2006年1月2日月曜日

博士の愛した数式

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ちょっと話題になったし,どんな数学が書かれているのか興味もあったので,買って読んでみた.面白くて1日で読んでしまった.

数学の内容は,数学の人間にとってはもちろんよく知られたものばかりなのだが,それを自然にストーリーに組み込むのは,さすが小説家と思った.

博士が子どもに接する態度は,理想の数学教師像だと思った.
自分は子どもに対して,このような接し方ができるだろうか.子どもが自分で考えることを待てるだろうか.
博士の態度を読んで,昨年,新井紀子先生にお会いしたときの話題に出てきた,ドナルド・コーエン博士の教え方を思い出した.

数学の能力というものは,予習では培われない.

進学塾などで行われているのは,過去問の分析とそれに対応する能力.自分で物事を作り出す能力ではなく,すでにある効率的な解法を理解する能力なのである.これはある意味,単なる「予習」の延長である.

「10で神童、15で才子、二十歳過ぎればただの人」
ということわざがある.
神童といわれるのは,「たまたま人よりスタートが早かっただけ」の場合が多いのだろう.
10歳で中学の数学がわかるのは神童だと思うが,その子が20歳のとき30歳の数学研究者と同等になっていられれば,そのまま天才になるのだろう.
でも,人より5年だけ先んじ続けたとして,20歳のときに25歳の大学院生レベル,30歳のときに35歳のレベルでは確かに「ただの人」

子どものころに,1年や2年足し算や文字を早く教えられて,それをマスターして「できる子」と勘違いされた子どもは不幸である.人より早くはじめれば,早くやらない子よりできてあたりまえ.数年で追いつかれるのである.

卓球の福原愛ちゃんが幼児期にあれだけできるようになったのは,もちろん親の力と本人の才能が大きいと思う.しかし当時周囲には,卓球のできる幼児がいない.子どもの中では「早く始めた」だけであった.
今,同年代の中ではもちろん最強だろうが,これからが苦しいと思う.トップクラスから落ちたら「天才だったのに」と言われかねない.しかし天才とはやはり愛ちゃんのような努力から生まれるのだろうと思う.あのような努力が継続できるのが天才だと思う.
その意味で,進学塾で努力をし続けられる子どももある意味天才なのだろう.

子どもの才能を見つけるには,あらゆる経験をさせるしかない.
そのとき,周囲の大人がどれだけ子どもに機会を与えるか.その機会を人任せにすることなく,どれだけ親が関われるか.
やはり,あたたかい家庭,家族の絆というものが大きいなぁ.

話題がそれた.
映画化されるらしい.

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