1999年11月17日水曜日

教師の不祥事

教師がまた破廉恥事件でつかまった.
ひとりはなんと
「ばれなきゃいいと思った.」
とほざいた.とんでもないやつだ.

子供が親の目を盗んで悪いことをしているのとまるで同じで,
ふつう大人ならば「誰も見ていなくても悪いことは悪い」と判断がつくだろうに,
と思う.
こういう大人の見てくれをしたガキを排除しないかぎり,
どんなに教育論を論じても,
机上の空論で,
教育改革は空洞化する.

不祥事は「教師以前」の人間として振る舞いだから,
教師であろうとなかろうと
「悪いことは悪い」
のだ.
防ぐためのひとつの策としては,
教師が不祥事を起こしたら二度と社会復帰できないほどの制裁を加える.
マスコミは教師や警察官の不祥事は徹底的に糾弾すべきである.

また「ばれなきゃなにやってもいい」という人間が教師をすると,
往々にしてまじめで「規則を守らせる指導」がうまく,
子供が親の前ではいい子であるように,
こういう人間は上司からも「熱心な先生」と思われるのも上手である.
さらに,規則で縛る教育ほどコストのかからぬものはない.
心で納得させるのではなく,「規則だから」と規則に教育させるのである.
その結果が,子供も「ばれなきゃなにやってもいい」,
「人に迷惑かけなきゃなにやってもいい」につながる.

教育とはいい子になる見栄のはりかたを教えるのではなく,
行動の美学を確立する手助けをするものであるはず.

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