1999年11月20日土曜日

カルトの宣伝に使われる馬鹿なマスコミ

マスコミの馬鹿さ加減というものをまた今回も感じた.
あの記者会見報道である.

オウムのじょうゆうの記者会見を思い出した.

カルトの発言をそのまま報道するのはまったくばかげている.
記者もカルトからまともな答えを引き出そうとするが,
当然キチガイなのでそんなものは出てこない.
まっとうな答えが出なければ,そんなものは公共のメディアに乗せる価値のないものである.


きっとカルト信者予備軍が「放送されるほどのカルトだ」と殺到して,
あのカルトはまた人数を増やすだろう.
オウムがじょうゆうの記者会見で人数を増やしたように.
またまた大もうけだ.

馬鹿なマスコミどもはオウム事件を全く教訓にしていない.
NHKが記者会見の報道をしないのはさすがだと思った.

カルトとは

カルトは科学や常識を否定するところから始まる.
「科学的」を装っていても結局は「呪術,オカルト」の世界だ.

現代は科学や常識が高度な社会システムとして存在しているため,
時として人間が疎外感を受けることがある.
こんなとき,その社会システムを否定するカルトがその疎外感にうまくつけこんで勢力を拡大するわけだ.
オカルトや呪術も同様で,結局はシステムからの逃避にしか過ぎないと思う.
最大にシステムを否定した結果がオウムのハルマゲドンである.
ライフなんたらも現代の医学システムを否定するところから始まっているわけで,スタートは昨今の「健康ブーム」でだろうなきっと.

私などは普段から「常識」に疑問を持ち必ず「この常識を否定するとどうか」ということを考えてる.
しかし「良識」は失わない.
常識やシステムを否定して連帯感を高めているうちに自ら良識を失った集団.それがカルトだ.

で,そのような逃避者を生む社会システムをどのように人間の手に取り戻すか.
システムは「思想」ではないので,結局人間の「本能」の赴くままに構築されゆく傾向がある.
そこに本当の思想,哲学,宗教の存在意義があるわけだ.

1999年11月17日水曜日

教師の不祥事

教師がまた破廉恥事件でつかまった.
ひとりはなんと
「ばれなきゃいいと思った.」
とほざいた.とんでもないやつだ.

子供が親の目を盗んで悪いことをしているのとまるで同じで,
ふつう大人ならば「誰も見ていなくても悪いことは悪い」と判断がつくだろうに,
と思う.
こういう大人の見てくれをしたガキを排除しないかぎり,
どんなに教育論を論じても,
机上の空論で,
教育改革は空洞化する.

不祥事は「教師以前」の人間として振る舞いだから,
教師であろうとなかろうと
「悪いことは悪い」
のだ.
防ぐためのひとつの策としては,
教師が不祥事を起こしたら二度と社会復帰できないほどの制裁を加える.
マスコミは教師や警察官の不祥事は徹底的に糾弾すべきである.

また「ばれなきゃなにやってもいい」という人間が教師をすると,
往々にしてまじめで「規則を守らせる指導」がうまく,
子供が親の前ではいい子であるように,
こういう人間は上司からも「熱心な先生」と思われるのも上手である.
さらに,規則で縛る教育ほどコストのかからぬものはない.
心で納得させるのではなく,「規則だから」と規則に教育させるのである.
その結果が,子供も「ばれなきゃなにやってもいい」,
「人に迷惑かけなきゃなにやってもいい」につながる.

教育とはいい子になる見栄のはりかたを教えるのではなく,
行動の美学を確立する手助けをするものであるはず.

1999年11月9日火曜日

麦芽乾燥

天日干しにしたいが,天気が悪いから室内で一気に乾燥.
「明日は晴れ」という天気予報もあったが,麦芽の成長は待ってくれない.
今日ストップしないとビール用短麦芽にならない.
猫を外に追い出し,部屋を掃除し,床を洗剤で洗浄し,扇風機とファンヒーターで乾燥.



3時間くらいで生乾き,乾いたところから少しずつフライパンで煎って,根を干からびさせる.このとき,強く煎れば色の黒いビールになる.



干からびた根を篩にかけて完成.


これを少しずつ使うわけだ.2kgの麦芽で大瓶15本くらいかな.

全部終わるのに6時間以上かかり,筋肉痛.次の作業はミキサーで粉砕して糖化.まぁこれは酵母の準備ができてからゆっくりやろうっと.

酵 母はパン用のイーストでもいいし,私は以前キットについていたドライイースト(粉末状の仮死状態の酵母)を残していたからそれを使ってもいいのだが,せっ かくだからリキッドイースト(液体の中で生きている酵母)を入手してみようかな.味がぜんぜん違うそうだ.それが手に入るまで一時中断.

キットを使うとすんげー簡単.>自家製ビールFAQリスト

1999年11月8日月曜日

ビール造り



種まきの現場.


麦芽ちゃんたち.右側はだいぶ芽が大きくなってきた.
いわゆる「モルト」(もやし)だ.
もう今日あたり乾燥させなければなりません.
乾燥粉砕>糖化>発酵…とまだまだ先は長い.

いずれアップしやす.

酒税法は過去数千年にわたった人類の「酒作りの文化」を消滅させたといってよい.
酒税は「戦費調達」のため日露戦争当時に導入されたもので,税収に多くするために「個人の酒造」を禁じたものである.つまり「酒は店で買え.」
これがどれほど不合理なものかは,「おにぎりは店で買え.自宅で作るのは密造だ.」といわれたら,どうかということを考えてみればよい.これと同じことを言っているのだということである.
つまり「おにぎりを自宅で作られては,消費税収に穴があくから,必ずコンピニで購入し密造させない,違反者には懲役,罰金で処罰する.」
これを,おにぎり→酒,消費税→酒税 と読み替えたのが,酒税法である.もしこのような「おにぎり法」が施行されたら日本の弁当文化が消滅するように,酒造文化が消滅したのである.個人酒造を復活させよう.

昨日はフェンシング

の試合だった.「新人戦」というやつ.

うちは全員が1年生のチームながら,個人戦ベスト8に2名進出し,団体戦も最下位にはならなかった.来年以降が有望だ

1999年11月1日月曜日

信仰

信仰というと,現代人は「おれは信仰なんてしないよ」なんていいながら,
信仰している人間が多い.
べつに初詣に行ったり,寺で葬式出したりすることを言っているわけではない.
そんなものは信仰ではなく,しきたり,習慣である.
本気で信じているやつなどあんまりいない.
それが証拠に,「あなたは信じていますか」と聞いて
きっぱり「そうです」と胸を張る人間がどれだけいるか.

私の言うのは,科学信仰,機械信仰だ.
便利さにだまされて,疑うということをしない.
人がいいといえばそうかもしれない.
「機械は壊れない」と思っている人間が多すぎる.
これは「思っている」などという生易しいものではなく,
まったく「信仰そのもの」である.



パソコンがあれだけfreeze していても,
「こわれないもの」と思い込んでるのだからまさしく
「だまされてもだまされても正しいと思い込む信仰」としかいいようがない.
全く敬虔な機械信者としかいいようがない.

私はどうも周りから「パソコンできる」と思われているせいか,
「○○したらパソコンが止まった.どうすればいいか」という質問をよくされる.
「機械なんだからこわれるんですよ,たまには.」というと
不満のようである.

わたしなどは最大で1日に5回 freeze して reset ボタンを押したり,
reset ボタンすら効かなくて,バッテリを含む全ての電源システムを
はずしてはじめて reset することも月に数回はある.
それは本当はメーカーにクレームでもつけるべきなのだろうが,
今のところそれでデータがぶっとんだりしないからそんな面倒なことはしない.
メーカーに問い合わせたって,時間ばかりかかって要領を得ないし,
reset で.解決するのだからOK.
さらに自分のミスでデータを消すことなど日常である.
だから,機械の止まるのなんて,別に平気である.

踏み切りの開いている遮断機は絶対うそだと思うから,
一時停止はしなくても電車の来ないことは必ず確認する.
「青信号」などは信じない.

盲目的な信仰が時として不幸を招くのは歴史の事実だが,
機械文明,科学技術に対する盲目的信仰は,
過去に例のないものである.

テレビをぶったたけば映るように,旅客機だってきっとそうだ.
原子力だってぶったたけば… だから原子力はやめてほしいのだ.