}$
を求めさせる問題が出る。>以前の記事
つまり
$1-\frac{1}{3}=\frac{2}{3}$
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}=\frac{13}{15}$
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}=\frac{76}{105}$
分子も分母も限りなく大きくなる。つまり、有理数ではないから無理数といえて、無限小数である。
「円の長さを正確に測るのは本当に無理だから」
アルキメデスによる正96角形による近似、1600年にルドルフ・ファン・コーレンの正461京角形を使った近似といくらでも近似できるが、それでも円の長さは正確に測れない。
ということは、円周率は終わらない。
という簡単な説明。
論理の力による証明は強力だが、そういうことに不慣れな人に「腑に落ちた」と思ってもらうには、正多角形の説明はいいな。
正461京角形とは正$2^{62}$角形ということ。 $2^{62}$は 461京1686兆184億2738万7904 という数だが、正方形から角の2等分を繰り返した図形でなので、ルートを使って長さをいくらでも計算できるのである。
論理なら、
「無理数は無限小数である。」
「円周率は無理数である」
ゆえに、「円周率は無限小数である。」
という3段論法。
円周率が無理数である証明は、大学入試問題になる程度の高校数学である。>以前の記事
ときどき大学入試で
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}+\frac{1}{9}-\cdots = \frac{\pi}{4}$
を求めさせる問題が出る。>以前の記事
つまり
$1-\frac{1}{3}=\frac{2}{3}$
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}=\frac{13}{15}$
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}=\frac{76}{105}$
・・・
$1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\cdots-\frac{1}{99}=\frac{850151369116051611488718369170287588082}{1089380862964257455695840764614254743075}=0.78039866...$
分子も分母も限りなく大きくなる。つまり、有理数ではないから無理数といえて、無限小数である。
2004年11月16日火曜日
円周率と自然対数の底
円周率>関連記事
3.1415926535897932384626433832795028841971
まで覚えている.約40桁
この桁数を覚えている理由は,ドラマーの小山彰太の曲で「円周率」というのが,この桁数を使ったから.
「ミードファードソ,れー・・・」
音の長さを「-」で書いて,休符を「,」にすれば
3-14-15,9---,,,2653589793----,,,,23846264338-3279-5,,,,02884-1,9-71
リズムなしのジャズ「フリースタイル」というやつ.山下洋輔トリオの「レコード」に収録されている.
小山彰太の本にコンピュータ和歌というのがあったな.せっかくだから,ここで一句.
「01101 0101011 11010 1001001 1010111」
うーん.残業で居残りしながらブログを書く気持ちの哀愁がよく込められたと思う.(^^;)
円周率は,まぁ,普段の計算では 3+消費税 と思っている.
つまり直径150の円周は3倍して450に消費税を加えて470ちょっと.
40桁どころか3.14すら使わない.
これで十分.
円周率のような数に,(1+1/n)^n の極限として定義される自然対数の底という数がある.
e=2.7182818284590・・・
これはこの桁数しか覚えていない.それは次のギャグが理由.
π君とe君が麻雀をやっている.
親のπ君の配牌は
31415926535897
の14枚,つまり 11233455567899
なので,3 を切れば,11,234,555,678,99 の 1,9 のシャンポン待ち.
e君の配牌はもちろん
2718281828459
の13枚.次の桁は「0」だから麻雀牌にはならない.
これは
11,222,45,789,888
で,3,6 の両面待ち.
そして,πが 3 を振り込んで「和了!」で役満「人和」が完成する.
ということで e は 2.7182818284590 しか覚えていないのだ.
3.1415926535897932384626433832795028841971
まで覚えている.約40桁
この桁数を覚えている理由は,ドラマーの小山彰太の曲で「円周率」というのが,この桁数を使ったから.
「ミードファードソ,れー・・・」
音の長さを「-」で書いて,休符を「,」にすれば
3-14-15,9---,,,2653589793----,,,,23846264338-3279-5,,,,02884-1,9-71
リズムなしのジャズ「フリースタイル」というやつ.山下洋輔トリオの「レコード」に収録されている.
小山彰太の本にコンピュータ和歌というのがあったな.せっかくだから,ここで一句.
「01101 0101011 11010 1001001 1010111」
うーん.残業で居残りしながらブログを書く気持ちの哀愁がよく込められたと思う.(^^;)
円周率は,まぁ,普段の計算では 3+消費税 と思っている.
つまり直径150の円周は3倍して450に消費税を加えて470ちょっと.
40桁どころか3.14すら使わない.
これで十分.
円周率のような数に,(1+1/n)^n の極限として定義される自然対数の底という数がある.
e=2.7182818284590・・・
これはこの桁数しか覚えていない.それは次のギャグが理由.
π君とe君が麻雀をやっている.
親のπ君の配牌は
31415926535897
の14枚,つまり 11233455567899
なので,3 を切れば,11,234,555,678,99 の 1,9 のシャンポン待ち.
e君の配牌はもちろん
2718281828459
の13枚.次の桁は「0」だから麻雀牌にはならない.
これは
11,222,45,789,888
で,3,6 の両面待ち.
そして,πが 3 を振り込んで「和了!」で役満「人和」が完成する.
ということで e は 2.7182818284590 しか覚えていないのだ.
2015年12月19日土曜日
数学のイベント
一般向けの数学のイベントに参加してきた.
講師は飯高先生.ラマヌジャンの話題を中心に.
最後の質問コーナーもいろいろ出てきて面白かった.
「4万キロに赤道にベルトをつけて,そのベルトを2πフィート長くすると,地球との間に1フィート隙間ができる」
ラマヌジャンの家庭教師時代のエピソードの中の話題だが,そんなに隙間が空く理由がわからないとの質問.
「地球などというから,話が見えなくなる.半径rの円周は 2πr.半径を h 大きくし,半径 r+h の円周は 2π(r+h)
円周の差は 2π(r+h)-2πr は 2πr が消えて,残りは 2πh.これが抽象・数式の力.」
「lim_x→0 x/x の極限は 0÷0 となるのでは」
「x→0 というのは,x≠0 を仮定しているから,x≠0 のとき x/x=1で, 1 の極限はいつも 1」
とバッサリ.
「円周を直径で割ったのが円周率で,巻き尺で円周を測り,物差しで直径を測って計算してもそんなに桁数が正確といえないのでは」
ラマヌジャンの発見した,円周率を表す収束の速い級数に関しての質問だろう.
一般の人の素朴な疑問だろうな.
「どんな大きさの円でも成り立つのは不思議といえば不思議.それを相似ということで数学は片付けてしまう」
ライプニッツやマチンやラマヌジャンの公式が,円周率を表すというのは,別に証明されていることで,実測とは無関係.
「紀元前1年の・・・」
「暦の話は,天文学の木下先生に訊いて.」
「ゼータ関数,
ζ(2) = 1 + 1/2^2 + 1/3^2 + ・・・=π^2/6 >以前の記事「sin の因数分解」
ζ(4) = 1 + 1/2^4 + 1/3^4 + ・・・=π^4/90
と偶数の時はわかっているけど,
ζ(3) = 1 + 1/2^3 + 1/3^3 + ・・・
などは,どうなんですか.」
「ζ(3)が無理数だというのは証明できているが,閉じた式は求められていない.
ζ(5)などは全く謎.
ζ(3) に一生をささげた人もいたようだけど,数学者はそんなできない問題はやらない.
できる問題だけ相手にする.」
高校生も数名来ていて,先生の著書をもらっていた.
講師は飯高先生.ラマヌジャンの話題を中心に.
最後の質問コーナーもいろいろ出てきて面白かった.
「4万キロに赤道にベルトをつけて,そのベルトを2πフィート長くすると,地球との間に1フィート隙間ができる」
ラマヌジャンの家庭教師時代のエピソードの中の話題だが,そんなに隙間が空く理由がわからないとの質問.
「地球などというから,話が見えなくなる.半径rの円周は 2πr.半径を h 大きくし,半径 r+h の円周は 2π(r+h)
円周の差は 2π(r+h)-2πr は 2πr が消えて,残りは 2πh.これが抽象・数式の力.」
「lim_x→0 x/x の極限は 0÷0 となるのでは」
「x→0 というのは,x≠0 を仮定しているから,x≠0 のとき x/x=1で, 1 の極限はいつも 1」
とバッサリ.
「円周を直径で割ったのが円周率で,巻き尺で円周を測り,物差しで直径を測って計算してもそんなに桁数が正確といえないのでは」
ラマヌジャンの発見した,円周率を表す収束の速い級数に関しての質問だろう.
一般の人の素朴な疑問だろうな.
「どんな大きさの円でも成り立つのは不思議といえば不思議.それを相似ということで数学は片付けてしまう」
ライプニッツやマチンやラマヌジャンの公式が,円周率を表すというのは,別に証明されていることで,実測とは無関係.
「紀元前1年の・・・」
「暦の話は,天文学の木下先生に訊いて.」
「ゼータ関数,
ζ(2) = 1 + 1/2^2 + 1/3^2 + ・・・=π^2/6 >以前の記事「sin の因数分解」
ζ(4) = 1 + 1/2^4 + 1/3^4 + ・・・=π^4/90
と偶数の時はわかっているけど,
ζ(3) = 1 + 1/2^3 + 1/3^3 + ・・・
などは,どうなんですか.」
「ζ(3)が無理数だというのは証明できているが,閉じた式は求められていない.
ζ(5)などは全く謎.
ζ(3) に一生をささげた人もいたようだけど,数学者はそんなできない問題はやらない.
できる問題だけ相手にする.」
高校生も数名来ていて,先生の著書をもらっていた.
2009年8月20日木曜日
円周率,桁数更新
このニュースのあと,質問サイトを見るといろんな質問が出てくる.
>「そんなに求めて,何になる?」「実際何桁まで使う?」
実際に工学で使うのは,有効数字5,6桁くらいまでだろう.3.14159
こ れでも直径1kmの円周の長さが,3141m15cm9mm つまり誤差が 1mm以下ということになる.こんな精度が必要になる場面は,そうそうない.建築なら4桁 3.142 もあれば十分だし,日常生活なら3+消費税=3.15 でもいいw(将来,消費税が変わったら,使えないが.)
円周率を高速に計算する技術の目的は,計算結果数値そのものではなく,報道にあるとおり,利用技術の応用にある.
それから,
>「無限にあるとなぜわかる?」「どうして分数にならないとわかる?」
というのもあって,次の報道への疑問だろう.
これは,以前ブログにも書いた.>円周率は無限小数
>「そんなに求めて,何になる?」「実際何桁まで使う?」
実際に工学で使うのは,有効数字5,6桁くらいまでだろう.3.14159
こ れでも直径1kmの円周の長さが,3141m15cm9mm つまり誤差が 1mm以下ということになる.こんな精度が必要になる場面は,そうそうない.建築なら4桁 3.142 もあれば十分だし,日常生活なら3+消費税=3.15 でもいいw(将来,消費税が変わったら,使えないが.)
円周率を高速に計算する技術の目的は,計算結果数値そのものではなく,報道にあるとおり,利用技術の応用にある.
(省略)
計算で使ったプログラムの一部は今後一般公開する予定で、高橋准教授は「今回の成果は、物理学や化学分野の計算の大幅な高速化にも応用できる」と話している。
2009/08/17 19:28 【共同通信】
それから,
>「無限にあるとなぜわかる?」「どうして分数にならないとわかる?」
というのもあって,次の報道への疑問だろう.
8月17日15時40分配信 毎日新聞
(省略)
円周率は円周と直径の比を表す数で「3.14」で始まり、小数点以下の数字は無限に続く。また分数では表せない数だと証明されている。より多くのけたまで値を計算する試みが、世界各国で続いてきた。【高木昭午】
これは,以前ブログにも書いた.>円周率は無限小数
2007年2月7日水曜日
実数のココロ
結論から言うと「数直線」そのものではある.
四則計算と,大小関係(順序構造)に「連続」の性質が加わったのが実数だ.
四則計算と大小の性質は数式を使ってわかりやすいが,連続の性質は「言葉」だから抽象的である.たとえば「上に有界な実数の集合は上限を持つ」(Weierstrass)とか.
まあ,言っていることは当たり前で,言葉の意味を知ると「いったいわざわざ言う必要ある?」と思えてしまうけど,有理数の集合では「上限がない」ものもあるわけだ.
でも言いたいのは
「数直線,どこを切っても実数がある.」
これこそが連続のココロであり,実数のココロだ.信念といってもよい.
それが具体的に求める手段がなくても,「そこに実数がある」を保証するのが実数の公理(あるいは有理数の切断による実数の定義)であり,微積分などは「そこに実数がある」ことにしてすべての議論を展開する.
「実際に数字を並べなくても」,いや,「並べる方法が未知でも」である.
たとえば,「直径と円周との比」の円周率.
無理数であることが証明されるので,循環しない無限小数であり,すべての桁を求めることは不可能.
このことを以って,「そんな数はあるの?」と感じる人もいるようだが,数学では「そこに円周率がある」ことを公理で保証して議論する.
つまり実数の存在は,公理で保証(あるいは有理数の切断で実数を「定義(Dedekind)」)しなければならない「信念」でもある.
公理から証明されることのひとつに,「数列の各項の差がいくらでも小さくなればひとつの実数に収束」がある.(Cauchy列 という.)
つ まり小数を無限に並べる方法があれば,桁数が一桁伸びるごとに「差が1/10倍づつに縮まる」から実際に無限に並べて見せなくても,「そこに実数がある」 と証明されるのだ.だから無限に求める方法の確立している円周率は,無限に時間をかけなくても「存在する実数」といえる.
さらに,公理から証明される事実に,「単調増加列が,ある数よりいつも小さければ,一つの実数に収束する」という定理がある.
つまり上から押さえられているのに,増え続けるなら,どっかで止まるというもの.
なんだかとっても「あたりまえ」である.
このあたりまえと思えるこのことから,「数字を並べる方法が見つからなくても存在する」することが保証され,さまざまな実数の存在が保証される.
自然対数の底も$\left(1+\frac{1}{n}\right)^n$の極限として定義される.
この数列は自然数nを大きくすると単調に増加する.
しかし,3より小さいことが証明できる.
「単調増加列が,ある数よりいつも小さければ,一つの実数に収束する」という定理によって,(3より小さい数に)収束することが言える.
(実際は2.718281828459…)
高校の数学IIで出てくる指数関数
$2^3=8$
$2^{1.5}=2^{\frac{3}{2}}=\sqrt{2^3}=\sqrt{8}$
については,
$2^{\frac{m}{n}}=\sqrt[n]{2^m}$
と定義される.
これを見ると,指数が分数でなければ定義できない気がするが,「そこに実数がある」おかげで
$2^{\pi}=2^{3.14159\cdots}$
もアプリオリに定義されるのである.
実際次のように存在が保証される.
$2^{3.1}=2^{\frac{31}{10}}=\sqrt[10]{2^{31}}$
$2^{3.14}=2^{\frac{314}{100}}=\sqrt[100]{2^{314}}$
$2^{3.141}=2^{\frac{3141}{1000}}=\sqrt[1000]{2^{3141}}$
は単調に増加する.しかしどれもこれも
$2^{4}$
よりも小さい.
上から押さえられる単調増加列は収束(つまり存在←実数のココロ)するので,その極限(存在することが保証された実数)を
$2^{\pi}=2^{3.14159\cdots}$
と「定義」するのである.
中間値の定理も,実数の性質そのものである.
つまり連続関数f(x)が3から4に変わるとき,その途中の3.5を横切る.
つまり,f(a)=3.5となる「実数aがあるよ」というのである.当たり前ですか?
これが,「そこに実数があるよ」のココロで,初めて存在がアプリオリに保証される.
5次以上の方程式には(加減乗除と累乗根で表される)解の公式な存在しないことが証明されているが,100次関数 f(x) が 3から4 に変わるとき
f(a)=3.5
となる x=a が存在することが,保証される.
5次以上の方程式には解の公式が存在しないが,n次方程式には高々n個の解が存在することを保証するのは,「切ったところに数がある」実数のココロである.
(実際は数直線2本を直交させた複素平面上のn次関数の議論になるが.)>代数学の基本定理
実数のひとつである円周率は人間の「言語」である.無限の桁数であっても結局は「言語」
5cmという長さも「言語」である.
5cmという長さが言語にあるなら,πcmも言語である.
数学は人間の言語の中にのみアプリオリに存在する.
数学では,5cmとπcmの存在に大差はないのだ.
linked: 1
四則計算と,大小関係(順序構造)に「連続」の性質が加わったのが実数だ.
四則計算と大小の性質は数式を使ってわかりやすいが,連続の性質は「言葉」だから抽象的である.たとえば「上に有界な実数の集合は上限を持つ」(Weierstrass)とか.
まあ,言っていることは当たり前で,言葉の意味を知ると「いったいわざわざ言う必要ある?」と思えてしまうけど,有理数の集合では「上限がない」ものもあるわけだ.
でも言いたいのは
「数直線,どこを切っても実数がある.」
これこそが連続のココロであり,実数のココロだ.信念といってもよい.
それが具体的に求める手段がなくても,「そこに実数がある」を保証するのが実数の公理(あるいは有理数の切断による実数の定義)であり,微積分などは「そこに実数がある」ことにしてすべての議論を展開する.
「実際に数字を並べなくても」,いや,「並べる方法が未知でも」である.
たとえば,「直径と円周との比」の円周率.
無理数であることが証明されるので,循環しない無限小数であり,すべての桁を求めることは不可能.
このことを以って,「そんな数はあるの?」と感じる人もいるようだが,数学では「そこに円周率がある」ことを公理で保証して議論する.
つまり実数の存在は,公理で保証(あるいは有理数の切断で実数を「定義(Dedekind)」)しなければならない「信念」でもある.
公理から証明されることのひとつに,「数列の各項の差がいくらでも小さくなればひとつの実数に収束」がある.(Cauchy列 という.)
つ まり小数を無限に並べる方法があれば,桁数が一桁伸びるごとに「差が1/10倍づつに縮まる」から実際に無限に並べて見せなくても,「そこに実数がある」 と証明されるのだ.だから無限に求める方法の確立している円周率は,無限に時間をかけなくても「存在する実数」といえる.
さらに,公理から証明される事実に,「単調増加列が,ある数よりいつも小さければ,一つの実数に収束する」という定理がある.
つまり上から押さえられているのに,増え続けるなら,どっかで止まるというもの.
なんだかとっても「あたりまえ」である.
このあたりまえと思えるこのことから,「数字を並べる方法が見つからなくても存在する」することが保証され,さまざまな実数の存在が保証される.
自然対数の底も$\left(1+\frac{1}{n}\right)^n$の極限として定義される.
この数列は自然数nを大きくすると単調に増加する.
しかし,3より小さいことが証明できる.
「単調増加列が,ある数よりいつも小さければ,一つの実数に収束する」という定理によって,(3より小さい数に)収束することが言える.
(実際は2.718281828459…)
高校の数学IIで出てくる指数関数
$2^3=8$
$2^{1.5}=2^{\frac{3}{2}}=\sqrt{2^3}=\sqrt{8}$
については,
$2^{\frac{m}{n}}=\sqrt[n]{2^m}$
と定義される.
これを見ると,指数が分数でなければ定義できない気がするが,「そこに実数がある」おかげで
$2^{\pi}=2^{3.14159\cdots}$
もアプリオリに定義されるのである.
実際次のように存在が保証される.
$2^{3.1}=2^{\frac{31}{10}}=\sqrt[10]{2^{31}}$
$2^{3.14}=2^{\frac{314}{100}}=\sqrt[100]{2^{314}}$
$2^{3.141}=2^{\frac{3141}{1000}}=\sqrt[1000]{2^{3141}}$
は単調に増加する.しかしどれもこれも
$2^{4}$
よりも小さい.
上から押さえられる単調増加列は収束(つまり存在←実数のココロ)するので,その極限(存在することが保証された実数)を
$2^{\pi}=2^{3.14159\cdots}$
と「定義」するのである.
中間値の定理も,実数の性質そのものである.
つまり連続関数f(x)が3から4に変わるとき,その途中の3.5を横切る.
つまり,f(a)=3.5となる「実数aがあるよ」というのである.当たり前ですか?
これが,「そこに実数があるよ」のココロで,初めて存在がアプリオリに保証される.
5次以上の方程式には(加減乗除と累乗根で表される)解の公式な存在しないことが証明されているが,100次関数 f(x) が 3から4 に変わるとき
f(a)=3.5
となる x=a が存在することが,保証される.
5次以上の方程式には解の公式が存在しないが,n次方程式には高々n個の解が存在することを保証するのは,「切ったところに数がある」実数のココロである.
(実際は数直線2本を直交させた複素平面上のn次関数の議論になるが.)>代数学の基本定理
実数のひとつである円周率は人間の「言語」である.無限の桁数であっても結局は「言語」
5cmという長さも「言語」である.
5cmという長さが言語にあるなら,πcmも言語である.
数学は人間の言語の中にのみアプリオリに存在する.
数学では,5cmとπcmの存在に大差はないのだ.
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2013年11月14日木曜日
測る
3.141592653589793238462643383279502884
まで覚えている.円周率.>くろべえ「円周率」
測ったりするのには普通は 3.14 で十分である.
海抜ゼロで測る子午線の1周は4万キロ(200年前の定義).その直径は
4万キロ÷π=12732.39544735162686151070106980114896キロ
つまり,
12732キロ395メートル447マイクロメートル351ナノメートル626ピコメートル・・・
この値にどれだけ意味があるかといえば,そもそも地球は球じゃないし,赤道の長さは子午線より70キロ以上長いし.意味は無い.
円周率は,日常 3.14 あるいは 3と少し で十分な精度である.
測量で5桁.GPS衛星のように高速で飛ぶものはもっと有効数字は必要となるが,40桁も使うことはない.
40桁も覚えて何の役にも立たないと思いきや,そうでもない.
「すごいだろー」
授業でと威張れるし,それである程度の尊敬も得られるという,実に有用な数値である.
「総合」の授業で,そんな話をしてから,
「プラスチック製の定規と竹の定規,何が違うと思う?」
と手に取らせる.
材質はもちろん違う.
見た目,プラスチックは 0 と 30 の左右に余裕がある.
「測る」ことの関して,最大の違いは,
「竹には 30cm と書いてあるけど,プラスチックには書いていないよ.」
プラスチックにはどこにも単位 cm が書いていない.
目盛は振ってあり,数字も書いてある.しかしプラスチックは cm とは言っていないから,精度に責任を持たないのである.
安く買えるプラスチック定規には,どこにも単位 cm がない.
竹はたぶんどこだかの機関で精度が保証されているのだろう.
まで覚えている.円周率.>くろべえ「円周率」
測ったりするのには普通は 3.14 で十分である.
海抜ゼロで測る子午線の1周は4万キロ(200年前の定義).その直径は
4万キロ÷π=12732.39544735162686151070106980114896キロ
つまり,
12732キロ395メートル447マイクロメートル351ナノメートル626ピコメートル・・・
この値にどれだけ意味があるかといえば,そもそも地球は球じゃないし,赤道の長さは子午線より70キロ以上長いし.意味は無い.
円周率は,日常 3.14 あるいは 3と少し で十分な精度である.
測量で5桁.GPS衛星のように高速で飛ぶものはもっと有効数字は必要となるが,40桁も使うことはない.
40桁も覚えて何の役にも立たないと思いきや,そうでもない.
「すごいだろー」
授業でと威張れるし,それである程度の尊敬も得られるという,実に有用な数値である.
「総合」の授業で,そんな話をしてから,
「プラスチック製の定規と竹の定規,何が違うと思う?」
と手に取らせる.
材質はもちろん違う.
見た目,プラスチックは 0 と 30 の左右に余裕がある.
「測る」ことの関して,最大の違いは,
「竹には 30cm と書いてあるけど,プラスチックには書いていないよ.」
プラスチックにはどこにも単位 cm が書いていない.
目盛は振ってあり,数字も書いてある.しかしプラスチックは cm とは言っていないから,精度に責任を持たないのである.
安く買えるプラスチック定規には,どこにも単位 cm がない.
竹はたぶんどこだかの機関で精度が保証されているのだろう.
2004年9月24日金曜日
無限小数
たとえば,円周率π=3.1415926.... は循環しない無限小数である.
すでに1兆桁くらい求まっているが,どんなに時間をかけてもすべてを書き表すことはできない.(だから無限小数)
直径1mの円周の長さは π=3.141592653...m これって求まったことになるのか?
と思う人もいるようだが,「求まったことにする」のが数学的態度.
数学では「無限小数」は「実数」として数直線上存在するとして,理論を展開する.
無限小数のすべての桁数を書き表せなくても,数直線上にπの位置が存在するとして理論を構築する.
無限小数をすべて並べることは不可能だが,数学は「そこに数がある」というイメージを公理化した実数の公理系で矛盾なく理論を展開することができる.
そして,時間をかければ必要な桁数を求めることができる.
「そこに数がある」のイメージの公理は別名「実数の連続性の公理」といい,「正しいことが要請される命題」.
信じようが信じまいが実数論ではその公理を仮定して矛盾のない理論を展開する.
連続の公理を要請すれば,円周率という実数は存在するわけだが,それは定義,またある種の「信仰」ともいえる.
だから,「無限小数なんて確定したひとつの数とはいえないよ」と信仰すれば,円周率はもちろん,正方形の対角線の長さ√2も,1メートルを3等分した長さ1/3も,存在しないことになるな.
存在する数を,たまたま10個の数字で表すと,無限に続くだけである.
数学や科学ははそういった「仮説」や「事実」の集合体で,それが真実かどうかには無関心である.
「そこに数がある」で矛盾がなければ,真実かどうかには無関係に数学的対象になるわけだ.
すでに1兆桁くらい求まっているが,どんなに時間をかけてもすべてを書き表すことはできない.(だから無限小数)
直径1mの円周の長さは π=3.141592653...m これって求まったことになるのか?
と思う人もいるようだが,「求まったことにする」のが数学的態度.
数学では「無限小数」は「実数」として数直線上存在するとして,理論を展開する.
無限小数のすべての桁数を書き表せなくても,数直線上にπの位置が存在するとして理論を構築する.
無限小数をすべて並べることは不可能だが,数学は「そこに数がある」というイメージを公理化した実数の公理系で矛盾なく理論を展開することができる.
そして,時間をかければ必要な桁数を求めることができる.
「そこに数がある」のイメージの公理は別名「実数の連続性の公理」といい,「正しいことが要請される命題」.
信じようが信じまいが実数論ではその公理を仮定して矛盾のない理論を展開する.
連続の公理を要請すれば,円周率という実数は存在するわけだが,それは定義,またある種の「信仰」ともいえる.
だから,「無限小数なんて確定したひとつの数とはいえないよ」と信仰すれば,円周率はもちろん,正方形の対角線の長さ√2も,1メートルを3等分した長さ1/3も,存在しないことになるな.
存在する数を,たまたま10個の数字で表すと,無限に続くだけである.
数学や科学ははそういった「仮説」や「事実」の集合体で,それが真実かどうかには無関心である.
「そこに数がある」で矛盾がなければ,真実かどうかには無関係に数学的対象になるわけだ.
2014年11月11日火曜日
数の正体をあばく
3.14 という数字を見たら
「円周率」
とわかる.
1.414
という数ならは,我々世代にとって,
「一夜一夜に・・・,だから√2」
とわかる.
これらは暗記しているから見抜けると言える.
暗記していない
「0.9672131」
や
「4.8989794」
は,わかるまいw
もちろん,
0.9672131=9672131/100000000
4.8989794=48989794/100000000=24494897/50000000
ではあるが,気が利いていないw
こういう数の正体を簡単にあばくのに,古代(たぶん文明が発達する以前)から用いられているのが連分数である.
連分数は,もともと最大公約数を突き止めるユークリッドの互除法であるともいえる.>以前の記事
これを分数
1173 / 1311の約分
と考える.
素因数分解しようとして,共通因数 3 はすぐわかる.
ところが,23を見つけるのは,かなり大変だが,ユークリッドの互除法で 69 を見つけるのはたやすい(3回の割り算の余りから見つかる).
ユークリッドの互除法は,
「真分数の逆数をとって,帯分数にする」
という手順と同値でもあり,これを全体としてみたとき,連分数となる.(帯分数とは2+(3/4) のような整数+真分数で,真分数とは 3/4 のような分子<分母である分数)
1173 / 1311 の逆数 1311 / 1173 = 1 + 138/1173
真分数 138/1173 の逆数 1173 / 138 = 8 + 69/138 = 8 + 1/2
最後に 69 で約分したが,それが最大公約数なので,69で元の分数が約分できるといえる.
この,「真分数の逆数をとって,帯分数にする」を一つの数式にしたものが,「連分数」なのである.
このワザはユークリッドの互除法と言われるが,もちろんユークリッドが発明したのではなく,古代からおこなわれていたワザをユークリッドが証明して書物にしたのが最初なのだろう.
こんなことは,古代の人にとっては常識的な計算方法で,円周率の近似分数(22/7 = 3.142857 や 355/113 = 3.1415929)などは連分数から求めたはずである.
1173 / 1311 を連分数にしてみる.
「円周率」
とわかる.
1.414
という数ならは,我々世代にとって,
「一夜一夜に・・・,だから√2」
とわかる.
これらは暗記しているから見抜けると言える.
暗記していない
「0.9672131」
や
「4.8989794」
は,わかるまいw
もちろん,
0.9672131=9672131/100000000
4.8989794=48989794/100000000=24494897/50000000
ではあるが,気が利いていないw
こういう数の正体を簡単にあばくのに,古代(たぶん文明が発達する以前)から用いられているのが連分数である.
連分数(れんぶんすう、英: continued fraction)とは、分母に更に分数が含まれているような分数のことを指す。分子が全て 1 である場合には特に正則連分数(英: regular continued fraction)ということがある。単に連分数といった場合、正則連分数を指す場合が多い。>Wikipedia
連分数は,もともと最大公約数を突き止めるユークリッドの互除法であるともいえる.>以前の記事
1173 と 1311
1311 - 1173 = 138
1173 - 138 × 8 = 69
138 - 69 × 2 = 0
より,最大公約数 69.
これを分数
1173 / 1311の約分
と考える.
素因数分解しようとして,共通因数 3 はすぐわかる.
ところが,23を見つけるのは,かなり大変だが,ユークリッドの互除法で 69 を見つけるのはたやすい(3回の割り算の余りから見つかる).
ユークリッドの互除法は,
「真分数の逆数をとって,帯分数にする」
という手順と同値でもあり,これを全体としてみたとき,連分数となる.(帯分数とは2+(3/4) のような整数+真分数で,真分数とは 3/4 のような分子<分母である分数)
1173 / 1311 の逆数 1311 / 1173 = 1 + 138/1173
真分数 138/1173 の逆数 1173 / 138 = 8 + 69/138 = 8 + 1/2
最後に 69 で約分したが,それが最大公約数なので,69で元の分数が約分できるといえる.
この,「真分数の逆数をとって,帯分数にする」を一つの数式にしたものが,「連分数」なのである.
このワザはユークリッドの互除法と言われるが,もちろんユークリッドが発明したのではなく,古代からおこなわれていたワザをユークリッドが証明して書物にしたのが最初なのだろう.
こんなことは,古代の人にとっては常識的な計算方法で,円周率の近似分数(22/7 = 3.142857 や 355/113 = 3.1415929)などは連分数から求めたはずである.
1173 / 1311 を連分数にしてみる.
2005年3月6日日曜日
排気量399cc
400ccのカタログを見ると,399ccとか 398ccになっている.
原付も49ccなどとなっている.
これは法律で400cc(50cc)を超えると違う免許になるからなのであるが,なぜ400ccジャストで作らないか.
作らないのではなく,作ることができないのである.
いや,工作できないというわけではなくて,「カタログデータ」で400ccジャストに出来ない.
円筒型のシリンダーのボアやストロークのカタログデータは 0.1mm刻み.
そして,そこから計算する容積計算で必ず無限小数の円周率 3.14159265 を使う.
さらに,カタログに記載する排気量は小数切捨てだからである.
CB400SF や XJR400 の場合
ボア55.0mm,ストローク42.0mmの4気筒
だから
π(5.5/2)^2×4.2×4=399.139347cc
の小数を切り捨てて 399cc という表示.
RZ50の場合
ボア40.0mm,ストローク39.7mmの1気筒
だから
π(4/2)^2×3.97=49.8884913cc
の小数を切り捨てて 49cc という表示.
法律では「400ccを超えると大型二輪免許が必要」となる.
カタログで400ccと表示する二輪車は,400を超えた小数を切捨てて400ccになっているはず.
これだと,400を超えているので,大型二輪免許が必要である.
たとえば,CB400のストロークを0.1mm伸ばすと
π(5.5/2)^2×4.21×4=400.089678cc
の小数を切り捨てて400ccであるが,400ccを超えているため大型二輪免許が必要となる.
RZ50のボアを0.1mm広げると
π(4.01/2)^2×3.97=50.1382456 cc
の小数を切り捨てて50ccであるが,50ccを超えているため原付二種の分類となり普通二輪(小型限定)免許が必要となる.
円筒形のシリンダーを使い,そのサイズを0.1mm刻みのボア・ストロークでカタログに載せた場合,そこからの容積計算に無限小数の円周率を使うため,排気量は必ず1cc未満の小数がでてくる.
計算結果をジャスト400ccにすることはできない.
1辺8.00cmの正方形のシリンダー(?)に,ストローク6.25cmのクランクなら,ジャスト400ccになり,堂々とカタログに400ccと載せられ,「400cc以下」に合致するので普通二輪免許で乗れる.
あるいは,カタログに掲載するのを数値ではなく「円周率πを含んだ式」にすればいいのである.
ボア55mm ストローク$\frac{16000}{121\pi}$(およそ42.090563462319427641357689486946)mm なら排気量は
$4\times\pi\times(\frac{55}{10}\div 2)^2\times\frac{16000}{121\pi}$
でπが約分されジャスト400ccとなる.
原付も49ccなどとなっている.
これは法律で400cc(50cc)を超えると違う免許になるからなのであるが,なぜ400ccジャストで作らないか.
作らないのではなく,作ることができないのである.
いや,工作できないというわけではなくて,「カタログデータ」で400ccジャストに出来ない.
円筒型のシリンダーのボアやストロークのカタログデータは 0.1mm刻み.
そして,そこから計算する容積計算で必ず無限小数の円周率 3.14159265 を使う.
さらに,カタログに記載する排気量は小数切捨てだからである.
CB400SF や XJR400 の場合
ボア55.0mm,ストローク42.0mmの4気筒
だから
π(5.5/2)^2×4.2×4=399.139347cc
の小数を切り捨てて 399cc という表示.
RZ50の場合
ボア40.0mm,ストローク39.7mmの1気筒
だから
π(4/2)^2×3.97=49.8884913cc
の小数を切り捨てて 49cc という表示.
法律では「400ccを超えると大型二輪免許が必要」となる.
カタログで400ccと表示する二輪車は,400を超えた小数を切捨てて400ccになっているはず.
これだと,400を超えているので,大型二輪免許が必要である.
たとえば,CB400のストロークを0.1mm伸ばすと
π(5.5/2)^2×4.21×4=400.089678cc
の小数を切り捨てて400ccであるが,400ccを超えているため大型二輪免許が必要となる.
RZ50のボアを0.1mm広げると
π(4.01/2)^2×3.97=50.1382456 cc
の小数を切り捨てて50ccであるが,50ccを超えているため原付二種の分類となり普通二輪(小型限定)免許が必要となる.
円筒形のシリンダーを使い,そのサイズを0.1mm刻みのボア・ストロークでカタログに載せた場合,そこからの容積計算に無限小数の円周率を使うため,排気量は必ず1cc未満の小数がでてくる.
計算結果をジャスト400ccにすることはできない.
1辺8.00cmの正方形のシリンダー(?)に,ストローク6.25cmのクランクなら,ジャスト400ccになり,堂々とカタログに400ccと載せられ,「400cc以下」に合致するので普通二輪免許で乗れる.
あるいは,カタログに掲載するのを数値ではなく「円周率πを含んだ式」にすればいいのである.
ボア55mm ストローク$\frac{16000}{121\pi}$(およそ42.090563462319427641357689486946)mm なら排気量は
$4\times\pi\times(\frac{55}{10}\div 2)^2\times\frac{16000}{121\pi}$
でπが約分されジャスト400ccとなる.
2000年4月30日日曜日
数学を学ぶ意味 理由
2013.6.29追記>数学を学ぶ理由は,世界の平和と人類の幸福のため
2006.12.25追記>「脳が汗をかかなければならない.」
2000年4月,新入生に対し数学を勉強する理由,意味をアンケートで答えさせた.それに対するコメント
「お金などの計算に使う」
これは算数だと思うのだが.
「進学や就職に役立つ」
とりあえず目の前のテストの突破ということかな.数学が役に立たないものなら,なぜそれでテストをするのだろうか.「学校で習うからそれを選抜テストで利用する」というなら,なぜ学校で習うのだろう.「選抜テストで数学がある」から? どうどうめぐり.選抜テストで「数学」があるのは,「数学を使うから」ということもあるかもしれないが,どちらかというと「数学の素養が必要だから」というのも多いと思う.
「数学を使わない仕事に就きたい」
そういう意味で,「素養」は必要.しかしほとんどの仕事は「知識としての数学は使わない」から安心してよい.
「数学はなくても何とかなるけどあったほうがいいもの」
まぁすべての学問について言える.世の中の80%以上の人にとって学問は不要でしょう.しかし現代の便利な生活を支えるために20%の人には,高い報酬をもらっていいから頑張ってもらわないと.
「数学は国語に似ていると思う」
数学は科学を記述する言語です.言語であるなら「国語に似ている」のも当然です.
「歴史は覚えるだけだが,数学は創造性を育てる」
これを聞いた歴史の先生は悲しいだろうな.歴史を学ぶのは年号を覚えるためではありません.歴史に学び,未来を創造するために学ぶのです.その時,事件の流れをつかむために年号などを使うのです.たとえば「794年平安京遷都」というのがあるが,ただなんとなく場所を移したわけではないだろう.奈良の都を捨てて平安京をつくる必然があったはず.そのときどんな事件があって,どんな人物がどう活躍したかを知れば平安遷都が794年というのは「当然のこと」になってくる.これが歴史の学びかただよ.歴史は,その事件を通して人間の生き様,強さ,弱さを学び,人生の糧にし,未来を創造する.それが目的だと思う.
「数学は日常生活には役に立たないのではないか」
まったくそのとおり.私も日常生活では使いません.その意味では数学以外のすべての教科も当てはまります.小学校高学年以上の内容はどの教科も日常生活で使いません.でも空気のように役立ってます.
「論理的思考力,表現力を養う.」
数学でなくても養えます.囲碁や将棋やオセロが強くなれば養える.でも学問全体はこの素養が必要で,どの教科でも養える.
「頭を使わないと堕落する」
サルに戻るね.
「社会で役立つ」
社会の要請でもある.つまり「数学そのもの」ではなく,数学で鍛えた「柔軟な思考」がますます求められる社会になってきています.まぁ,実際に数学の知識は使わなくとも,その柔軟な頭脳は空気のように大切.日常でその大切さを感じ取るのは難しい.
「必要があるから学ぶのではなく,知りたいから学ぶ.」
人間の本能ですね.これがサルとの違い.
「好きだからやる.社会で役立つのは副産物」
まぁ,個人的にはそう.「役立つ」ことを見越して勉強しても身につかない.無論,社会の要請で数学も発達しているのだが.
「可能性を広げるために必要」
その前向きの姿勢がよい.自身の無限の可能性をどこまで信じることが出来るか.
「数学にはセンスや才能がものをいうのだろうか」
センス,才能がものをいうのかもしれないが,中学,高校の6年間くらいでは判断できない. 20年くらい努力をつづけてはじめてわかる.つまり大部分の人は短期間で勝手に結論づけているわけだ.
「大学の専門教育の準備期間としての高校」
それはいえる.しかし,それなら予備校だけでもよい.高校の存在は知識を増やすだけではなく,それを通じて知識の獲得方法も学ぶ場でもある.さらに,人として集団への関わり方を学ぶ最後の期間でもある.生徒総会とか,全校で合唱祭なんて,高校が最後でしょう.実は大学も「知識を増やす場」以上に,「知識獲得のスキルの向上」が本来の目的であると思います.知識が増えても行動に出なければ意味がないからです.それを簡単に言えば「平和と人権」のテストでいい点とる奴が平気で人をいじめるようなもんです.
「古代からある文化遺産としての数学を学ぶ」
人類はそうやって発展してきた.
「円周率は現在でも計算をしつづけているらしいが,いつか割り切れる日がくるのだろうか」
円周率は無理数であることが証明されています.つまり循環しない無限小数であることが証明済み.今行われている円周率の計算は,コンピュータ利用技術の競争.つまり「うちの技術だと市販のパソコン使って3時間で50億桁計算できたよ.」と自慢するために行われている.技術力の高いところのソフトは「売れる」わけだ.
「数学は答えがスパッとでるからよい」
数学者は常に数十から数百の未解決の問題を考えていて,ほとんど解けなくて,たまに解けると「論文」として発表するのが仕事です.みんなのやってる数学は「古典」で,すでに解決済みのものばかりだからかならず答えがあります.答えがあるかどうかわからない問題を解くのが,本当の数学です.
「答えがひとつだから好き」
他の教科もテストの答えはひとつでしょう.でないとテストはできないはず.よく引き合いに出されるのは国語のテストです.「国語はたくさん答えがある」という人がいるが,本当だろうか.試しに,どの国語のテストでもよいから,何通りの答えがあるか数えてみてほしい.「与えられた文章」をもとに「読み取り」を問題にしたり,「指示語」の指示する文を答えさせたり,「要約」を表す文を抜書きさせたりする場合,「もっとも適切な客観的な答え」はただ一つのはずで,そうでなければ「テスト」にならない.逆に「作文などは個性が出るよ」というかもしれない.もちろんそう.これは数学でも「証明」についていえること,証明の方法など一通りではない.それこそ「個性爆発」だ.記述式の数学の問題などは「作文」のようなものです.
「図形が苦手できらい」
計算より図形が苦手なのは普通です.あたまの使い方のレベルから考えると当然です.逆の人はまずいないでしょう.
「数学を学んでいくうちに興味を持ち,将来仕事に役立ち,科学が発展し,人々の生活の向上につながる.」
これが「全員にやらせる」理由だね.この科学文明を支える人を見つけ出すには「全員にやらせて興味を持つ者,得意な者」を探すしかない.エジソンやアインシュタインは「低学力児」だったそうで,たかが学校教育の十数年くらいでは「数学の向き不向き」の判定はできない.したがって,日常生活の部分は小学校で6年かけ,中学,高校とさらに5,6年かけて「全員」に数学をやらせ,「興味を持つもの,得意な者」を見つけだそうというわけだ.さらに文科系の大学へ行っても1年の「一般教養」では「自然科学の分野」から2科目程度は選択しなければならず,人によっては数学を選択することになる.したがって,たかが数年間で「数学はいらない」と判断され,数学の素養のない人が大量に社会に送り出された場合,現代の便利な生活を支える上で不都合が生じるかもしれない.日常生活では意識しなくてもこの便利な生活は科学が支えている.その科学の記述に数学は不可欠.だれも数学をやらなくなったら,この便利な生活はなくなってしまう.しかし,科学は地球破壊,人類滅亡の手段ともなっている.だからといって,いまさら原始時代の生活にはもどれない.世界の飢餓や地球の環境破壊を救えるのは,一人一人の意識とそれを支える科学だ.そのための基礎として数学を学ぶわけだ.さらに,現代の民主主義を支えるのも「科学技術」です.直接民主制はせいぜい学校の生徒総会が人数の上限.民主主義が成り立つには,知りたい情報がいつでも手に入れることができることが必要.情報を手に入れるには「科学技術」の支えがなくてはできません.
自己PRから
「少しのことではへこたれないのでしごいてください」
人生修行ですね.苦労は買ってでもせよと,昔から言われます.現代社会はなかなか苦労できないですから.
「学ぶ意味はよくわからない」
これがみんなの本音でしょう.本当の意味で学ぶ意味がわかるのは「全て学んでから」でしょうね.数学に限らず食わず嫌いはよくない.勝手に自分を「文系,理系」と興味の範囲を制限すること自体,自分の能力を矮小化して狭めていることに気付くべきだと思う.
「なかなかやり方を思いつかない」
これは普通のこと.受験生で全てのやり方を自分で気付いた人は皆無のはず.つまり大抵は答えを見て理解してやり方を覚えたのだ.数学を学ぶ目的が「問題を解くこと」に堕しているひとの勉強法だ.もちろん,目前に「受験」が迫っているならある程度仕方がないが,「これが数学」と思われると,数学がいかにも安っぽいよ.本当は「考えること」だ.それが人間の証だから.
「答えを求めるのが数学」
「問題を解く」のは数学理解の手段であって,目的ではない.数学を通じて,数学的世界観や発想,思考を身に付けるのであって,決して「問題を解く」のが目的ではない.
「苦手だけど好き」
こりゃまったく私と同じです.得意といえる人がうらやましい.得意だったら教員なんかやってない.研究者になっていた.そんな実力がないけど,好きだから教員をやっている.職業としての研究者ではないが,研究はしているつもり.
「高校の数学は難しくて大変そう」
だから楽しい.難しくて大変そうだからファイトが沸きませんか?楽したいならサルと同じかも.
「医師も目指したいけど,歌手になるのも夢」
夢は大きければ大きいほどいい.どうせかなわないのだから.もしかなったならめっけもの.かなわなくても大きな夢に向かっての死に物狂いの努力は人生の宝になる.要領のよさだけでも,この豊かで平和な世の中はわたれるが,残るのはむなしさだけだろうなぁ.
「自分は理系じゃない」
理系じゃなくても,高校程度の数学の素養は必要.私は3年で選択になる数学Ⅲと古文Ⅱは全員必修であるべきだと思う.
「自分は頭が硬い」
よく「若い柔軟な頭脳」という言い方をします.私は間違っていると思います.若者は常識を覆して,新しい文化を生み出すだけであって,それは柔軟な頭脳ではないと思います.柔軟な頭脳は訓練によってしか身につきません.したがって,本当なら年寄りほど頭脳は柔軟です.しかし,若い頃の頭の硬さのまま,やわらかくすることなく年をとり,硬い頭脳ゆえ「常識どおり」の楽な生き方をする年寄りが多いだけです.よくテレビの取材を受けるようなクリエイティブなお年寄りを見ると「この人は,今でも発展中だな」と思います.そういう人は若者のようにイタズラに常識を覆すこともしませんが,かといって決して頭脳は硬くありません.あこがれるなぁ.一生修行するしかありませんね.
「平等な授業にしてほしい」
平等ってどんな意味だろう.「字の大きさ,声の大きさなど座席の位置による不平等を・・・」そういうことね.そのくらいは気をつけられるな.まぁ,聞こえないときや見えないときはその都度教えてくれればいい.法律などの社会制度は万人に平等であるべきだろうが,おれは「制度」じゃなくて「人間」だからなぁ.自分自身は,不平等や理不尽やえこひいきが好きだから困る.世の中,制度は平等でも,人間は不平等.だって,それが普通の社会だ.自分の生まれた家を見ればわかるでしょ.隣のうちとはだいぶ違うはず.私の場合は特に,何らかのペナルティーを科すときは理不尽なことが起きるといってよい.あ,でも,成績は平等につけるよ.ペナルティーは記録しないから大丈夫.つまり記録しないゆえ,行き当たりばったりの思いつきのものになるんだ.成績は記録できる客観的で数値化が可能なものだけでつけるから心配ご無用.
「授業中に寝てしまうかも」
高校は義務教育じゃないから,自分の責任で,いいんじゃない.睡眠して,留年でも退学でも,選択肢はいろいろあるよ.まぁ,テストでいい点取れば大丈夫.中学校は全部休んでも卒業したいといえば,卒業可能だけど,高校は不可能.でも,数学は独学はまず無理だ.予習復習はできなくても,授業は大切にして欲しい.授業を理解していれば,予習復習しなくても試験前に何とかなる.これが試験直前に独学になるようでは,ダメだ.最も無駄な時間の使い方だ.
「あれこれ考えるのがすき,未来の地球とか,人間の存在意義とか」
人生の目的はズバリ「遊ぶため.」これは表面的な遊びではなく,苦しみを苦しみとして真剣に対決し,楽を楽として,苦楽ともに遊び演じきるのが人生の目的だと思う.
「試験第一主義の教育に疑問を抱いている」
これは「学校という社会システム」がそうだから仕方がないでしょう.勉強は本来,人間の持っている「知らないことを知りたい」という「本能的な生きる力」で,試験などで他人から強制されるものではない.しかし試験のない世界で,皆が勉強にいそしむほど人間は発達していない.だから馬車馬のように尻をたたかれながら勉強したい人は「学校という社会システム」に乗ればいい.自分の力で勉強が可能な人は,別にそんなシステムに乗る必要はないし,そういう人もたくさんいる.だから高校以上は義務教育ではないのだ.学歴社会を否定し,社会で活躍している人はたくさんいる.
しかし現代の便利な社会を支えてくれている人のほとんどは,そのシステムの中で能力を磨いた人たちです.さらにしかし,学力は常に「能力の一面であって全てではない」ということは忘れてはならないと思う.もっと大切な「人を思いやる心」,「他人の苦しみを自分の苦しみとできる心」,「自然愛護」,「誠実であること」・・・これらを忘れたら,学力は人を幸せにするどころか「凶器」となる.数値化して測ることが出来ないが,本当はこういうことで「競争」してもらいたいものだ.
私は「学力競争」は否定しない.「競争」はギャンブルみたいなもので,本当は「楽しい」はず.当然そうなれば「1位から最下位」まで順位を公開すべき.学業成績などというちっぽけなものはプライバシーではないのだ. 1位や最下位であってもそれは「人間の能力のごくごく小さい部分の評価」なのだから,威張ったり自分を卑下するのは無意味のはず.「学力が全て」だと思うから最下位が恥ずかしかったり,たかが1位で優越感を持つ.こんなくだらないことはないのだが.「笑顔の最下位」ですよ.
2006.12.25追記>「脳が汗をかかなければならない.」
2000年4月,新入生に対し数学を勉強する理由,意味をアンケートで答えさせた.それに対するコメント
「お金などの計算に使う」
これは算数だと思うのだが.
「進学や就職に役立つ」
とりあえず目の前のテストの突破ということかな.数学が役に立たないものなら,なぜそれでテストをするのだろうか.「学校で習うからそれを選抜テストで利用する」というなら,なぜ学校で習うのだろう.「選抜テストで数学がある」から? どうどうめぐり.選抜テストで「数学」があるのは,「数学を使うから」ということもあるかもしれないが,どちらかというと「数学の素養が必要だから」というのも多いと思う.
「数学を使わない仕事に就きたい」
そういう意味で,「素養」は必要.しかしほとんどの仕事は「知識としての数学は使わない」から安心してよい.
「数学はなくても何とかなるけどあったほうがいいもの」
まぁすべての学問について言える.世の中の80%以上の人にとって学問は不要でしょう.しかし現代の便利な生活を支えるために20%の人には,高い報酬をもらっていいから頑張ってもらわないと.
「数学は国語に似ていると思う」
数学は科学を記述する言語です.言語であるなら「国語に似ている」のも当然です.
「歴史は覚えるだけだが,数学は創造性を育てる」
これを聞いた歴史の先生は悲しいだろうな.歴史を学ぶのは年号を覚えるためではありません.歴史に学び,未来を創造するために学ぶのです.その時,事件の流れをつかむために年号などを使うのです.たとえば「794年平安京遷都」というのがあるが,ただなんとなく場所を移したわけではないだろう.奈良の都を捨てて平安京をつくる必然があったはず.そのときどんな事件があって,どんな人物がどう活躍したかを知れば平安遷都が794年というのは「当然のこと」になってくる.これが歴史の学びかただよ.歴史は,その事件を通して人間の生き様,強さ,弱さを学び,人生の糧にし,未来を創造する.それが目的だと思う.
「数学は日常生活には役に立たないのではないか」
まったくそのとおり.私も日常生活では使いません.その意味では数学以外のすべての教科も当てはまります.小学校高学年以上の内容はどの教科も日常生活で使いません.でも空気のように役立ってます.
「論理的思考力,表現力を養う.」
数学でなくても養えます.囲碁や将棋やオセロが強くなれば養える.でも学問全体はこの素養が必要で,どの教科でも養える.
「頭を使わないと堕落する」
サルに戻るね.
「社会で役立つ」
社会の要請でもある.つまり「数学そのもの」ではなく,数学で鍛えた「柔軟な思考」がますます求められる社会になってきています.まぁ,実際に数学の知識は使わなくとも,その柔軟な頭脳は空気のように大切.日常でその大切さを感じ取るのは難しい.
「必要があるから学ぶのではなく,知りたいから学ぶ.」
人間の本能ですね.これがサルとの違い.
「好きだからやる.社会で役立つのは副産物」
まぁ,個人的にはそう.「役立つ」ことを見越して勉強しても身につかない.無論,社会の要請で数学も発達しているのだが.
「可能性を広げるために必要」
その前向きの姿勢がよい.自身の無限の可能性をどこまで信じることが出来るか.
「数学にはセンスや才能がものをいうのだろうか」
センス,才能がものをいうのかもしれないが,中学,高校の6年間くらいでは判断できない. 20年くらい努力をつづけてはじめてわかる.つまり大部分の人は短期間で勝手に結論づけているわけだ.
「大学の専門教育の準備期間としての高校」
それはいえる.しかし,それなら予備校だけでもよい.高校の存在は知識を増やすだけではなく,それを通じて知識の獲得方法も学ぶ場でもある.さらに,人として集団への関わり方を学ぶ最後の期間でもある.生徒総会とか,全校で合唱祭なんて,高校が最後でしょう.実は大学も「知識を増やす場」以上に,「知識獲得のスキルの向上」が本来の目的であると思います.知識が増えても行動に出なければ意味がないからです.それを簡単に言えば「平和と人権」のテストでいい点とる奴が平気で人をいじめるようなもんです.
「古代からある文化遺産としての数学を学ぶ」
人類はそうやって発展してきた.
「円周率は現在でも計算をしつづけているらしいが,いつか割り切れる日がくるのだろうか」
円周率は無理数であることが証明されています.つまり循環しない無限小数であることが証明済み.今行われている円周率の計算は,コンピュータ利用技術の競争.つまり「うちの技術だと市販のパソコン使って3時間で50億桁計算できたよ.」と自慢するために行われている.技術力の高いところのソフトは「売れる」わけだ.
「数学は答えがスパッとでるからよい」
数学者は常に数十から数百の未解決の問題を考えていて,ほとんど解けなくて,たまに解けると「論文」として発表するのが仕事です.みんなのやってる数学は「古典」で,すでに解決済みのものばかりだからかならず答えがあります.答えがあるかどうかわからない問題を解くのが,本当の数学です.
「答えがひとつだから好き」
他の教科もテストの答えはひとつでしょう.でないとテストはできないはず.よく引き合いに出されるのは国語のテストです.「国語はたくさん答えがある」という人がいるが,本当だろうか.試しに,どの国語のテストでもよいから,何通りの答えがあるか数えてみてほしい.「与えられた文章」をもとに「読み取り」を問題にしたり,「指示語」の指示する文を答えさせたり,「要約」を表す文を抜書きさせたりする場合,「もっとも適切な客観的な答え」はただ一つのはずで,そうでなければ「テスト」にならない.逆に「作文などは個性が出るよ」というかもしれない.もちろんそう.これは数学でも「証明」についていえること,証明の方法など一通りではない.それこそ「個性爆発」だ.記述式の数学の問題などは「作文」のようなものです.
「図形が苦手できらい」
計算より図形が苦手なのは普通です.あたまの使い方のレベルから考えると当然です.逆の人はまずいないでしょう.
「数学を学んでいくうちに興味を持ち,将来仕事に役立ち,科学が発展し,人々の生活の向上につながる.」
これが「全員にやらせる」理由だね.この科学文明を支える人を見つけ出すには「全員にやらせて興味を持つ者,得意な者」を探すしかない.エジソンやアインシュタインは「低学力児」だったそうで,たかが学校教育の十数年くらいでは「数学の向き不向き」の判定はできない.したがって,日常生活の部分は小学校で6年かけ,中学,高校とさらに5,6年かけて「全員」に数学をやらせ,「興味を持つもの,得意な者」を見つけだそうというわけだ.さらに文科系の大学へ行っても1年の「一般教養」では「自然科学の分野」から2科目程度は選択しなければならず,人によっては数学を選択することになる.したがって,たかが数年間で「数学はいらない」と判断され,数学の素養のない人が大量に社会に送り出された場合,現代の便利な生活を支える上で不都合が生じるかもしれない.日常生活では意識しなくてもこの便利な生活は科学が支えている.その科学の記述に数学は不可欠.だれも数学をやらなくなったら,この便利な生活はなくなってしまう.しかし,科学は地球破壊,人類滅亡の手段ともなっている.だからといって,いまさら原始時代の生活にはもどれない.世界の飢餓や地球の環境破壊を救えるのは,一人一人の意識とそれを支える科学だ.そのための基礎として数学を学ぶわけだ.さらに,現代の民主主義を支えるのも「科学技術」です.直接民主制はせいぜい学校の生徒総会が人数の上限.民主主義が成り立つには,知りたい情報がいつでも手に入れることができることが必要.情報を手に入れるには「科学技術」の支えがなくてはできません.
自己PRから
「少しのことではへこたれないのでしごいてください」
人生修行ですね.苦労は買ってでもせよと,昔から言われます.現代社会はなかなか苦労できないですから.
「学ぶ意味はよくわからない」
これがみんなの本音でしょう.本当の意味で学ぶ意味がわかるのは「全て学んでから」でしょうね.数学に限らず食わず嫌いはよくない.勝手に自分を「文系,理系」と興味の範囲を制限すること自体,自分の能力を矮小化して狭めていることに気付くべきだと思う.
「なかなかやり方を思いつかない」
これは普通のこと.受験生で全てのやり方を自分で気付いた人は皆無のはず.つまり大抵は答えを見て理解してやり方を覚えたのだ.数学を学ぶ目的が「問題を解くこと」に堕しているひとの勉強法だ.もちろん,目前に「受験」が迫っているならある程度仕方がないが,「これが数学」と思われると,数学がいかにも安っぽいよ.本当は「考えること」だ.それが人間の証だから.
「答えを求めるのが数学」
「問題を解く」のは数学理解の手段であって,目的ではない.数学を通じて,数学的世界観や発想,思考を身に付けるのであって,決して「問題を解く」のが目的ではない.
「苦手だけど好き」
こりゃまったく私と同じです.得意といえる人がうらやましい.得意だったら教員なんかやってない.研究者になっていた.そんな実力がないけど,好きだから教員をやっている.職業としての研究者ではないが,研究はしているつもり.
「高校の数学は難しくて大変そう」
だから楽しい.難しくて大変そうだからファイトが沸きませんか?楽したいならサルと同じかも.
「医師も目指したいけど,歌手になるのも夢」
夢は大きければ大きいほどいい.どうせかなわないのだから.もしかなったならめっけもの.かなわなくても大きな夢に向かっての死に物狂いの努力は人生の宝になる.要領のよさだけでも,この豊かで平和な世の中はわたれるが,残るのはむなしさだけだろうなぁ.
「自分は理系じゃない」
理系じゃなくても,高校程度の数学の素養は必要.私は3年で選択になる数学Ⅲと古文Ⅱは全員必修であるべきだと思う.
「自分は頭が硬い」
よく「若い柔軟な頭脳」という言い方をします.私は間違っていると思います.若者は常識を覆して,新しい文化を生み出すだけであって,それは柔軟な頭脳ではないと思います.柔軟な頭脳は訓練によってしか身につきません.したがって,本当なら年寄りほど頭脳は柔軟です.しかし,若い頃の頭の硬さのまま,やわらかくすることなく年をとり,硬い頭脳ゆえ「常識どおり」の楽な生き方をする年寄りが多いだけです.よくテレビの取材を受けるようなクリエイティブなお年寄りを見ると「この人は,今でも発展中だな」と思います.そういう人は若者のようにイタズラに常識を覆すこともしませんが,かといって決して頭脳は硬くありません.あこがれるなぁ.一生修行するしかありませんね.
「平等な授業にしてほしい」
平等ってどんな意味だろう.「字の大きさ,声の大きさなど座席の位置による不平等を・・・」そういうことね.そのくらいは気をつけられるな.まぁ,聞こえないときや見えないときはその都度教えてくれればいい.法律などの社会制度は万人に平等であるべきだろうが,おれは「制度」じゃなくて「人間」だからなぁ.自分自身は,不平等や理不尽やえこひいきが好きだから困る.世の中,制度は平等でも,人間は不平等.だって,それが普通の社会だ.自分の生まれた家を見ればわかるでしょ.隣のうちとはだいぶ違うはず.私の場合は特に,何らかのペナルティーを科すときは理不尽なことが起きるといってよい.あ,でも,成績は平等につけるよ.ペナルティーは記録しないから大丈夫.つまり記録しないゆえ,行き当たりばったりの思いつきのものになるんだ.成績は記録できる客観的で数値化が可能なものだけでつけるから心配ご無用.
「授業中に寝てしまうかも」
高校は義務教育じゃないから,自分の責任で,いいんじゃない.睡眠して,留年でも退学でも,選択肢はいろいろあるよ.まぁ,テストでいい点取れば大丈夫.中学校は全部休んでも卒業したいといえば,卒業可能だけど,高校は不可能.でも,数学は独学はまず無理だ.予習復習はできなくても,授業は大切にして欲しい.授業を理解していれば,予習復習しなくても試験前に何とかなる.これが試験直前に独学になるようでは,ダメだ.最も無駄な時間の使い方だ.
「あれこれ考えるのがすき,未来の地球とか,人間の存在意義とか」
人生の目的はズバリ「遊ぶため.」これは表面的な遊びではなく,苦しみを苦しみとして真剣に対決し,楽を楽として,苦楽ともに遊び演じきるのが人生の目的だと思う.
「試験第一主義の教育に疑問を抱いている」
これは「学校という社会システム」がそうだから仕方がないでしょう.勉強は本来,人間の持っている「知らないことを知りたい」という「本能的な生きる力」で,試験などで他人から強制されるものではない.しかし試験のない世界で,皆が勉強にいそしむほど人間は発達していない.だから馬車馬のように尻をたたかれながら勉強したい人は「学校という社会システム」に乗ればいい.自分の力で勉強が可能な人は,別にそんなシステムに乗る必要はないし,そういう人もたくさんいる.だから高校以上は義務教育ではないのだ.学歴社会を否定し,社会で活躍している人はたくさんいる.
しかし現代の便利な社会を支えてくれている人のほとんどは,そのシステムの中で能力を磨いた人たちです.さらにしかし,学力は常に「能力の一面であって全てではない」ということは忘れてはならないと思う.もっと大切な「人を思いやる心」,「他人の苦しみを自分の苦しみとできる心」,「自然愛護」,「誠実であること」・・・これらを忘れたら,学力は人を幸せにするどころか「凶器」となる.数値化して測ることが出来ないが,本当はこういうことで「競争」してもらいたいものだ.
私は「学力競争」は否定しない.「競争」はギャンブルみたいなもので,本当は「楽しい」はず.当然そうなれば「1位から最下位」まで順位を公開すべき.学業成績などというちっぽけなものはプライバシーではないのだ. 1位や最下位であってもそれは「人間の能力のごくごく小さい部分の評価」なのだから,威張ったり自分を卑下するのは無意味のはず.「学力が全て」だと思うから最下位が恥ずかしかったり,たかが1位で優越感を持つ.こんなくだらないことはないのだが.「笑顔の最下位」ですよ.
2004年10月17日日曜日
円周率の数値計算
円周率は円周と直径の比である.
たくさんの桁数が求まっている.
もちろんこれも実測するわけではない.円周率に収束する式がある.
高校の知識で求まる公式の一つが,ライプニッツの公式.
\[1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}+\frac{1}{9}-\frac{1}{11}+\cdots=\frac{\pi}{4}\]
というもの.
ここから先はくろべえのメモ・・・・
たくさんの桁数が求まっている.
もちろんこれも実測するわけではない.円周率に収束する式がある.
高校の知識で求まる公式の一つが,ライプニッツの公式.
\[1-\frac{1}{3}+\frac{1}{5}-\frac{1}{7}+\frac{1}{9}-\frac{1}{11}+\cdots=\frac{\pi}{4}\]
というもの.
ここから先はくろべえのメモ・・・・
2013年1月31日木曜日
sine の形
ラジアン(π=180度)をやると,πが角度の単位のように見えてくる.πは単位ではなく,円周率 3.14159である.
だから,グラフの目盛りを書くときは,
「π/2 = 1.6(90度)」
のように書くようにしている.
y=sinθのグラフ.
半周π=3.14(180度),1周2π=6.3(360度) になるようにグラフを描くとこうなる.
y=1 になるのは π/2 = 1.6(90度),y=-1 になるのは 3π/2 = 4.7 (270度)
すると,ラジアンの定義を忘れた生徒が
「どうして 1.6 が90度?」
と聞いてくる.
「一周が2πrだから,一周の角を2πにした.半周でπ=3.14,90度でπ/2=1.6」
>以前の記事
でも,3.14 とか 1.6 を目盛りにとるのがめんどうなので,
「πは3に近いから1の目盛り3個分でいい」
ということにする.
だから,グラフの目盛りを書くときは,
「π/2 = 1.6(90度)」
のように書くようにしている.
y=sinθのグラフ.
半周π=3.14(180度),1周2π=6.3(360度) になるようにグラフを描くとこうなる.
y=1 になるのは π/2 = 1.6(90度),y=-1 になるのは 3π/2 = 4.7 (270度)
すると,ラジアンの定義を忘れた生徒が
「どうして 1.6 が90度?」
と聞いてくる.
「一周が2πrだから,一周の角を2πにした.半周でπ=3.14,90度でπ/2=1.6」
>以前の記事
でも,3.14 とか 1.6 を目盛りにとるのがめんどうなので,
「πは3に近いから1の目盛り3個分でいい」
ということにする.
2011年11月10日木曜日
アルキメデス
すイエんサー の中の5分アニメ,マリー&ガリー.今回は,アルキメデス.
そこで出てきた彼の業績が3つ.
てこ,アルキメデススクリュー,円周率.
円周率は数学としても,やはり物理的なもののほうが多いな.
たとえば,アルキメデスの原理といえば,普通は浮体の原理だろう.つまり,風呂にざぶっと入って,ひらめいて,「エウレーカ!」とストリーキングした原理.
ガリーが「数学者だろ!」って突っ込みいれてたけれど,アルキメデスは数学者.
数学の本でアルキメデスの原理と言ったら,浮体の原理ではなく,
あたりまえだが,アルキメデスは,この命題を球の体積や表面積を求める際の議論の出発点とした.
この命題は,実数論では,連続の公理など(上に有界な集合は上限を持つ)から証明はできる.
まぁ,言っていることは,数列 na には上界がないことだから,
lim na = ∞
と同値である.
a=1 なら
lim n = ∞
なので,それとも同値で,lim (1/n) =0 とも同値.
実数(順序体)で,これを取り上げる理由は,順序体の中には,これが成り立たないものを作ることができるからではある.
実数ではいつも成り立つから,実数がひとつながりであることがわかる.
そこで出てきた彼の業績が3つ.
てこ,アルキメデススクリュー,円周率.
円周率は数学としても,やはり物理的なもののほうが多いな.
たとえば,アルキメデスの原理といえば,普通は浮体の原理だろう.つまり,風呂にざぶっと入って,ひらめいて,「エウレーカ!」とストリーキングした原理.
ガリーが「数学者だろ!」って突っ込みいれてたけれど,アルキメデスは数学者.
数学の本でアルキメデスの原理と言ったら,浮体の原理ではなく,
どんな正の数a, b をとっても,na>b となる自然数 n が存在する.
あたりまえだが,アルキメデスは,この命題を球の体積や表面積を求める際の議論の出発点とした.
この命題は,実数論では,連続の公理など(上に有界な集合は上限を持つ)から証明はできる.
まぁ,言っていることは,数列 na には上界がないことだから,
lim na = ∞
と同値である.
a=1 なら
lim n = ∞
なので,それとも同値で,lim (1/n) =0 とも同値.
実数(順序体)で,これを取り上げる理由は,順序体の中には,これが成り立たないものを作ることができるからではある.
実数ではいつも成り立つから,実数がひとつながりであることがわかる.
2013年6月21日金曜日
関孝和
BS歴史館.いつも斬新な切り口で歴史を紹介する番組である.
今回は「江戸のスーパー日本人(1)」で関孝和を取り上げていた.
算数レベルの江戸時代の和算を一気に「数学」レベルにしてしまった偉人である.
江戸時代,塵劫記が出版され,空前の和算ブームが起きたが,和算は,問題ごとに解き方を考えるという,まさに算数レベルのアプローチをしていた.
そこへ,どんな問題でも解いてしまう手法を確立して一気に和算を,現在の大学レベルに押し上げてしまったのだ.
数列の和には関-ベルヌーイ数が必要となる.>以前の記事「規則性あるの?」
>Wikipedia
円周率の計算にはやはり微積分の知識が必要となる.>以前の記事「円周率の数値計算」
同時代,ニュートン,ライプニッツ,ベルヌーイ ・・・が確立した数学を,日本で勘定方の役人をしながら独自に確立したのであった.
関孝和の業績を理解するには,大学レベルの数学の素養が必要となる.
今回は「江戸のスーパー日本人(1)」で関孝和を取り上げていた.
算数レベルの江戸時代の和算を一気に「数学」レベルにしてしまった偉人である.
江戸時代,塵劫記が出版され,空前の和算ブームが起きたが,和算は,問題ごとに解き方を考えるという,まさに算数レベルのアプローチをしていた.
そこへ,どんな問題でも解いてしまう手法を確立して一気に和算を,現在の大学レベルに押し上げてしまったのだ.
数列の和には関-ベルヌーイ数が必要となる.>以前の記事「規則性あるの?」
>Wikipedia
The Bernoulli numbers were discovered around the same time by the Swiss mathematician Jakob Bernoulli, after whom they are named, and independently by Japanese mathematician Seki Kōwa. Seki's discovery was posthumously published in 1712[1][2] in his work Katsuyo Sampo; Bernoulli's, also posthumously, in his Ars Conjectandi of 1713.連立方程式を一般的に解こうとすると,当然「行列式」に行き当たる.以前の記事「授業担当者変更?」,以前の記事「ハミルトン・ケーリー」
円周率の計算にはやはり微積分の知識が必要となる.>以前の記事「円周率の数値計算」
同時代,ニュートン,ライプニッツ,ベルヌーイ ・・・が確立した数学を,日本で勘定方の役人をしながら独自に確立したのであった.
関孝和の業績を理解するには,大学レベルの数学の素養が必要となる.
2004年10月6日水曜日
角度
1周は360度.その由来
古代メソポタミア以来用いられてきた太陰暦では1ヶ月30日で,1年360日だったから.
その1年→1周に読み替えて,角度表示の定義に転用したものだろう.
ただそれだけ.
「旧暦」は1年360日,5日足りず,そのおかげで旧暦は6年に1度閏月がある.
数年前,中秋の名月10月15日が2ヶ月連続した.(旧暦ではいつも15日が満月,7日と23日が半月,逆に月の形で日付がわかる)
これはたまたま月が30日(29.5日)で満ち欠けが1周するからなのだが,31日とか29日じゃなくてよかったなー.
360は約数が多いから,1周を分割するときに割り切れる数が多くて,その意味でも都合がよい.
2千万年(2千年じゃないよ)前は,月は今より地球に6千キロ近く,周期は距離の3/2乗に比例(ケプラーの法則)するから
((380000-6000)/380000)^(3/2)*29.5=28.8 日
1ヶ月が29日だった.
今より20,000,000年前に人類が出現して暦を作ったら,1年を12ヶ月にすべきか.13ヶ月にすべきか悩むところだし,13ヶ月として1年377日(12日も余る),1周377度では不便だよなー
あと,2~3千万年遅くても31日になっていたわけだし・・・便利な時期に出現したものだ.
女性の体の周期は28日.それは4~5千万年前の月の満ち欠けの周期.
海洋生物なら,潮の干満で常に最新の月の運行に合致させるだろうが,その点陸に上がった生物では,月の運行は無関係になるから,そちらの進化はストップしたのだろうな.
さて,1周360度の角度の測り方は,このように数千年前に確立したものではあるが,もう一つ「弧度法」という測り方がある.
半径が倍になれば周の長さも倍だから,周の長さと半径の「比」で角度を表そうという方法.
1周は直径の円周率π倍だから,半径の2π倍である.ここで1周の角度を2πと決める.
半周の180度はπ,90度はπ/2,30度はπ/6=0.523598776 という具合である.
数値的には切れが悪くて扱いづらいが,これは純粋に「長さ」を用いた定義なので,長さに関して一貫した理論が作りやすい.
角度表示はうっとうしいものがあるが,微積分学では弧度法を用いると,余計な「定数倍」が無くなって逆に煩雑さが無くなる.
xが弧度法なら sin x の微分は cos x
θが度数法(1周360度)なら sinθ の微分は (π/180)cosθ なんてことになってしまって,面倒なことこの上ない.
古代メソポタミア以来用いられてきた太陰暦では1ヶ月30日で,1年360日だったから.
その1年→1周に読み替えて,角度表示の定義に転用したものだろう.
ただそれだけ.
「旧暦」は1年360日,5日足りず,そのおかげで旧暦は6年に1度閏月がある.
数年前,中秋の名月10月15日が2ヶ月連続した.(旧暦ではいつも15日が満月,7日と23日が半月,逆に月の形で日付がわかる)
これはたまたま月が30日(29.5日)で満ち欠けが1周するからなのだが,31日とか29日じゃなくてよかったなー.
360は約数が多いから,1周を分割するときに割り切れる数が多くて,その意味でも都合がよい.
2千万年(2千年じゃないよ)前は,月は今より地球に6千キロ近く,周期は距離の3/2乗に比例(ケプラーの法則)するから
((380000-6000)/380000)^(3/2)*29.5=28.8 日
1ヶ月が29日だった.
今より20,000,000年前に人類が出現して暦を作ったら,1年を12ヶ月にすべきか.13ヶ月にすべきか悩むところだし,13ヶ月として1年377日(12日も余る),1周377度では不便だよなー
あと,2~3千万年遅くても31日になっていたわけだし・・・便利な時期に出現したものだ.
女性の体の周期は28日.それは4~5千万年前の月の満ち欠けの周期.
海洋生物なら,潮の干満で常に最新の月の運行に合致させるだろうが,その点陸に上がった生物では,月の運行は無関係になるから,そちらの進化はストップしたのだろうな.
さて,1周360度の角度の測り方は,このように数千年前に確立したものではあるが,もう一つ「弧度法」という測り方がある.
半径が倍になれば周の長さも倍だから,周の長さと半径の「比」で角度を表そうという方法.
1周は直径の円周率π倍だから,半径の2π倍である.ここで1周の角度を2πと決める.
半周の180度はπ,90度はπ/2,30度はπ/6=0.523598776 という具合である.
数値的には切れが悪くて扱いづらいが,これは純粋に「長さ」を用いた定義なので,長さに関して一貫した理論が作りやすい.
角度表示はうっとうしいものがあるが,微積分学では弧度法を用いると,余計な「定数倍」が無くなって逆に煩雑さが無くなる.
xが弧度法なら sin x の微分は cos x
θが度数法(1周360度)なら sinθ の微分は (π/180)cosθ なんてことになってしまって,面倒なことこの上ない.
2006年8月4日金曜日
sin1度の厳密解
sin1ではなくsin1度.
普通は級数展開(マクローリン展開)
\[\sin x=x-\frac{x^3}{3!}+\frac{x^5}{5!}-\frac{x^7}{7!}+\cdots\]
を使えば任意の精度で求まるので,コンピュータで数値計算を行う場合はこの式を使う.(ただし,エクセルなどはCPUに組み込まれた関数を呼び出しており,CPUの関数は CORDIC を用いている.)
たとえば,角度が1(ラジアン)のとき,sin1なら
\[\sin 1=1-\frac{1}{3!}+\frac{1}{5!}-\frac{1}{7!}+\cdots = 0.841470985\]
で あるが,1(ラジアン)は半径と同じ長さの弧長に対する円の中心角なので,それに対する sin1 は有理数係数の代数方程式の解にはならない.(古代ギリシャの3大問題,「円周率と同面積の正方形の作図不可能」に帰着する)したがって,1(ラジアン)の角は,コン パスと定規で作図できない.
60度=π/3=1.04719755 なので,sin 1 は sin60度=0.866025404より少し小さい.
sin1度なら
1度=π/180=0.0174533
なので,sin1度は
\[0.0174533-0.0174533^3/6+0.0174533^5/120-0.0174533^7/5040\]
くらいまでやれば十分である.> google電卓
sin1度としては十分の精度である.> google電卓
1度は,中心角を360等分した大きさなので,sin1度は代数方程式の解になる.
したがって,ここでは敢えて代数方程式を解き,整数の加減乗除と累乗根を用いて厳密解を求めるという,不毛の作業を行ってみる.
流れとしては36度の三角比(sin cos)と30度のそれを使って 6度の cos を求め,半角公式で3度を求め,3倍角公式を逆算して1度にする.
普通は級数展開(マクローリン展開)
\[\sin x=x-\frac{x^3}{3!}+\frac{x^5}{5!}-\frac{x^7}{7!}+\cdots\]
を使えば任意の精度で求まるので,コンピュータで数値計算を行う場合はこの式を使う.(ただし,エクセルなどはCPUに組み込まれた関数を呼び出しており,CPUの関数は CORDIC を用いている.)
たとえば,角度が1(ラジアン)のとき,sin1なら
\[\sin 1=1-\frac{1}{3!}+\frac{1}{5!}-\frac{1}{7!}+\cdots = 0.841470985\]
で あるが,1(ラジアン)は半径と同じ長さの弧長に対する円の中心角なので,それに対する sin1 は有理数係数の代数方程式の解にはならない.(古代ギリシャの3大問題,「円周率と同面積の正方形の作図不可能」に帰着する)したがって,1(ラジアン)の角は,コン パスと定規で作図できない.
60度=π/3=1.04719755 なので,sin 1 は sin60度=0.866025404より少し小さい.
sin1度なら
1度=π/180=0.0174533
なので,sin1度は
\[0.0174533-0.0174533^3/6+0.0174533^5/120-0.0174533^7/5040\]
くらいまでやれば十分である.> google電卓
sin1度としては十分の精度である.> google電卓
1度は,中心角を360等分した大きさなので,sin1度は代数方程式の解になる.
したがって,ここでは敢えて代数方程式を解き,整数の加減乗除と累乗根を用いて厳密解を求めるという,不毛の作業を行ってみる.
流れとしては36度の三角比(sin cos)と30度のそれを使って 6度の cos を求め,半角公式で3度を求め,3倍角公式を逆算して1度にする.
2006年12月30日土曜日
何にでも番号をつける
昨日のつづき.
整数も有理数も自然数と1対1.つまり番号が振れるので,「可付番」とか「可算」ということがある.
「並べられれば可付番で,濃度は自然数と同じである.」
昨日は偶数や有理数に番号を振ってみた.
実は無理数の一部にも番号が振れる.
たとえば整数係数の代数方程式(いわゆる○次方程式),
$4x+3=0$,$3x^2-2x+1=0$,…
も1次,2次,…の順で係数も1から順に大きくしていけば,原理的にはすべてを並べられるはずから,これらの解になる無理数も「可付番」となる.
したがって,無理数の中でも$\sqrt{2}$とか$\sqrt[3]{5}$なども並べた代数方程式の解の中にあるはずだから,自然数と1対1の番号が振れる(可付番).
だから,昨日の記事で,
「自然数の濃度=有理数の濃度<実数の濃度」
と書いたが,√2とかの代数方程式の解の無理数をいくら動員しても自然数の濃度と同じといえる.
実際に濃度がでかいのは,「無理数」の中でも代数方程式の解にならない円周率や自然対数の底である「超越数」の濃度だが,個々の無理数が超越数であるかどうかは難しい問題で「超越数」とわかっている無理数は数えるほどしかない.
たとえば,小数0.101001000100001000001…は規則的に並んでいるから式を使って
$\frac{1}{10}+\frac{1}{1000}+\frac{1}{1000000}+\frac{1}{10000000000}+\frac{1}{1000000000000000}+\cdots$
つまり
$\sum_{n=1}^{\infty}\frac{1}{10^{\frac{n(n+1)}{2}}}$
と書ける.
規則的だが,その規則性から循環しない無限小数であることがわかる.したがって,無理数であることは明白だが,これが代数方程式の解になるかどうかはわからない.(これは自分の知識・学力が不足しているだけかも知れぬが)
整数も有理数も自然数と1対1.つまり番号が振れるので,「可付番」とか「可算」ということがある.
「並べられれば可付番で,濃度は自然数と同じである.」
昨日は偶数や有理数に番号を振ってみた.
実は無理数の一部にも番号が振れる.
たとえば整数係数の代数方程式(いわゆる○次方程式),
$4x+3=0$,$3x^2-2x+1=0$,…
も1次,2次,…の順で係数も1から順に大きくしていけば,原理的にはすべてを並べられるはずから,これらの解になる無理数も「可付番」となる.
したがって,無理数の中でも$\sqrt{2}$とか$\sqrt[3]{5}$なども並べた代数方程式の解の中にあるはずだから,自然数と1対1の番号が振れる(可付番).
だから,昨日の記事で,
「自然数の濃度=有理数の濃度<実数の濃度」
と書いたが,√2とかの代数方程式の解の無理数をいくら動員しても自然数の濃度と同じといえる.
実際に濃度がでかいのは,「無理数」の中でも代数方程式の解にならない円周率や自然対数の底である「超越数」の濃度だが,個々の無理数が超越数であるかどうかは難しい問題で「超越数」とわかっている無理数は数えるほどしかない.
たとえば,小数0.101001000100001000001…は規則的に並んでいるから式を使って
$\frac{1}{10}+\frac{1}{1000}+\frac{1}{1000000}+\frac{1}{10000000000}+\frac{1}{1000000000000000}+\cdots$
つまり
$\sum_{n=1}^{\infty}\frac{1}{10^{\frac{n(n+1)}{2}}}$
と書ける.
規則的だが,その規則性から循環しない無限小数であることがわかる.したがって,無理数であることは明白だが,これが代数方程式の解になるかどうかはわからない.(これは自分の知識・学力が不足しているだけかも知れぬが)
2007年8月29日水曜日
display2d: false;
Maxima を使っていて,巨大数や桁数の多い小数を表示させると桁数を省略してしまうのが何とかならんの?
2^512;
134078079299425970995740249982[95 digits]8828119465699464336
49006084096
小数を200桁表示させる命令のあと,円周率を表示.
fpprec:200;
bfloat(%pi);
3.1415926535897932384626433832[143 digits]521105559644622948
9549303819b0
と途中の95桁とか,143桁を省略してしまう.
生徒に見せるのに,でかい数がそのまま表示されるとそれだけで感動してくれるので,ちょっと困ったなと思ったけれど,解決.
display2d: false;
を実行する.
2^512;
134078079299425970995740249982058461274793658205923933777235
614437217640300735469768018742981669034276900318581864860508
53753882811946569946433649006084096
bfloat(%pi);
3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749
445923078164062862089986280348253421170679821480865132823066
470938446095505822317253594081284811174502841027019385211055
596446229489549303819b0
と解決.
もともと
display2d: false;
は数式表示を2次元表示(添え字の上下を考慮)
$x^2+y^2$
からテキスト表示
x^2+y^2
にするための命令だが,こんなところに効いてくるとは.
2^512;
134078079299425970995740249982[95 digits]8828119465699464336
49006084096
小数を200桁表示させる命令のあと,円周率を表示.
fpprec:200;
bfloat(%pi);
3.1415926535897932384626433832[143 digits]521105559644622948
9549303819b0
と途中の95桁とか,143桁を省略してしまう.
生徒に見せるのに,でかい数がそのまま表示されるとそれだけで感動してくれるので,ちょっと困ったなと思ったけれど,解決.
display2d: false;
を実行する.
2^512;
134078079299425970995740249982058461274793658205923933777235
614437217640300735469768018742981669034276900318581864860508
53753882811946569946433649006084096
bfloat(%pi);
3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749
445923078164062862089986280348253421170679821480865132823066
470938446095505822317253594081284811174502841027019385211055
596446229489549303819b0
と解決.
もともと
display2d: false;
は数式表示を2次元表示(添え字の上下を考慮)
$x^2+y^2$
からテキスト表示
x^2+y^2
にするための命令だが,こんなところに効いてくるとは.
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