2002年12月30日月曜日

安物買い

10月に洋服の青山でスーツを買ったときに,カードを作らされたのだけど,カード会員向けに「半額券」が贈られてきたので,乗せられることにした.
3万以上のスーツ,1万6千以上のジャケット半額.っちゅうことで,スーツはあるからジャケットが欲しかった.
店頭価格もだいぶ安くなっていて1万切っているジャケットもある.「半額」のためなら1万6千を超えている結構いいジャケットになるけど,まぁいいか.
で,通常価格4万のカシミアのジャケットが年末安売りの2万3千になっていて,さらにそこから半額すると言う.着心地はやっぱカシミアは軽くて柔らかくていいなー.で決めた.11500円.

あと,それに合わせたカジュアルシャツ 1950,仕事着の Yシャツ 980×2
寒いのでブルゾン上下 1900.
をレジで打ってもらっていたら,ほかの店員が「このコート1000円でいかが?」「この靴1000円でいかが」で,乗せられてしまった.

ここまで合計19310 でカード会員なので,5%=966円引きの18344 これに消費税 917 を加えて 19261 だけど,前回のポイントを行使して 2300円安くなって 16961円也.
ものすごい量を買い込んでこの金額なら満足.まぁカシミア以外は安物だけど,そもそも安物を買いに行ったのだ.

2002年12月23日月曜日

またまた電波時計

電波時計気に入った.
目覚まし時計を買った.いままでの目覚まし時計は丸いので,薄暗いところで時間を見ると,上下左右がわからず「???」だし,秒針の音がとてつもなくでかい.
で,先日の壁掛け電波時計が気に入り,目覚ましも当然電波.そして暗くなると秒針が止まる.デザインも文字盤が大きく,上下左右もすぐわかる(まぁ普通はそうだ^^)

やはりリセットでぐるぐる回って正しい時刻に合わせる.
壁掛け時計とならべると,当たり前だけど(^^),動きが同じだ.わかっていても気持ちがいいな.
今度もやはり秒針が動いていても,やっぱり静か.これなら止まらなくてもいいくらいだ.
そして,この時計は10秒に1度長針が動く.

暗くすると0秒で秒針が止まる.長針は10秒ごとに刻み続ける.あかるくすると「ごめん!ちょっとまって」と言っているようにそそくさと秒針が回って正しい秒を刻み始める.

2002年12月16日月曜日

電波時計

壁掛けの電波時計を買った.

電池を入れ,リセットボタンを押すと,まず秒針,長針がぐるぐるまわって0時0分0秒になる.
そして電波を受信すると秒針が刻み始め,長針がぐるぐる回って正しい時刻で止まる.
おもしろいけど,恐怖映画の時計のシーンみたいでちょっと怖い(^^;)

あたりまえのことだけど,テレビの時報と同じなのはきもちがいい.
時刻を合わせる機構のために,秒針と長針は別のモーターのようである.長針は15秒に1度しか刻まない.
今回の時計の機能にはないが,暗くなると秒針が止まり,静かになる時計もある.秒針が別モーターなら当然できることだね.
夜の秒針ってけっこううるさいけど,この時計の秒針は十分に静か.これも技術革新なのかな.

2002年10月29日火曜日

おわったー

4月から教科書の指導書を書いていて,昨日出版社にメールで送りった.たかが2万2千字,教科書15ページ分の解説だけど,字を書くというのは力仕事だということを実感した.

そんで,6月から授業はすべてプリントでやっていて,こちらも教科書の最後まで作り終えた.
なんと400ページジャストになった.

2002年10月5日土曜日

スキルアップに王道なし

基本的には極めてシンプルなことだ
(1)分からないことは人に聞かず,必ず自分で調べる(人に聞かれてもすぐには教え ない,という周囲の人々の“親切さ”も必要)。
(2)2~3時間かかっても,とことん調べる。
(3)1つの情報で満足しない(他にもっといい情報があるのではないかと考え,調べ直 してみる)。
(4)調べた後は,必ず「手を動かして」,動作を確かめてみる。
(5)英語の技術文書を嫌がらない

2002年9月27日金曜日

金髪終了

だいぶ髪が伸びて,根元が黒くなったので,短く切れば黒くなる.
黒くする前に,免許書き換え.金髪記念.です.あはは



残念ながら「ゴールド」免許ではないw.これであと3年は持ち歩ける.

2002年8月20日火曜日

mazda

(・∀・)スンスンスーン♪ ( ゜д゜)ハッ!
(・∀・)スンスンスーン♪ (・Д・)イェァススンゾーヌ♪
(・∀・)スンスンスーン♪ (`Д´)イェイェイェァ
(・∀・スンスンスーン♪
(`Д´)イェァイェァイェァイェァスーム
( ゜д゜)ヤ! (・∀・)スンスンスーン♪
( ゜д゜)ヤ! (・∀・)スンスンスーン♪
(´Д` )イェァモンモン
( ゜д゜)ヤ! (・∀・)スンスンスーン♪
(`Д´)シケタシケタ
( ゜д゜)ヤ! (・∀・)スンスンスーン♪
(・∀・)スンスンスーン♪ (・∀・)イェーア!
(・∀・)スンスンスーン♪ (・∀・)イェーア! (`Д´)ズンベズンベゾンズンズンバ
(・∀・)スンスンスーン♪ ( ゜д゜)ブベラ
(・∀・)スンスンスーン

2002年8月15日木曜日

休肝日

今週いっぱいは,休暇なので,今日は家で静かにしていた.
でも,指導書執筆はあいかわらずつづいている.
あぁ,来週からは調査書を書かないと.

来週の予定は週末,金曜日に学校公開,土日はフェンシング,国体関東ブロック予選.

明日は妹夫婦が遊びに来るから,また飲み会かな.

2002年8月14日水曜日

今日もめまぐるしかった

5時起床!
学校へ向かう.6時10分に正門を開けてはいってすぐ施錠.
玄関を開けて校舎に入り,施錠.
アラームを解除し(mission impossible だな),コンピュータ室の鍵を開けACアダプタをゲット.
部屋の鍵をかけ,アラームをセットし玄関を施錠し,校門を施錠して帰ってきたら6時40分.
8時に出れば間に合うかな.
だいたい何時に始まるのか知らないし.自分はしょっぱなじゃないから大丈夫かな.
一風呂浴びて8時9分自宅前からバスに乗る.
バスを降り電車のホームに行くとちょうど来た.8時18分の電車に乗る.
降りる駅は京葉線海浜幕張が少しだけ近いけど,西船橋や南船橋の乗り換え接続が不安なので,総武線で幕張に向かうことにする.
総武線千葉方面のホームに行くとちょうど電車が来た.今日はなんて接続がいいのだろう.8時43分に幕張に着いた.
後で調べたら,同じ時間に出ると海浜幕張は8時58分着ということがわかった.
幕張のほうが5ふんほど余計に歩く.でも,9時5分に着いた.始まる時間は9時だったようだ.まぁ講義は9時10分からだからおっけいおっけい.自分の出番は11時10分からということもわかったし.
しかし,駅から炎天下歩くと汗が吹き出る.
そんなに急いできたわけじゃないのだけれど.

講義のほうは・・・まぁ,また金髪を謝ってよたばなしですな.
だいたい,私以外の講師陣はもちろんネクタイと上着,受講生も半分くらいはネクタイの中,おいらは金髪だし,柄物の開襟シャツを綿パンの外に出して,話す内容の半分はギャグばかり・・・

4時に全日程が終了し,またまた懇親会.海浜幕張のぷれなマクハリのビアホールで.
講師の一人,指導課の先生がいつものように熱弁してたのしかったなー.酔った勢いとかいいながら.ほんと,この話をしらふでしたらまずいだろーなー
ほんと,教員というものは,やはり現場に限るよということがよくわかる.
なんだかんだいって,生徒と遊ぶのが一番楽しいし.

でもなんだかインターハイから今日まで毎夜,のんだくれてるなー
明日は休肝日にしないと

2002年8月13日火曜日

いそがしー

今日は午前中,レジュメ50部の印刷.
それにしても印刷機の調子が良くない.3枚に1回紙詰まり.
暑さで機械もだめなのかな.

で,明日の講義は,パワーポイント主体で作ったのだけど,自分のパソコンからディスプレーに出すには専用のアダプターが必要とわかる.
編集会議の後に秋葉原に寄ろう.

印刷が予定通り進まず,編集会議に遅刻.ここでも金髪を謝る.あはは
会議後懇親会で中華料理,ビールも出たけど,学校においた車に今日印刷したものが乗っているので,明日のためには車で帰らざるをえない.ウーロン茶でがまん.
うちらは近くていいけど,札幌,秋田,兵庫から来た先生もいる.
秋田県の先生は飛行機が取れなくて青森から来たといっていた.
兵庫の先生は,夜行バスで帰るそうな.たいへんだなー

で,懇親会が終わって秋葉原に向かう.さすがに8時を過ぎるとほとんど閉まっていて街が暗い.7時半くらいに閉店するところが多いのだろうな.
まぁ,今日買えなくても,明日の講師の一人のO先生のアダプタ借りる約束しているからおっけいだけど.
ラオックスが9時までやっていた.
型番がわかっていたので,店の人に聞いたら,あった.
よかったよかった.これであしたは自分のパソコンから発表できる.

秋葉原からの帰り,いつもの帰りのように総武線のホームまで上がってしまい,
「そうだ,柏に車を置いてきたんだ」
山手線で上野へ.常磐線の拍で降りると,いつもの帰りのように東武線の改札へ.
「おっとっと,学校に車を置いたんだ」

まぁ,この習性のおかげで,酔っ払っても家に帰れるのだなぁ

家に帰ると重大なことに気づく.
「げっ! ACアダプタを学校に忘れてきたー」
あした,早朝学校にとりに行くかぁ

2002年8月12日月曜日

今日は休み

といいたいところだけれど,13日の編集会議まではなんとか形にしないと.
怒涛の執筆を始める.

14日の数学部会でのレジュメも用意しないと.
今日,どちらも完成させて,明日レジュメは印刷しよう.

2002年8月11日日曜日

終わったー

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


試合も最終日.
昨日まで男女とも負けた30チームずつは,帰ってしまうので,観客席がまばらになってきた.残りは15,6チーム.

千葉県は男子が検見川,女子が松戸が出ていた.
松戸が3位入賞を果たしました.
松戸が3位入賞 - くろべえ
>>拡大
準決勝で,優勝した鼎が浦に負けたのですが,鼎が浦の声援がすごかった.
松戸もいつも大声援というイメージがあったけど,今回は静か.そうだ,部員6人しかいなくて,5人がベンチ入りしているから,声援は1人だった.

決勝戦から閉会式まで高円宮様が出席されてたのですが,役員席の金髪はいったい・・・(爆)

それにしても茨城県の高体連フェンシング専門部長の水戸女子高校長は話がじょうず.千葉県のインターハイでは代わりに話をしてほしいな.

4時に撤収,あとは野となれ山となれ,4時半には電車に乗った.
いやー5泊は長かったなー

家に帰ると猫が腹をすかせていた.娘もおばあちゃんと旅行に行ってるからな.

さてさて,指導書の執筆にとりかかるかー

2002年8月10日土曜日

団体戦

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


団体戦は各チーム3人ずつの総当りで,先に5勝すればいいだけの,トーナメント戦だから,チェックは楽かなと思ったら,意外とそうではなかった.
その9人の対戦表をすべてチェックし,記録票に反映しているかを見なければならないので,大変で,とても指導書執筆などできなかった.
でも,ちょっとしたあき時間にコホモロジーを読み進めることが出来て,昨日の買い物は正解でした.

今夜は最終泊ということで,役員で打ち上げ.夕食券+3000円で飲み放題.
あぁ,こうしてフェンシングの人脈に深入りしていくのだなぁ.
でもフェンシングの顧問ってフェンシングが素人の自分にとっては楽でいいな.指導はコーチを頼めばいいから.
フェンシングのない学校に転勤しても「フェンシングの委員ですから,ほかの運動部の顧問は出来ません」で済ませてしまおう.

あと1日.

2002年8月9日金曜日

だんだん疲れてきた

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


試合は2日目だけど,水戸に来て4日目.

フルーレベストエイトが並んでラッサンブレ,サリュー(きおつけ,礼).

ベストエイトはトーナメントで,表彰式までは,余裕がある.
フルーレが終わると,次はエペとサーブル,総当りだから記録表が難しく,またまた緊張の時間が続く.

ホテルに帰ってから,先日ダイエーに行ったときに見つけた本屋に行く.そうしたら面白そうな本を買ってしまった.

 安藤哲哉編「コホモロジー」日本評論社

コホモロジーってさ,大学のゼミでかじったけど,ようするにものすごく抽象的でよくわからなかった.
この本は大学の社会人向けの公開講座が元になっているということで,とても直感的で「雰囲気がわかる」という点で面白い.

ホテルの食事券の使える居酒屋に一人で行って飲みながら始めの40ページくらいを読んでしまった.
これで,時間をもてあましたら,時間つぶしになる.

2002年8月8日木曜日

今日から試合

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


試合が始まる.初日はフルーレ予選に始まり,ベスト8まで.>>画像

さて,技術委員会事務局員という仕事は,技術委員会のした働き.
技術委員会が実質,試合全体を進行し運営していて,そのために,事務局が試合の記録表を整備したり掲示物を用意したり,というのが仕事.
でも,こまごました仕事は,茨城県の人たちや,生徒が行っていて,私と埼玉T先生,M高校A先生の3人は「技術委員会の目」.つまり記録表の最終チェック係.
対戦表を読み上げて,記録表に間違いがないか,記録員,審判,選手,監督,ピスト主任の署名の漏れはないか,をチェック.
ミスがあれば技術委員に報告し,技術委員会から各部署に訂正を求める.重大なものだと,選手監督審判ピスト主任全員を呼び出す.
ミスがなければ技術委員が最終署名をし,「公式記録」になる.そして記録委員が必要部数コピー,印刷し,各部署に配布され,試合結果の掲示や,報道にまわる.

チェックしていると,まぁほとんどミスはないわけで,自分らはザルなんじゃないかと不安になってくる.
でもたまにミスを見つけると,仕事している気になれる.

ほかの事務局員のようにばたばたとした忙しさはないけど,結構神経がすりへる仕事でした.

午前中のプール戦(5,6人での総当り)の,記録チェックは大変だったけど,午後のエリミナシオン・ディレクト(トーナメント)の記録チェックは,一目でわかるし,せいぜい署名のもれをチェックするくらい.署名がそろっていれば,記録が間違っていても「選手,審判はじめ全員が認めた」ことになるから,問題はない.

ということで,午後は指導書執筆がかなりはかどった.

2002年8月7日水曜日

開会式

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


朝食が7時からなので,一風呂あびてホテルのレストランへ.
夕食は出せないけど,朝食,昼食だけのレストランのようだ.
あ,知ってる人がいっぱい.
M高校のA先生とか埼玉のT先生とか.ここで送迎バスの発車時間を確かめておくべきだった.
もらった書類には8時30分ホテル発車と書いてあったので,8時20分にロビーに下りても誰もいない.
おかしーなーと思いながら8時30分まで待ったけど,誰も来ない.乗り遅れたらしい
しょうがないので歩くことにした.開会式会場は水戸市市民会館,ケータイの地図検索で駅の向こう側というのがわかった.30分で着いたけど,暑いなー.一応9時から仕事ということで間に合った.
でも,なかなか指示が出ない.いったい何をすればいいのやら.会議室では全国委員長会議をやっている.んー下っ端の俺には関係ないなー

9時半ごろ大会委員長のO竹先生が「11時30分まで何もやることはありません,申し訳ない」
おれなんか一人出来てるけど,水戸市内の高校生もたくさんお手伝いに来ていて,引率の先生は大変だなぁ

埼玉のT先生を見つけて,今朝の顛末を話すと,
「バスは8時15分に出たらしい.自分は8時前にほかの先生の車に便乗したけど」
もらった書類には8時30分とあったのにぃ

さて,11時30分という時間は要するに「弁当を配る時間」.
結局午前中は何もないのだ.
それまでロビーでほかの仕事をする.
今,情報の教科書指導書を執筆していて13日に編集会議がある.さらに,14日は千葉県の数学部会の講師を頼まれているからそのレジュメも作成中.
とりあえず,力仕事の指導書執筆に取り掛かった.

11時半に弁当をゲットし,T先生と会議室で昼食を摂る.するとM高校のA先生や埼玉のN先生も来た.
書類をよく読むと,開会式当日のわれわれの仕事は「顔合わせと昼食を食うだけ」というのが読み取れた(爆)

場所を移るのが面倒だったので,そのまま会議室にいて,13時からの監督会議,14時からの審判会議に混ざってた.
もちろん指導書を書きながら.
Y高校のM先生とも会って「先生,その髪かっこいー」「すいませーん」(またあやまった)
16時から開会式には一応出て,今度こそバスに乗り遅れないように,役員の集団にくっついて歩いた.>>開会式画像
出発予定時刻は17時30分だったけど,「もうそろそろいいでしょう」と17時15分にバスは出てしまった.なるほど,こういうことね.

今夜の夕食は郷土料理の店.ちょっとホテルからは遠かったけど,なかなかうまい.

今日の2300円の内訳は1800円とビール1杯のつもりだったけど,偉い先生も同席したおかげで,ビール2杯飲ませてもらいました.

帰り道,もらったポロシャツ以外の着替えがなかったので,ダイエーで調達.そして7-11でチューハイ.

2002年8月6日火曜日

インターハイ

Aug 6.インターハイ Aug 7.開会式 Aug 8.今日から試合 Aug 9.だんだん疲れてきた Aug 10.団体戦 Aug 11.終わったー


今日からインターハイの役員のため水戸市内.
仕事は7日の開会式準備からなので,今日は移動のみ.
ホテルのチェックインに間に合えばいいので,昼ごろ家を出た.
柏駅でJR の改札を通ったら,待ち時間が20分くらいある.
ホームはくそ暑いので,無印良品の店で涼むことにした.
そうしたら,同じ目的の生徒に会った.
「せんせー金髪かっこいー」
「いまからインターハイの役員なんだけどね」

暑さ対策に水分補給だということでペットのお茶を買い,なぜかラベンダーの香りの「お香」を買ってしまった.ホテルで焚くかー

高萩行きの電車に乗る.どれくらい時間かかったから忘れたけど3時ごろに水戸についた.
ケータイで地図を調べてホテルに行く.駅から歩いて15分くらいかな.
チェックインしたら夕食券,朝食券をもらった.
夕食は外の飲食店が指定されていて2300円まで.うなぎ屋に行ったら「2200円のうな重なら税込み2310円でぴったりだと思います.」といわれてそれにした.

それにしてもだれにも会わないなー,本当にインターハイやってるのかなー.まぁホテルにチェックインできたから間違いないと思うけど・・・
ホテルに戻ると,荷物を渡された.で,役員のひとがいて「どうぞよろしく」といわれて安心.
荷物の中身は大会プログラムと役員の仕事の冊子,水戸市の観光案内,役員のネームプレート・リボン,それと役員用ポロシャツ2枚.

2002年8月4日日曜日

いたずら

「新教科 情報 現職教員等講習会 報告書」なんていうキーワードで検索サイトから私の報告書へのアクセスが多くなってきた.

今,全国でその講習会の真っ盛りなんだな.
で,ページにいたずらしちゃった(^^;)
講習会の真っ最中に開いて悲鳴をあげる人もでるかな.
クッキーを使って,1度びっくりしたら2度目は普通に見られるようにしてある.

2002年8月1日木曜日

松島基地航空祭

友人,娘と行ってきた.
C130>>拡大
日曜日の0時に出発し,松島基地に5時過ぎ到着7時半の開門まで列に並ぶ.
朝は雲が低く, F-4が1機飛び立ち(展示の F-4 の垂直尾翼の上) 雲の確認をしていることが,友人が持ってきた航空無線の入る受信機で,タワーとパイロットの通信からわかりました.
F4>>拡大

タワーの指令で忙しくあっちの雲,こっちの雲に行き,雲低をタワーに報告してましたが,T-2 編隊飛行の頃には雲も薄くなってきました.
T-2>>拡大

F-2の編隊飛行では,通過後1機ずつブレーク(急旋回)したのですが,
F-2""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5306633650032241202"拡大
2番機の旋回が大きくなり,編隊を組みなおすためにリーダー機を追いかけるパイロットが「ふへぇ~」なんていってました(笑).

ブルーインパルス>>拡大
ブルーインパルスの機体はT-4練習機.
T-4>>拡大
翼が触れ合わんばかりの密集編隊のまま旋回.
密集編隊>>拡大
実は高度差を1mくらい取っているのですな.
高度差を1m>>拡大

ブルーインパルスはもちろん楽しかったのですが,性能を見せ付けれくれたのが,
F-15>>拡大
F-15主力戦闘機の航過飛行.
航過飛行>>拡大
ものすごいスピードで突っ込んできて,いままでのどの飛行機よりも小さく旋回しました.いわゆる高G旋回というやつ.7~9Gくらいはかかり,機体の限界というより,パイロットの体力の限界がためされる世界.でもこの後,「それより西にいくなぁ,仙台空域に入るぞー」とタワーに怒られてた.

日本唯一の民間アクロバットチーム,エアロックの複葉機による曲技飛行.
エアロック>>拡大

小さくスピードも出ないので,とても間近に見ることができてたのしい.ものすごい低空飛行旋回とか,ジェット機ではありえないむちゃくちゃな機動とか,
むちゃくちゃ
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「魅せる飛行」でした.

飛行中,ロック岩崎の声が放送で流れ,「連続スピンをやります.何回できるか皆さ ん数えてください,」・・・
18回スピン
>>拡大
18回スピンしました.

ハートを描く.
ハートを描く
>>拡大

低空,至近距離でのすれ違い.
すれ違い
>>拡大
すれ違うとき,互いに横転.

ぐりぐりぐり>>拡大
帰りは駐車場を出るのに数時間かかると聞いていたので,午後から場所を外の田んぼのあぜ道に移し,ブルーインパルスの2回目の曲技飛行を楽しみました.3時に出発し渋滞することなく家に着きました.

くろべえ: 旅行記一覧

2002年7月15日月曜日

金髪だぜ

スポーツ祭りが近づき,生徒が茶髪,金髪になってきた.まぁ一過性のものだな.帰り際にある生徒が,
 「先生もちょっと色変えたら?」
というので,
 「おぅ!じゃぁちょっとだけやっちゃおうかな.」

ちょっとといってちょっとでおさまったことのない私.マツキヨで最強のブリーチ剤を買い,ムスメに手伝ってもらってこのありさま.
金髪


もう,ムスメはうけまくり.
次の日,教室では絶叫と怒号の嵐! 同僚は皆,目が点に・・・・

金髪仲間(爆)
金髪

2002年4月21日日曜日

prohosting ダウンの影響

水曜日からカウンターが回っていないことに気が付いた.
水曜日以降prohosting が重かったり鯖がダウンしていたので,だれも訪れることができなかったのだろうけど,おなじ鯖のクラスのBBS には訪問があり,そこからカウンタが回っていなかった.
FTP で調べるとロックファイルが消滅していない.
ロックファイルはカウンタが更新されるときに作成され,書き込みが終了すると消滅するはずが,ずっと存在しつづけ,つまりずっとカウンタのログファイルがロックされていたのだ.
ロックファイルはアクセス権の関係でFTPからは削除できない.鯖上の CGI プログラムじゃないとだめなので,ロックファイルのアクセス権を変更するCG1プログラムのファイルを作成して転送して,そのプログラムを実行し,そこから削除した.やれやれ.
これでまわるようになるかな.

2002年1月31日木曜日

数学の話

「放物線の長さ」で,私のページが検索されることが時々ある.
テストのページである.放物線の長さを計算するときに出てくる原始関数を微分するだけの問題を解説しているだけなので,そのページでは放物線の長さについては書いていない.「放物線の長さを求められる」と思って開いた人はがっかりだろう.
で,せっかくだから数学のページにその話題にふれることにした.
でも,そのページには正解は載せていない.載せない理由を書いた.
はっはっは.計算問題は「自分で解決」が基本だよー

2002年1月23日水曜日

カーネルの再構築

といっても,ケンタッキーフライドチキンのおじさんの着せ替えではない.
これをやったら,ping が通らなくなってしまった.
ifconfig ではちゃんと認識してるのになぁ
道は遠い・・

2002年1月22日火曜日

Libretto100

Libretto100 はカード2枚挿せる.
ネットワークカードを2枚挿せばゲートウェイにできるわけだ.
さっそくやってみたらすんなり認識.
設定ファイルで IP を振ったら ping も通るし,あとはカーネルの再構築をしてパケットのフォワードができるようにするだけ.
自宅でいま26Mのカーネルのソースのダウンロード中.

2002年1月20日日曜日

だんだんわかってきた

だんだん Linux の操作が見えてきた.
FreeBSD に比べるとツールが充実していて「簡単!」という感じ.
まぁ /etc のファイルをいじることには変わりないのだが,「どこからいじればいいか,わからん」という状況から脱する時間が短くていい.

FreeBSD の NIC 2枚挿しがうまくいかないから,Linux でやって見ようと思って,学校から Libretto を持ち帰ったら,AC アダプタを忘れて何もできない.

しょうがないから,問題集の解答作りでもするか.

2002年1月13日日曜日

Libretto に Linux


Libretto100 が余ったので 2001-2002 の冬休み,Red Hat Linux 7.1 をインストールしたけど,ずいぶんと苦労したので,それを書きとめておくことした.参考になる人がいるかもしれないから.
液晶の壊れた Libretto50 にも同じようにインストールできた.
2003.2.8 追記: 2003年1月に8.0 をインストール.方法はまったく同じ.

はじめに


Linux のインストールは CD-ROM ブートができるマシンであれば簡単だが,Libretto は PCカードの SCSI の先に CDROM をつなげるので当然ながら CDROM ブートは不可能.でも,Libretto100 は PCカードが2枚使えるから,1枚目は東芝純正のFDをつなげるカード,2枚目を SCSI PCカードにして,PCMCIA 対応のブートFDを作成して FD からブートすれば簡単にインストールできると踏んでいた.


ところが話はそんなに簡単ではなかったのだ.(やっぱり・・・)


そもそも PCカード対応のブート FD は pcmcia.img という FD イメージを使う.他の Windows マシンで RedHat の CDROM から rawrite という \dosutils にあるツールで \images\pcmcia.img をフロッピにする.


Windows などの DOS 窓で rawrite を起動し.source のイメージファイルを \images\pcmcia.img を指定する.コピー先は 1.44Mでフォーマットした FD (A ですな.)を指定すれば,作成できる.

C:\>p:\dosutls\rawriteEnter disk image source file name: p:\image\pcmcia.imgEnter target disket drive: a

で,その FD でブートすると PCMCIA コントローラを初期化した後に,カードを認識しなかったのかドライバディスクを要求される.ドライバディスクは \images\en\driver.img なのでそれを他の windows マシンでやはり \dosutils\rawrite を使ってフロッピに落とす.


さて,もう一度 FD でブートしてドライバディスクを要求に従って入れると.「ドライバディスクをマウントできない」と怒られる.えー?どうしてぇ?・・・


PCカードに挿して使う東芝純正の FD ドライブは,普通に使えば A: ドライブとして使える.ところがこのカードは,PCMCIA 規格ではない東芝独自のものなので,カードコントローラが初期化されると,認識されなくなるようである.それが証拠にフロッピに MS-DOS のカードサービスをインストールして起動すると,カードサービスが読み込まれたとたん,「config.sys のファイルが読めない」というメッセージが並ぶ.


したがって MS-DOS をフロッピから立ち上げても,CD-ROM を認識させることができない.じゃ,どうして Windows では東芝の FD ドライブが使えるかというと,東芝のリカバリ CD の Windows だからに違いない.


ネットを探したらでれつきのページというところに参考になる情報があった.HD に 8MB の小さい MS-DOS 領域を作って,HD で MSDOS を起動し CDROM を認識させる.そして Red Hat Linux の CD のブートプログラムを動かすというもの.Libretto 100 は PCカード2枚挿せるけど, Linux のインストールにおいては1枚と同じということです.

fdisk の実行


さて,HD に DOS 領域を作るには DOS コマンドの fdisk です.(fips ってのもあるらしいけどどこがちがうの?)DOS のシステムフロッピなんて持っていないから,Libretto 100 のリカバリフロッピから作るしかない.(もちろん他のマシンから作ることは可能かもしれないけど,Libretto 100 の起動ディスクから作れば間違いない.)


フロッピの「リカバリCD起動ディスク A」 で起動して,領域の削除をして,領域の確保をすると,すべての領域を DOS 領域にしてしまうので,Linux はインストールできません.


「リカバリCD起動ディスク A」 で起動し,画面が停止したら,「9 (終了)」を押して,一旦を終了させます.そしてコマンドラインで
A:\>fdisk
とすれば fdisk が動きます.ところが日本語環境がインストールされていないので,日本語メッセージが文字化けの嵐です.「でれつきのページ」では「他のマシンのメニューを参考にして操作する。」とありますので,他のマシンの fdisk を動かしてメッセージの意味を予測し(^^;),
  • 8MBの基本パーティションを作成
  • 基本パーティションをアクティブに設定
を行いました.


fdisk はパーティションを変更して終了すれば,パソコンが再起動します.

DOS にカードサービスを入れる


再起動して「Libretto 初期インストールソフトウェアの復元」の画面になったら「2 フォーマット」を選択する.8M しかないので,一瞬にしてフォーマットが終わります.


フォーマットが終わってると「CD-ROM の種類を選択」画面になります.私は,この画面の PC カードを持っていないので,「5 その他のCD-ROM (PC カード)」を選択すると,MS-DOS システムが HD に転送されてから,「リカバリCD起動ディスクB」を要求されるので,画面の指示に従う.


画面の指示に従って PCカードをインストールする.


私はマクニカと,I・O DATA のカードを持っていますが,カードの種類の選択にはマクニカがないので「2 I・O DATA PCカードSCSI」を選択,そして持っているカード「3 PCSC-F」を選択すると,カードのドライバの転送が要求されるから,カード付属のフロッピに入れ替える.


最後はフロッピを取り出して,PC カード CD-ROM ドライブを接続して再起動する.

CD を DOS で認識


再起動すると,「Product Recovery CD-ROM」を要求するところで画面止まるので,Ctrl + C を押してバッチ処理を終了する.


CD は P: ドライブで認識されています.


ここで fdisk するとちゃんと日本語で読める.せっかくだからこの日本語ができる環境の MSDOSをフロッピにつくっておくことにした.そうすれば,フロッピで起動して fdisk が日本語で操作できる.作り方は
C:\>format /s a:
でシステムを転送して FD をフォーマットして config.sys が参照しているファイルのすべてと,必要なコマンド類(fdisk.exe, format.com, edit.com, qbasic.exe qbasic2.exe, chkdsk.com 等々)をコピーし,config.sys の記述のドライブ 「c:\」をすべて,フロッピの「a:\」に直せばいい.


ためしに
C:\>fdisk
をすると,あれれ? 12MB もある.本当は MS-DOS 領域なんか作りたくないので,できるだけ小さくしい.8M にするために,作っておいた日本語が読めるフロッピで再起動して fdisk で基本 MS-DOS 領域を削除.そして 4M の基本MS-DOS領域を指定して確保をしなおすと,なぜか 8M が確保されている.不思議だなー.


もう一度最初からやり直して,CDドライブ P: を認識させる.

CD-ROM 上の autoboot.bat でインストール


CD-ROM が認識したら,インストールに挑戦.
C:\>p:\dosutils\autoboot
を実行すると,画面が真っ黒で止まってしまう.そうだ.日本語が表示できる DOS だとできないんだった.


us.bat を実行してもいいらしいけど,config.sys を編集した.DOS のファイルの中に edit.comなるものがある.ためしに
C:\>edit config.sys
としたら,テキストエディタが起動した.c:\config.sys の日本語環境を下記のようにコメントアウトする.ついでに RAM ドライブも Windows をインストールするときに使うだけなので,コメントアウト.

DEVICE=C:\HIMEM.SYSDEVICE=C:\EMM386.EXE NOEMS X=D000-D7FF;DEVICE=C:\BILING.SYS;DEVICE=C:\JFONT.SYS;DEVICE=C:\JDISP.SYSDEVICE=C:\JKEYB.SYS /106DEVICE=C:\ANSI.SYS;DEVICE=C:\RAMDRIVE.SYS 4096 512 256 /Edevice=C:\CARDWORK\CARDXTND.SYSREM DEVICE=C:\CARDWORK\SSCBTO97.SYS /NUMADA:1 /ADA1SKTS:2device=C:\CARDWORK\SSTPIC95.EXEdevice=C:\CARDWORK\CS.SYS /POLL:1device=C:\CARDWORK\CSALLOC.EXEdevice=C:\CARDWORK\CARDID.SYSBUFFERS=36FILES=40DOS=HIGHSTACKS=9,256LASTDRIVE=ZSWITCHES=/FSHELL=C:\COMMAND.COM C:\ /P /E:2048device=\scf_enbl.sys /pause /v /io=0110device=\scf_aspi.sysdevice=\scsicd.sys /D:PCMCIACD /aspi

さらに,autoexec.bat も windows インストールのバッチになっているのがうっとうしい.必要なのは CD を P ドライブに割り当てる.
C:\MSCDEX /D:PCMCIACD /L:P
の1行だけである.


config.sys や autoexec.bat を編集しなくても,起動時 F8 キーを押しつづければ,config.sys と autoexec.bat を読み込む行を聞かれるので,Y/N で答えてもよい.


さて,再起動して
C:\>p:\dosutils\autoboot
を実行すると,今度は「kernel panic」で止まってしまう.


p:\dosutils\autoboot.bat を実行するときに,先ほど日本語環境が影響しているように,MS-DOS のドライバと何かが競合しているに違いない.カードサービスが原因かもしれないので,DOS で CD が認識できなくなることを想定して,autoboot.bat が使用しているファイルを HD にコピーする.


autoboot.bat は \dosutils\autoboot のファイルを参照しているようなので,それを c:\dosutils\autoboot にコピーするが,「ディスクが足りない」といわれてしまう.コピーできなかったのは,600K ほどの vmlinuz だけだから,HD の不要なファイルを削除.まず,リカバリCD起動ディスクの表示画面と思われる画像ファイルらしきものをすべて削除.
C:\>del *.bm*C:\>del cardwork.exe
これももディレクトリ c:\cardwork に展開するアーカイブファイルだから削除.これで十分に空きができるから,vmlinuz もコピー.

HD 上の autoboot でインストール


さて,これで再起動するが,起動時に F8 を押して config.sys のドライバの読み込みを問い合わせるように起動する.そしてすべて 「N」 でキャンセルし,すべてのドライバを組み込まない.


そして,C:\dosutils にコピーした autoboot.bat を実行すると,エラーなく進むが,カードコントローラを初期化しても,IO-DATA の PCSC-F を認識してくれず,インストール対象のパッケージが保存されているメディアの指定で「ハードディスク」しかみえない.


だからといって,Linux のドライバディスクを指定しようにも,カードコントローラが初期化されるとフロッピドライブを認識しない.(これは最初のブートディスクのときと同じ.)


ためしに,DOS 領域を 650M にして,CD-ROM すべてハードディスクにコピーしてインストールを試みたりもしたが,DOS 領域は当然 Linux の /dev/hda1 のようなものではないのでファイルを認識せずインストールは不可能.

DOS のカードサービスだけ認識させて HD 上の autoboot でインストール


今度は,F8 を押しながらの起動後,config.sys をカードサービスの部分
device=C:\CARDWORK\CARDXTND.SYSREM DEVICE=C:\CARDWORK\SSCBTO97.SYS /NUMADA:1 /ADA1SKTS:2device=C:\CARDWORK\SSTPIC95.EXEdevice=C:\CARDWORK\CS.SYS /POLL:1device=C:\CARDWORK\CSALLOC.EXEdevice=C:\CARDWORK\CARDID.SYSdevice=\scf_enbl.sys /pause /v /io=0110device=\scf_aspi.sysdevice=\scsicd.sys /D:PCMCIACD /aspi
だけを 「Y」で復活させて,CD-ROM からのインストールに挑戦しようとするが,最初の CARDXTND.SYS でエラーになる.


ためしに
DEVICE=C:\HIMEM.SYS
の行も有効にして起動すると,カードサービスがエラーにならず CD-ROM を認識した.つまり カードサービスには himem.sys が必要ということである.


これで autoboot.bat を実行すると kernel panic で止まってしまう.つまり kernel panic の原因は DOS の himem.sys だったのだ.


万策尽きたか?

マクニカのカードで試してなかった


ここでマクニカの miracle SCSI II mPS-110 があったことに気づく.それにさしかえ,F8 を押して起動しすべての config.sys のドライバを「N」キャンセルて起動し,c:\dosutils\autoboot.bat を実行する.
C>dosutils\autoboot


すると「ピ!」と高い音がしてカードは認識した様子.


しかし,CDドライブを認識しない.今度はドライブの問題だろうからディップスイッチをいろいろといじる.CD ドライブは1995年に学校の PC教室に入れて,今年廃棄処分になった,NEC PC-CD170N というノート用の3倍速のドライブ(^^;)


で,「SCSI1, 2」を切り替えるディップスイッチを「SCSI1側」にしたら,カードコントローラ認識のあと CD のアクセス音が聞こえる.


ところが1分以上,青い画面に変化がない.2分近くなってからRunning anaconda - please waitと出たままが変わらない.・・・だめかぁとあきらめていたら5分後,テキストモードのインストール画面が出ていた.おそるおそるインストールしたら,成功してしまった.途中で帰ってしまったから,どれくらいかかったかは不明.次の日2枚目の CD に入れ替えるように指示が出ていた.それから1時間で終わったので,2時間くらいはかかるのかな.

正しいインストール(笑)


では,ここまでは試行錯誤の過程もすべて書いてしまってわかりづらいので,もう一度私の場合の正しいインストール手順を整理しよう.


だいたいの流れは,
A.HD に小さい MS-DOS 領域を作り,リカバリ起動ディスクが認識するカードを使って CD-ROM を認識させ,CD-ROM から 必要なファイルを HD にコピーする.
B.Linux インストーラが認識するカードを使って,インストーラを HD から動かし,CD-ROM からインストールする.

A.1 「リカバリCD起動ディスクA」で起動.

  1. 「Libretto 初期インストールソフトウェアの復元」画面で 「9 終了」を選択.
  2. fdisk を実行
    • 基本 MS-DOS 領域を 8M 確保(指定するときは 4M)
    • 基本 MS-DOS 領域をアクティブにする.
      • 日本語表示ができないと面倒なので, 1度フロッピに日本語表示ができる MS-DOS を作っておいて, その fdisk を実行したほうが楽です.

A.2 そのまま(リカバリCD起動ディスクA)で再起動.

  1. 「Libretto 初期インストールソフトウェアの復元」画面で 「2 フォーマット」を選択.「Y 続行」
  2. 「CD-ROM の種類を選択」画面で「5 その他のCD-ROM (PC カード)」を選択
    するとシステムが転送され,「リカバリCD起動ディスクB」に入れ替える指示に従う.
  3. 画面の指示に従って PCカードのドライバディスクに入れ替え,最後はフロッピを取り出して電源を切る.

A.3 ハードディスクで再起動.

  • (fdisk で基本MS-DOS領域をアクティブにしていないとハードディスクからは起動しないから注意.)
  1. インストールしたカード(I・O DATA PCSC-F) を挿入し,Linux の CD をセットした CD-ROM ドライブを接続して電源を入れる.
  2. 「Product Recovery CD-ROM」を要求する画面で停止したら, Ctrl+C を押してバッチ処理を終了する
  3. c:\*.bm*, cardwork.exe を削除.
  4. C:\>del *.bm*C:\>del cardwork.exe
  5. p:\dosutils のファイルを c:\dosutils にコピー
  6. C:\>md dosutilsC:\>copy p:\dosutils\. dosutils
  7. p:\dosutils\autoboot のファイルを c:\dosutils\autoboot にコピー
  8. C:\>md dosutilsC:\>xcopy /e/s p:\dosutils\autoboot dosutils\autoboot
    ここで autoboot が,ファイル名かディレクトリ名かを聞かれるが,「D=ディレクトリ」を選択.
    もし,「ディスクがたりない」といわれたら,他の MS-DOS ファイルも消去してから,ディレクトリを見比べてコピーできなかったファイルを追加コピー.

B.1 config.sys を組み込まないで再起動.

  1. 一旦電源を切り,Linux が認識する PC カード(マクニカ miracle SCSI II mPS-110)を挿入し,Linux の CD をセットした CD-ROM ドライブを接続.
  2. 電源投入時,F8キーを押しつづける.
  3. config.sys や autoexec.bat を実行するかどうかを1行づつ聞かれるので,すべてNでキャンセルする.

B.2 Red Hat Linux 7.1 をインストール


ついでに,どうせ認識しないFD は外して,ネットワークの PC カードをいれてインストールする.

  • コマンドプロンプトが出たら,autoboot.bat を実行
  • C:\>cd dosutils C:\>autoboot

    ここから Linux のインストール作業が始まります.

    • Japanese
    • jp106
    • ラップトップ
    • bootp/dhcp を使用にチェック
    • ファイアウォール→中
    • 2 button(PS/2)
    • Japanese
    • アジア/東京
    • root パスワード
    • user → kurobe
    • パスワード
    • GNOME,KDE,GAMESを全て選択
    • インストール開始(2時間以上、CD 2も利用)
    • ブートディスクは作らない(作れない)

    B.3 再起動で Linux 起動


    ついでに Libretto 50 にもインストールした


    液晶が壊れた Libretto 50 があったからついでにそちらにもインストールした.HD は 2G.ディスプレイはとりあえずほかのパソコンのものを使う.インストールしてしまえば,telnet 等リモートで使用する.


    Libretto 50 のリカバリディスク(あったっけ?)を紛失していたので,DOS 領域作成とautoboot 等のファイルのコピーは Libretto 100 で行う.ファイルがそろったら,Libretto 50 に換装して起動.カードが1枚しかさせないから,ネットワークカード関係の設定はインストール時にはできない.あとは Lib 100 のときと同じ方法.

    • driver → なし
    • (Libretto 100 では出なかった)
    • Japanese
    • jp106
    • ラップトップ
    • ホスト名 → lbrt50
    • ファイアウォールなし
    • 2 button(PS/2)
    • Japanese
    • アジア/東京
    • root パスワード
    • user → kurobe
    • パスワード
    • GNOME,KDE,GAMESを全て選択
    • CT65550
    • インストール開始(2時間以上、CD 2も利用)
    • Generic Laptop 640x480
    • 1mb
    • no ClockChip
    • 16bit 640x480
    • ブートディスクは作らない(作れない)

    Red Hat Linux 8.0 (Feb.8,2003 追記)

    2003年1月12日,同じ方法で Red Hat Linux 8.0 を Libretto100 にインストール.
    Apache2 でウェブサーバにし,ドメイン名 uja.jp を取得し 1月20日より公開.
    DNS は無料の miniDNS

    Libretto50 は電源が入らなくなってしまった.