2000年7月12日水曜日

スポーツ祭

今日からスポーツ祭.テスト終了後の開放感がはじける時期,4日間ぶっつづけで行われる.担任を持つとスポーツ祭のTシャツが着れる.うれしいなっと.
今年のTシャツは1年生にしてはデザインがgood.


なんといっても中心の人物の絵がすこぶるいいぞ!(わはは)


なんかうちのクラスはじめから-50ポイントだったんだけど,何でだろうな.スポーツ祭委員会,そのへんも公表してくれればいいのに.

2000年7月5日水曜日

Windows2000のセキュリティ

仕事用のパソコンが Windows2000 になった.データの扱いに慎重さが求められるから当然だと思う.
さて,いろいろセキュリティを構築する上で気付いたこと.

いままで学校のデータは UNIX (free BSD)上のサーバに置いていた.UNIX ならデータのアクセス権を細かく指定できるから.もちろん Windows2000 もそうなのだが,なんだか発想が逆だなぁ.という感じ.

UNIX というのははじめはがちがちで何も出来ないところをユーザーを登録したり,Web サーバーを開放したり等,少しずつ使える範囲を広げていく感じ.
ところが Win2000 は Win98 みたいな「セキュリティなし」という状態から少しずつセキュリティを強くしていく感じで,UNIX のセキュリティに慣れていた自分には,ちょっと変な感じ.
セキュリティってそんなもんかい?とちょっと心配になったけど,まぁクラッカーにかかれば,UNIX だろうがWin2000 だろうが素人が築いたセキュリティを破るのは「赤子の手をひねるより・・・」ということなんだろうな.
結局,われわれに出来ることは「機械を信頼しない」に尽きるわけだ.

2000年7月3日月曜日

馬車馬システムの始まり

今日から一斉テスト(世間一般では期末テスト)がはじまった.1年生にとっては初めての定期テストで,「おれは集団の中でどの位置をしめるか」がわかってしまう最初の機会だ.
いま,学校では順位を教えなくなったり,定期テストの回数を減らしたり等,「成績を気にせず勉強に励める環境」というものに移行しつつあるが,そんなものは幻想だと思う.
も ともと成績をつけるというシステム自体が「成績を気にさせる環境」だから「気にするな」といっても気になるものだし,だいたい学力というものは競争の中で つくものなのだ.競争せずに学力をつけられる人ははじめから学校というシステムを否定して,学校には来ないし,それでも社会で活躍している人はたくさんい る.
そう,もともと学校はテストによって馬車馬のごとく勉強を強制させる社会システムなのだから,学業成績の順位は公開すべきだと思うしそれが本来のありかただ.
た だし,その上で必要な考え方は「学業順位は人物の順位ではない」ということを徹底させるべきだろう.学業成績というものは一人の人間のごくごく小さい部分 の評価に過ぎない.だからこれで1番になろうが,最下位になろうが人物の評価ではない以上,大差ないといえる.逆に1番だからと優越感に浸ったり,最下位 だからと劣等感に苛まれるようでは「成績=人物」主義に毒されている.
そう,世の中かなり「成績が人物をあらわしていない」ということがわかってきたにもかかわらず,成績を公開することに躊躇するのはおかしなことだ.
公開されたテストでつけられた成績などはプライバシーなんかじゃない.ごくちっぽけな,たとえばファミコンが得意とか,鉄棒が苦手だというのと大差ないと思うのだが.

2000年6月20日火曜日

2000年1学期 第2回テスト

今回は予告はしなかったが,まぁ抜きうちともいえないな.やるぞーっと言ってたから.
TeXソースとPDF

1 次のもののうち,y がx の関数であるものを答えなさい.
ア.直線y = 2x − 1.
イ.放物線x − y^2 = 0.
ウ.自然数x の約数y.
エ.自然数x の約数の個数y.
オ.時刻x における平均株価y 円.
カ.円相場がx 円であった時刻y.

2 関数y = −2x + 1 (−2 ≤ x ≤ 1) の値域を求めよ.

3 放物線y = 2x^2 をx 軸方向に−3, y 軸方向に2 平行移動した放物線の方程式を求めよ.

4 直線y = −2x + 1 をx 軸方向に−3, y 軸方向に2 平行移動した直線の方程式を求めよ.

5 y = x^2 + 2x + 3 の頂点の座標を求めよ.

6 2 次関数のグラフの頂点の座標が(−1, 3) で点(2, 6) を通る.この2 次関数の方程式を求めよ.

7 関数f(x) = x^2 − 2x − 2 (0 ≤ x ≤ 3) の最大値,最小値を求めよ.

8 y = 3x^2 − 4x + 1 とx 軸との共有点の個数を求めよ.

9 不等式x^2 + 2x − 2 < 0 を解け.

10 不等式x^2 + 2x + a ≤ 0 の解が存在するa の範囲を求めよ.

11 関数を定義せよ.(あるいは説明)

12 2 次方程式ax^2 + bx + c = 0 の解を求める.
左辺はax^2 + bx + c = a(x + b/(2a))^2− (b^2 − 4ac)/(4a)より2 次方程式は
a(x + b/(2a))^2= (b^2 − 4ac)/(4a)
ゆえに(x + b/(2a))^2= (b^2 − 4ac)/(4a^2)
b^2 − 4ac ≥ 0 のとき右辺の値は正または0 であるから
x + b/(2a)= (±√(b^2 − 4ac))/(2a)
よってx =(−b ±√(b^2 − 4ac))/(2a).
この手順の省略されているところを詳しく書いてください.

13 y = f(x) のグラフをx 軸方向にp, y 軸方向にq 平行移動した図形の方
程式はy − q = f(x − p) であることを示せ.

14 a, b, c は定数とする.方程式ax^2 + bx + c = 0 を解け.

2000年6月19日月曜日

目の輝き

最近あるBBSに書いた記事から:

公教育のシステムはここ100年ちょっとの歴史しかなく,数千年にわたって教育に携わってきたのは「私塾」だ.歴史の長さから言えば,私塾のほうが先輩.もちろん私塾では貧富や社会階級による教育の差が出てくるために,「公教育」というものが考え出されたのだろう.
しかし私塾が繁盛するということ,それは公教育が機能していないことの証左であり,私塾はいつの時代も公教育の矛盾を突くべく,その隙間を埋める存在として,これからも存在しつづけてほしいものだ.
塾も繁盛しないような社会は,それこそ不安定で「教育どころではない」層が多数を占める社会だと思う.
さらに塾や予備校が受験競争をあおる元凶のようないわれ方をしているが,それは過去のもの.もちろん一部そのような場所もあるのかもしれないが,やっぱり「若者の集まる場所」としての広場になっていて,公教育にはない新たな場になっていると思う.

さて,毎日授業をやってて思うのは,授業内容を理解してくれればうれしいが,そんなことより「生きる力」を学んで欲しいものだ.最終目的は「生徒の幸福な人生」であるべきで,教科指導というものはまずその理念からはいるべき.
そして,あとは教師の工夫というべきか.ところが教師の工夫というものは科学ではなく「職人芸」になっていて,すばらしい教育実践は多数報告されても,結局その人だけのものと勝手に判断して,何も学び取ろうとしない教師のいかに多いことか.

そして,今の教育制度のキーワードの一つは劣等感だろうな.
そう.結局はその制度によって体に染み付いた劣等感をどう払拭してあげるか.学びの楽しさをいかに伝えられるか.
「知らないことを知りたい」というのは人間の本能,今の教育制度はそれを萎縮させる方向にシフトしている.これは進学校などでもいえることで,今の勤務校でも「知の喜び」というより,テストの点ばかりをとにかく気にする生徒がいることからもうかがえる.
他との比較ではない自分の人生をどう切り開いていけるか.
目の輝きををどう取り戻すか.
これは学校現場だけではない,社会全体にいえるのかも知れない.

2000年6月9日金曜日

学校ってめんどうだな

という声をときどき聞く.これはまったく同感のときがある.
自分自身も朝起きるとき,このままごろごろと寝つづけいたいと思うときがある.朝,家を出るときめんどくせぇなと思うときがある.このまま,すべてのしがらみから開放されたら楽だろうかという気持ちが支配するときがある.
この感覚は幼稚園の頃からずっと,いろんな形で自分の心に巣食っている.
この感覚を抑えきれなくなれば,学生なら登校拒否,社会人なら出社拒否,いわゆる「閉じこもり」という現代病なのだと思う.

こ の様な現代病に対して,「贅沢病だ」などと心無いことを言う輩や,「だれでもそう思うときがある,気にするな」と無神経なことを言うやつ,「社会病理だ」 と訳知り顔で言うやつ(俺だ)いろいろいるけれども,結局この苦しみを本当に理解できる人間は,苦しんでいる本人も含めて誰も居ないのかもしれない.

とりあえず現代病といわれる所以は,現代社会はとりあえず閉じこもっても家族が支えれば死ぬことは無く,豊かな社会特有の病だからだろう.
それに対して飢餓状態や貧困が深刻な社会では閉じこもり行為は自分の命に関わる,自給自足の社会などにあって,健康な体で閉じこもっていては,その社会の中で生きていくことは不可能といえる.

だ から贅沢病などともいうのだろうが,それでは当事者の居場所はますますなくなる.私はこの行為は,社会病理かもしれないが,生物としての人間の持つ一つの 多様性なのではないかと思うようになってきた.今は社会はそのような人の存在を「病気」として特殊扱いしているが,実は豊かな社会だからこそ,その程度の 行動の「ゆらぎ」が許されていいのではないかと思う.結局閉じこもりに悩む人の苦悩は社会との関係であって,その関係を遮断するのも一つの生き方,その程 度の生き方をも受け入れられる社会にならないだろうかと思う.
古代より人間は飢餓や貧困と闘い,がんばりつづける歴史を送ってきた.せっかく物質 的に豊かになったのだから,がんばらない生き方も許す社会にならないだろうか.閉じこもりの人の苦悩は,がんばれと励ます社会に応えられい自分に苦悩する こともあるだろう.「がんばるな」と励ます社会の実現は遠いのだろうか.

2000年6月6日火曜日

2000年6月4日日曜日

フェンシング関東大会

金曜日からでかけ,さっき帰ってきた.
個人戦は2人とも1回戦プールを通過したが,エリミナシオン・ディレクト1回戦で敗退.
2日目団体戦は1回戦春日部共栄高校に5-0で勝ち.2回戦東亜学園に1-5で負けた.
2年生チームなのに1回戦勝てて,来年が楽しみ.

2000年6月1日木曜日

昨日は合唱祭

お祭り騒ぎはたのしい!
近いうちにいろいろ書き込みたいが,明日からフェンシングの関東大会で出張.日曜日まで帰ってこないから,しばらくはネットお休み.

2000年5月30日火曜日

2000年1学期 第1回抜き打ちテスト

1年生への抜き打ちテストの洗礼.合唱祭直前なので,練習を邪魔しないために,テストの予告はしなかった.予告すると練習サボってがり勉したやつがいい点取るかもしれない.それは本末転倒だ.うちの学校に「中間テスト」がないのは,「勉強はテストのためにするのではなく,普段の学力でテストを受ける.いつテストをされてもいいように普段から学力を磨くため」です.
しかし,学期末の一斉テストは「学校というシステム」だからさけられない.そもそも,学校という社会システムは馬車馬の尻をたたくように,テストで勉強を強制するものなのだ.

TeX ソースと PDF

全く抜き打ちでやったので平均点は思いっきり低く,34.8.だが標準偏差が 13.2 大きいのは一部よくできる生徒がいたからである.

得点分布は次のとおり.

各問いの配点はオッズを元に計算されている. オッズをそのまま得点にすると点差が開きすぎるので,4倍に圧縮して, 100点満点になるように調整してある.

解答例

1 (x+1)(x2+x+1)(x2-x+1)(x-1) を展開せよ.

解答
    (x+1)(x2+x+1)(x2-x+1)(x-1) = (x+1)(x2-x+1)(x-1)(x2+x+1) = (x3+1)(x3-1) = x6-1
解説
    計算の順序を工夫しないととてつもないことになる.
結果
    ○ 76人 △ 1人 × 44人 オッズ 1.58 配点 3.49

2 2x2+5x+2 を因数分解せよ.

解答
    2x2+5x+2=(2x+1)(x+1)
解説
    たすきがけの基本.
結果
    ○ 118人 △ 0人 × 3人 オッズ 1.03 配点 2.74

3 2x2-5xy+2y2 +7x-5y+3 を因数分解せよ.

解答
    2x2-5xy+2y2 +7x-5y+3 =2x2+(-5y+7)x+2y2-5y+3 =2x2+(-5y+7)x+(2y-3)(y-1) =(2x-y+1)(x-2y+3)
解説
    文字を含むたすきがけの基本.
結果
    ○ 52人 △ 0人 × 69人 オッズ 2.33 配点 4.34

4 (2x5+x3-x2-4)÷ (x2-2x) の余りだけを求めよ.

解答




    24917
    1-20)201-10-4




    2-40





    41-1





    4-80






    9-10






    9-180







    170-4







    17-340








    34-4
    34x-4
解説
    数字だけ並べてやると便利.とにかく根性. あまりだけを答えさせたのは,採点の利便性.
結果
    ○ 55人 △ 0人 × 66人 オッズ 2.20 配点 4.20

5 $\frac{x-1}{x^3+2x^2+x}+\frac{x+2}{x^3-x}$ を簡単にせよ.

解答
解説
結果
    オッズ 2.20 配点 4.20



6. 方程式|x − 3| = 2x を解け.

7. (√3 + 2√2)/(√3 −√2)の分母を有理化しなさい.

8 次のもののうち正しいものに○を記入し,そうでないものには,正解を書きなさい.
(1) x2 − 2x − 3 を因数分解すると(−x + 3)(−x − 1).
(2) x2 − x − 2 を因数分解するとx(x − 1) − 2.
(3) (√a)^2 = a.
(4)√(a^2) = a.
(5) a > 0 のとき√a はa の平方根を表す.
(6) |x − 1| = x + 1.

9 多項式の展開と因数分解はどういうものか,それぞれ簡潔に説明せよ.

10 整式0 の次数はどう考えるべきか.またそう考える理由も書け.

11 定理,「a > 0, b > 0 のとき √a√b =√(ab).」を証明するに当たり,
(1) 前提となる性質や定義を箇条書きにせよ.
(2) 上記の性質や定義を使ったところを明示して定理の証明を書きなさい.

12 数直線の定義によって,「数」と「直線」との間に作られた本質的な概念とは何か.

13 絶対値の真髄を一言で言い,絶対値記号のはずし方のポイントを述べよ
答え

2000年5月27日土曜日

9月23日問題

例年,勤務校ではこの頃の土日に文化祭第2部を行っている.今年は9月23日24日にあたる.これが今,問題になって先月,新聞にも報道されていた.

県教委は「祝日と休日が重なった日(今年の9月23日)に行事をやらないように」と言ってきた.その理由は「規則ではこのような日は代休を2日与えなければならないが,これは社会通念上,県民の理解を得られない.行事は違う日に行うように.」ということ.

勤務校では一般公開を土日の2日間行っているが,この日を避けると大変な無理を強いられる.例えば,1日しかやらない運動会の日程を動かすようなわけにはいかないのだ.

実は,県の規則というより国家公務員の規則がそうなっているのを,県が踏襲しているらしい.「土曜日と祝日が重なった日の出勤に代休を2日分出す」というのはおかしな話で,われわれ教員は「べつに1日出勤したら,休みが1日なのは普通のことじゃん」と思っていた.

ところが,正確には県の一般職は「代休と時間外勤務手当て」つまり「祝日出勤には代休と時間外手当」をもらっている.まぁ給料の二重取りともいえるが,これは使用者に対してのペナルティの側面もあって,そもそも国家公務員の人事院勧告がそうなっているようだ.つまり「労働慣行」ですね.

教育職は時間外手当のない職だから,時間外手当を与えることは不可能で「代休」しかなく「代休2日」になってしまう.規則は「祝日出勤は代休」,「土日出勤は代休か時間外手当」の二本立て,祝日と土日が重ならなければ,教育職は大抵代休なわけだ.(でも部活の試合で出勤しても代休を取る人は今まで見たことないけど・・・^^;)
でも,休日祝日が重なったら「代休を二日とれ」とか「代休と手当て両方もらえ」という規則はどこにもない.つまりこれは「解釈,運用」の問題で,条例でも規則ではない.
だから「合理的じゃないし,『県民の理解が得られない』からやめてしまえ」とも思う.
ところが「労働者の権利」という視点に立つと
「祝日と土日が重なった日の出勤は使用者に対するペナルティを科して給料と休みの二重取りをする」
というのが労働慣行になっているわけで,教育職の都合で「代休二日はいらん」というと一般職の労働慣行が脅かされるわけだ.

で,目下のところ「代休は前後4週間にとれ」という規則があるから前4週間なら夏休みにかかるから,そこに代休を割り当てればいいじゃん.というのが,俺らの主張なわけ.そうすれば,一般職の権利を脅かすことなく,できるじゃん.
すると県は「どっちにしても1日の出勤に代休2日は県民の理解が得られない」と難色を示してしている.つまり「夏休みは休みじゃない」ということなんだよね.

「労働慣行」というのは労働者が勝ち取った権利なので,実は規則以上に重みを持つ.さらに,「県民の理解」というのも県当局にとっては重要.だから,その軋轢を教育に押し付けてきた.というのが今回の構図.日程変更でなんとかならんかという傲慢さもある.
どの学校も「日程変更してくれた」と県は言っているが,喜んで変更したところなんて,皆無のはずで,どこもしぶしぶだろう.
県にしてみれば日程変更してくれれば,いろんなところに波風が立たないわけだが,それが未来への投資の「教育」に押し付けられるというのが,教育行政の貧困さ哲学の無さを露呈している.「大切な子供を育てるためだから大目に見て理解して欲しい」となぜ主張できないのだろうか.

2000年5月26日金曜日

電車内では携帯電話のご使用を・・・

そもそも他人に迷惑なる事をしないのは「ジョーシキ」なのだ.手取り足取りジョーシキを訴えるところに社会の幼児性が垣間見られる.
黄色い線の内側に下がって,危険な駆け込み乗車は自粛して,閉まるドアに気をつけるのは,普通の大人なら当然のことで人に言われて「そうだったのか」なんて思うやつなどあんまりいない.

椎名誠が
「丸の内のビジネスマンたちが朝から閉まるドアにはさまれて日本の経済を支えていけるのか?」
ということをどっかで書いていた.その文では
「おせっかいに走るのは,もうひとつのおせっかいを受けないため」
という分析がされていた.
もうひとつのおせっかいとは
「黄色い線の内側に下がらせたり,駆け込み乗車が危険なことや閉まるドアに気をつけることを知らせないのは安全管理上問題で,鉄道会社の怠慢である」
という投書をされるのを恐れるからであるということだった.

基本的にこの国にはおせっかいで親切な人が多いから,電車のアナウンスは事細かにわたるのだと思う.椎名誠によると欧米ではアナウンスはほとんどなく,きわめて静かだそうだが行った事がないから私は知らない.

 このおせっかいの力は電車のアナウンスだけでなく,街中や海山川観光地にあふれるありとあらゆる看板,放送に行き届いている.
特にこのおせっかいは事なかれ主義の行政が最も恐れることでもあるので,よく海水浴場にある行政の立てた看板は細かいよねぇ.

「酒を飲んで泳ぐな,妊婦は泳ぐな,心臓病の人はだめ,焚き火をするな,商売するな,・・・」
心臓病の人が泳ぐことは考えられないと思うけど,ちゃんと項目に入れておかないと,「もし心臓病の人がいて泳いでしまったらどうするのですか?」
と行政におせっかい焼くひとがでたり,
「うちの子は心臓病で泳がせたら死んでしまった.これは看板で注意を喚起しなかった行政の過失である」
と裁判にならないように,小心者の小役人はせっせと看板を建てるのである.

2000年5月1日月曜日

0で割る計算,0除算,割り算の意味

2005年4月1日追記.


「不定」,「不能」といのうは正しいとはいえない.正しくは「定義できない」だけでよい.
その辺の事情を書いた
0で割れない理論的な(ということは難しい)理由
これからは次のように説明するかな.
1.逆数とは積が1になる2数.(逆数の定義)
2.0倍したらなんでも0(定理)だから,0の逆数(0倍して1になる数)はない.
3.割り算は,逆数をかけること.(除算の定義)
4.5を0で割る計算は,5と,0の逆数の掛け算だが,存在しない数とは掛け算できない.
5.つまり0で割る計算は「できない」

2004年12月19日追記.


実数の公理から,0の四則計算を証明.
0の四則計算(0の意味)

2004年6月8日追記.


先週も1年生に0で割る計算を授業で話した.5分で納得してもらえる.
5÷0の答えはなんだと思う?
「わからない」「0」「?」
じゃあさ,15÷3の答えは?
「5」
そうだよね.どうして?
「15個のものを3人で分ければ5個ずつだから」
え,いつもそうやって割り算してるの?
「・・・」
15÷3の答え5を出すとき,何してる?
「三五十五」
お!掛け算の九九だね.えらい,よく知ってる! おれさぁ,いまだに7の段の後半が苦手でさ.しちろく四十八とか言っちゃう時がある.
それはともかく, 15÷3の答えが5なのは,15=3×5 だからなんだよね.
じゃあ,5÷0 の答えを □ とするよ.すると 5=0×□ じゃなきゃだめだよね.
0倍したらどうなる?
「みんな0」
だよねー.0倍して5になるような数は?
「全然ない」
そう,OK! ,5÷0 の答えは『全然ない』んだよ.

次にさ,0÷0 の答えを □ とするよ.すると 0=0×□ じゃなきゃだめだよね.
□ は 0倍して0になる数が入るよ.
それはどんな数?
「なんでも」「全部」
正解!みんな良くわかるなぁ.
0で割ると『全然ない』か『全部』になっちゃうから,意味ないでしょ.だから数学では,そんな無意味なことは考えないことにしているんだ.


2005年3月27日追記.


テレビ番組で,大々的に放送したらしい.
くろべえ: 脳内エステIQサプリ

0で割る計算


2000年4月,1年生に0で割る計算をレポートで考察してもらい,それに対するコメントを配布したので,そのまま掲載.

はじめに


今回のレポートで皆さんの努力が良くわかりました.とても深く考えてくれた人,色々な実例を考えてくれた人等々.
何度も言いますが,数学は「考えること」「頭をつかうこと」であり,「問題を解くこと」では決してありません.
「問題を解くこと」は数学理解のための手段であり,それが数学の目的ではないのです.頭を使うことはそのまま数学することです.頭を使うことを嫌がったり,怖がったりしてはなりません.みんなは,テレビを見るときは頭を使わずに見ていると思います.数学の授業をテレビを見るように受けてはいけません.私のしゃべることを,自分の頭脳の中に展開して,数学的なイメージを作りながら授業を受けてください.イメージが作れないときは,わかってないということですから,「わかんない!」と叫んでください.ノートは補助的にとるだけであって,板書を写すことが目的となることの無いようにしましょう.(私は板書が下手なので写すのが趣味の人の期待にはそえません)ノートの整理は復習の時にするようにして,授業中は頭を使うことに専念しましょう.

数とは


まず,自然数は個数を数えるという,人間の最も簡単な数学的概念を表現したものといえます.皆の解答の中に,
「0は何も存在しないことである」
が,たくさん見受けられました.
割る数が 0 =「ない」 ので 「解はない」
人がたくさんいました.それを理由に「解がない」というならば
「5+0 はたす数がないから解はない」
ということになる.個数が一つもないことをや大きさがないことを 「0」 と表現しますが, それは,個数や大きさを表現する数として,数 0 が存在することになります.一つもないことを表現する 0 であるがゆえに,
「0」 は 「数が無いこと」
と混同しているようです.
「0」という表記がある以上「0は存在」します.
「0」が存在しなければひとつもないことを表すことができなくなります.
「5-5」の答えを表記する手段として0は存在します.
これは「点は存在しても,点の大きさがない」に近いものです.
例えば,方程式 x2+1=0 を考えてみましょう.移項すると x2=-1 となります.つまり,解は2乗すると -1 になる数です.そんな数は少なくとも,数直線上に出てくる数(実数) ではありません.この方程式をみたす解は実数の範囲には存在しません.存在しないからといって,x=0 ではないでしょう.
一方,方程式 2x-3=-3 の解は x=0 です.「0」 が求まったからといって, この方程式の解がないということにはならないでしょう.
個数が一つもないことや大きさがないことを表現する 「0」 と 「数が無いこと」を混同しないようにしましょう.
数は,もともと個数を数えることから始まりました.小さい子供もその様な数をはじめにおぼえます.数が,個数だけを表現するものならば, 「無いことが 0」 としてもさほど差し支えありません.しかし,数は個数以外にも色々なものを表現します.みんなが知っている数としては,実数(数直線で表される数)はかなり万能な数です.もし,数が個数しか表現しないとしたら...
次の問題を考えてみましょう.
自動車が5台あります.4人で等しく分けると 一人あたり何台になりますか?
5÷4=1.25 だから答え 1.25 台ですか? でも,そんな答えはナンセンスです.5台の車を4人で等分することなどできないからです.つまり,自動車が5台,人が4人というのは,個数つまり自然数だけの世界です.5÷4 の答えは自然数にはならないので,この問題は「解はない」,「5台の自動車を4人で等しく分けることはできない」と答えるしかありません.
つづいて,数が正の数しか表現しないとしたら...です.個数につづいて,次は「大きさ」です.大きさというのは正の数,正確には正の実数で表現されます.
長さ1m のひもがあります.このひもを 3m 使ったら 残りは何m ですか?
1-3=-2 なので -2m ですか? でも,そんな答えはナンセンスです.1m のひもから,3m 使うことなど出来ないからです.つまりひもの長さは「大きさ」なので正の数だけの世界です.これもやはり,「解はない」,「1m のひもから 3m は使えない」と答えるしかありません.
つまり,数というのは使う場面により,意味を持つ範囲が自ずから定まります.私が,0 で割る計算を出したときはとりあえず数はあらゆる数を考えてました.それを,個数だけに限定して考える頭の固い人が多かったことにびっくりしています.まあ,割り算の定義は小学校(せいぜい正の数)で教わったままの人が多いのでしかたがないことなのでしょう.
数が個数や大きさしか表さないのならば,小数や負の数はナンセンスです.でも,液体の量を測ったりするのに実数(ここでは特に小数)は有用ですし,空間の位置を表現するためには正の数だけでは無理があります.
もちろん,小数も負の数も「数える」ことから出発していて,だからこそ 1, 2, 3, ・・・ などの数字を使うわけですが,ここでそれらの作り方を確認します.
まず,小数.あるひもの長さを測るとします.単位はこの際なんでもいいですが,便宜的に 1m としましょう.1m づつ測りながら数えていって,ひもの長さが 4m と 5m の間にあることがわかりました.そうしたら,次に 1m を 10等分して 6つめと 7つめの間にひもの端がきました.6つめと 7つめの間をさらに 10等分したら,ちょうどひもの長さが3つめにきました.このときひもの長さを小数で 4.63m と表現するのです.(このように10等分するとき小数の 10進展開といいます,半分にして 0,1 だけを使えばコンピュータで使われる2進展開になります.)つまり小数も「数える」ことを基本にしていますが,小さく分けて数えるわけです.
ここで疑問になるのが,「無限に続くわけのわからない小数も数といえるか」となるわですが,これは「極限」の議論ですから,ここでは説明しません.
次に負の数.これは,数直線の作り方でもあります.直線上に点O をとり O と違う点 E をとり,線分OE の長さを 1 とします.そして,点O には数0,点E には数1 を対応させます.ある点A が O からみて E 側にあり,線分OA の長さが,4.63 のとき点A には数4.63 を対応させます.ある点B が O からみて E と反対側にあり,線分OB の長さが,2.3 のとき点B には数 -2.3 を対応させます.これが,負の数です.
つまり,「大きさ(長さ,量)」から「位置」の概念へのジャンプです.
位置を表現する数として,負の数は不可欠です.さらに,1年の2学期には実数よりさらに広い数の世界(複素数)を学習します.その数のありがたみは,高校の数学程度ではほとんどありませんが,電磁気学を表現する数として,なくてはならない数です.
数は個数を数えることから始まってますが,それだけでは表現できるものが少なすぎるため,負の数や,小数,その他色々な数に拡張されるのです.
「数は,個数や大きさを表現するものであり,また,それだけである.」
としか思えない人にとって,負の数の理解に到達することが難しくなります.

割り算とは


割り算とは何でしょう.「10個のものを5人で分けるとき」 10 ÷ 5 = 2 と答えることかな.
割り算はわけることである
という理由を書いた人が多かったのは,小学校で始めに習ったときは,「分けること」とならったからなのでしょう.「分けること」の計算に使うのは「応用」であって,「本質」ではありません.「応用」から入るのは,現実の問題を考えさせることによって,導入をやさしくするという「教育的配慮」です.その意味で,「関数」で考えたり「速さ」で考えてくれた人もいてそれはそれでよいことですが,結論的にはそれらは「割り算の応用」に過ぎません.
割り算の本質は「1あたりを求める」ことです.そして掛け算は「1あたりがいくつぶんあるか求める」ことです.したがって数学的には
割り算は掛け算の逆算
です.10÷5 = 2 の答えを出すときは掛け算の九九の表を思い出して, 5×2 = 10 を計算すると思います.つまり 10 = 5×2 だから 10÷5 = 2 なのです.
10 = 5 × 2
10 ÷ 5 = 2
この事を理解した上で,宿題の問題を考えてみると,自ずから答えが出ると思います.
また,5÷0 などを 5 × (1/0) のようにした人もいましたが,問題の本質は変わってません.(1/0)= 1÷0 だからです.「分数=割り算=比」であることを忘れないでください.(分数の割り算についてはこちら.)例えば,(5/8) = 5÷8 = 5 : 8 です.5÷0 を 5/0 と書き換えたところで,表記法が変わっただけで,問題の本質に変わりありません.

0÷5

「0割る」

これは全員正解していました.電卓で計算しても 0 が出てきます.0÷5 = x とすると,0 = 5×x でなくてはなりません.このような x は 0 だけです.

5÷0

「0割る」その1

「無限大」と答えた人がいました.つまり 5÷x で x が正の値をとりながら限りなく 0 に近づくとき答えが無限に大きくなるからでしょう.このようなものを数学では極限といい,これから習います.また,0 に近づくものを無限小といいます.(マイナス無限大とは違います)
実は,0 と無限小とは似て非なるものです.0 はあくまで 0 であり,無限小ではありません.数学では,無限小と 0 は厳格に区別して扱います.
無限小の振る舞いを論じる理論が解析学です.
無限小を無限小で割る計算が微分で,無限小を無限個集めるのが積分です.
無限小を掛けたり,無限小で割ったりしますが,0 を掛けたり, 0 で割ったりすることではありません.
この辺の話しはおもしろいのですが,これからのお楽しみです.
それから「最も大きい数と,最も小さい数」という答えがありました.最も大きい数 M が存在すると仮定すると, M<M+1 満たす M より大きい数 M+1 が存在してしまう.無限大というのは「数」ではなく状態です.
さて,正解ですが,割り算は掛け算の逆算であることから,
5÷0 = a とすると 5 = 0×a
です.0 倍して 5 になる数はありえないので,このような計算は不能です.
a が無限大としても 0倍したら 0 になります.5 になりません.
「解はない」でも O.K. でしょう.
でも,5÷4 の解が自然数の範囲に解がないのとは本質的に違います.5÷4 の解は数の範囲を拡張すれば解を持たせることが出来ます.ところが,5=0a をみたす a は数の範囲をどんなに広げても解がありません.そんな意味を込めて「不能」と表現するのでしょう.
どっかで聞いたのか理由がなく「不能」とだけ答えた人もいました.
また「0 で割るから不能である」と意味不明の説明もありました.
「0 で割る計算はできないと聞いた」人もいました.
なぜ,0 で割ると不能なのかを答えてほしかったのですが.
数学は当てものではなく「考えること」です.

0÷0

「0割る」その2

約分して 1 と答えた人がいました.約分とは何でしょう.
1÷1 = 1
0.1÷0.1 = 1
0.01÷0.01 = 1
0.001÷0.001 = 1
・・・・・・

なので 1 と答えた人もいました.分母も分子も 0 に近づくので(つまり無限小)これは 1 になります.でも,前節で説明したとおり無限小と 0 は違います.無限小の振る舞いのおもしろいところをお見せしましょう.
2÷1 = 2
0.2÷0.1 = 2
0.02÷0.01 = 2
0.002÷0.001 = 2
・・・・・・

分母分子とも 0 に近づくのに,この場合割り算の結果はいつでも 2 です.
無限小と 0 は違うのでどちらも 0÷0 の結果ではありません.
0÷0 = a とすると,逆算の意味から 0 = 0a です.
このような a はいくらでもあります.数でなくても,式であっても成り立ちます
0 = 0(5p-3q)
つまり,解は定まりません.「不定」と表現します.
解が定まらないときには,ほかに,式自身が解になってしまって一つの数に定まらないこともあります.(直線など,図形の方程式)
このような場合は,数値が定まらなくとも式自身が一つの解として定まります.(つまり図形自身が解)
0÷0 の場合,式ですら一つに定まらないのです.
あと,「定まらないから無限」という答えもありました.無限に存在することと,無限そのものはちょっとちがいます.

おわりに


以上見てきたように割り算は掛け算の逆算ですが, 0 で割る計算は「なんにもない」か「なんでもあり」になってしまうので,数学では「0 で割る計算は除外して考える」ことになってます.つま
0 で割る計算は定義しない
のです.
5/(x+1) という式では x≠-1 という条件が暗黙のうちについてきます.
「0 が数かどうか怪しい気がする.」と書いた人がいました.でも,現実に「何もないものの個数を表現する数」や「原点の座標を表現する数」として存在します.「数学の本質はその自由性にある.」とは G. Cantor の言です.ある概念を表現するのに有用なものならば,何でも取り入れて(つまり実在するものとして)扱うのが数学です.
これから先,様々な概念が登場します.そのときは頭をタコにしてその概念を自分の中のイメージとして,構築してください.タコぐらいではだめで,液状になるくらいがいいかな.悟りをひらくと,空気のようになる?
さらに自分の(数学)イメージを言語化できる表現力を身につけてください.



参考(2004.3.24 日記)

「0で割る」に見る科学的態度

質問サイト回答(2004.7)


2004年7月ある質問サイトの答えに,次のように投稿した.
まず0倍したら,なんでもかんでもすべて0になることはいいですね.
そこで割り算とは何でしょう?
15÷3=5 となる理由はなんでしょうか?
「15個のものを3人で分けると5個ずつになるから」ではありません.これは応用.
本質は, 15=3×5 だからなのです.
割り算をするとき実際は掛け算の九九を思い出して,引いていくと思います.「自分は掛け算の九九を使わずに割り算をやっている」という人がいたら,その方法を教えてください.まぁCPU のように引き算の繰り返しとか,「すべて一覧表になっている」(つまり割り算をすべて丸暗記している)人,あるは電卓しか使わない人はいるかもしれませんが,割り算は,実際掛け算をやっているのです.(電卓でしか出来ない人は,掛け算でやる方法を覚えてください.)
そう,割り算の本質は「掛け算の逆算」なのです.
このことからすると,5÷0 の答えとは,「0倍して5になる数」なんです.0倍したらなんでもかんでもすべて0になるのですから,そんな数はありえませんね.
べつに禁止されているわけでも,無限大でもありません.割り算の本質(掛け算の逆算)で考えれば,「そんなものなんにもないよ」というしかありません.

同様に 0÷0 の答えは「0倍して0になる数」ですから「なんでもかんでもすべてあり」になり,これまた意味を持ちません.

0で割る計算は「なんにもない」か「なんでもあり」ということで,無意味なので今のところ「数学では除外して考える」習慣になっています.
今までの数学と矛盾することなく,0で割ることに何か新しくて正しい論理的な意味を持たせることが出来れば,そこから新しい数学が始まると思います.べつに「0で割ってはいけない」ことが数学的に証明されたわけではありませんから.(「数学が矛盾しないことを,有限の論述で証明することはできない」ことは 1931年にまったく数学的に証明されています.)
「数学の本質はその自由性にある」という数学者の言葉があります.固定観念にとらわれることなく,挑戦してみてください.
↑この文章のアンダーダイン部分,思いっきりパクられてんの.まぁ,いいけど.
やほーちえ袋
少しくらい,自分でアレンジすればいいのに,完全にコピー&ペーストだもんなぁ.最後に,パソコンの計算結果の記述があるけど,「私は人や機械に頼って,自分では思考しません.」という意思表示をしている.

2004年9月4日追記.


「0で割ってはいけない」と習うらしい.俺がいつ教えた?
したがって,
質問「0で割ってはいけないと習ったのですが,なぜですか?」
の回答でも
「決まりだからです.」「定義だからです.」
と自分では,何も考察しない回答が並ぶことも多い.
学校では
「・・・だから,0で割ってはいけないのです.」
と教わるものの,「・・・」を忘れ結果だけ覚えていて,ある日「どうしてだろう」と思うのか.
まぁ,「0で割ってはいけない」理由を知らずに「決まりだ」で済ませる数学教師もいるだろうし,知っていても,教えるのは面倒だし,結果だけ使えば受験には十分だし,「決まりだ」で済ませることもあるだろう.
私は「いけない」ではなく,「意味がない」と教えるようにしている.そっちのほうが,理由に近い.
0で割る計算は「なんもない」か「すべて」になって意味がない.


2006年11月21日ブログ - 「0で割る」でアクセス噴火

2005年11月9日追記.


分数の割り算にみる数学における「定義」の意味


Linked

Lestialization
どこが間違い?「1=2」を証明する
『0で割るということ』について。
「無限大」の大小について
「無限大」の大小について
「無限大」の大小について
0÷0の答え - Yahoo!知恵袋
0で割るとどうなるか (数学ネタ17)
数学ガールはさっぱり読めてないがゼロディバイドについて - polestar's blog
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 - Yahoo!知恵袋
1÷0=? - Yahoo!知恵袋
本当に家庭教師
0÷0=?
ψ(プサイ)の興味関心空間劇場版・・・
OKWave 除算の定義?
[考え事]今日の悩み
2÷0の答えは何になるのでしょうか
[教えて!goo] ∞×0なんて答えあったっけ?
1÷0 と 無限大 の定義
http://www-higashi.ist.osaka-u.ac.jp/~k-maeda/nonsense0501_0503.html
分母が0 -OKWave
[教えて!goo] 分母が0
3/26のIQサプリで…
『0』で割る割り算
Yahoo!知恵袋 - 1÷0 はなんですか?
過去モノ
0/1 と 1/0  の違いを数学的に
[教えて!goo] 生徒に質問されて困ってます。
ちょっと変な質問になってしまうかもしれないですが、中
[教えて!goo] 8÷0=
Yahoo!知恵袋 - 電卓で1÷0を押すとE(エラー)で0になります。1
Yahoo!知恵袋 - 「0^0=不定」を、高校1年生に分かり易
Yahoo!知恵袋 - 0で割り算をすることはできない、ということになっていますが
こないだ数学の授業で、「5÷0」 - Yahoo!知恵袋
[教えて!goo] 1÷0の答えを教えて下さい

2000年4月30日日曜日

数学を学ぶ意味 理由

2013.6.29追記>数学を学ぶ理由は,世界の平和と人類の幸福のため

2006.12.25追記>「脳が汗をかかなければならない.」



2000年4月,新入生に対し数学を勉強する理由,意味をアンケートで答えさせた.それに対するコメント
「お金などの計算に使う」
これは算数だと思うのだが.
「進学や就職に役立つ」
とりあえず目の前のテストの突破ということかな.数学が役に立たないものなら,なぜそれでテストをするのだろうか.「学校で習うからそれを選抜テストで利用する」というなら,なぜ学校で習うのだろう.「選抜テストで数学がある」から? どうどうめぐり.選抜テストで「数学」があるのは,「数学を使うから」ということもあるかもしれないが,どちらかというと「数学の素養が必要だから」というのも多いと思う.
「数学を使わない仕事に就きたい」
そういう意味で,「素養」は必要.しかしほとんどの仕事は「知識としての数学は使わない」から安心してよい.
「数学はなくても何とかなるけどあったほうがいいもの」
まぁすべての学問について言える.世の中の80%以上の人にとって学問は不要でしょう.しかし現代の便利な生活を支えるために20%の人には,高い報酬をもらっていいから頑張ってもらわないと.
「数学は国語に似ていると思う」
数学は科学を記述する言語です.言語であるなら「国語に似ている」のも当然です.
「歴史は覚えるだけだが,数学は創造性を育てる」
これを聞いた歴史の先生は悲しいだろうな.歴史を学ぶのは年号を覚えるためではありません.歴史に学び,未来を創造するために学ぶのです.その時,事件の流れをつかむために年号などを使うのです.たとえば「794年平安京遷都」というのがあるが,ただなんとなく場所を移したわけではないだろう.奈良の都を捨てて平安京をつくる必然があったはず.そのときどんな事件があって,どんな人物がどう活躍したかを知れば平安遷都が794年というのは「当然のこと」になってくる.これが歴史の学びかただよ.歴史は,その事件を通して人間の生き様,強さ,弱さを学び,人生の糧にし,未来を創造する.それが目的だと思う.
「数学は日常生活には役に立たないのではないか」
まったくそのとおり.私も日常生活では使いません.その意味では数学以外のすべての教科も当てはまります.小学校高学年以上の内容はどの教科も日常生活で使いません.でも空気のように役立ってます.
「論理的思考力,表現力を養う.」
数学でなくても養えます.囲碁や将棋やオセロが強くなれば養える.でも学問全体はこの素養が必要で,どの教科でも養える.
「頭を使わないと堕落する」
サルに戻るね.
「社会で役立つ」
社会の要請でもある.つまり「数学そのもの」ではなく,数学で鍛えた「柔軟な思考」がますます求められる社会になってきています.まぁ,実際に数学の知識は使わなくとも,その柔軟な頭脳は空気のように大切.日常でその大切さを感じ取るのは難しい.
「必要があるから学ぶのではなく,知りたいから学ぶ.」
人間の本能ですね.これがサルとの違い.
「好きだからやる.社会で役立つのは副産物」
まぁ,個人的にはそう.「役立つ」ことを見越して勉強しても身につかない.無論,社会の要請で数学も発達しているのだが.
「可能性を広げるために必要」
その前向きの姿勢がよい.自身の無限の可能性をどこまで信じることが出来るか.
「数学にはセンスや才能がものをいうのだろうか」
センス,才能がものをいうのかもしれないが,中学,高校の6年間くらいでは判断できない. 20年くらい努力をつづけてはじめてわかる.つまり大部分の人は短期間で勝手に結論づけているわけだ.
「大学の専門教育の準備期間としての高校」
それはいえる.しかし,それなら予備校だけでもよい.高校の存在は知識を増やすだけではなく,それを通じて知識の獲得方法も学ぶ場でもある.さらに,人として集団への関わり方を学ぶ最後の期間でもある.生徒総会とか,全校で合唱祭なんて,高校が最後でしょう.実は大学も「知識を増やす場」以上に,「知識獲得のスキルの向上」が本来の目的であると思います.知識が増えても行動に出なければ意味がないからです.それを簡単に言えば「平和と人権」のテストでいい点とる奴が平気で人をいじめるようなもんです.
「古代からある文化遺産としての数学を学ぶ」
人類はそうやって発展してきた.
「円周率は現在でも計算をしつづけているらしいが,いつか割り切れる日がくるのだろうか」
円周率は無理数であることが証明されています.つまり循環しない無限小数であることが証明済み.今行われている円周率の計算は,コンピュータ利用技術の競争.つまり「うちの技術だと市販のパソコン使って3時間で50億桁計算できたよ.」と自慢するために行われている.技術力の高いところのソフトは「売れる」わけだ.
「数学は答えがスパッとでるからよい」
数学者は常に数十から数百の未解決の問題を考えていて,ほとんど解けなくて,たまに解けると「論文」として発表するのが仕事です.みんなのやってる数学は「古典」で,すでに解決済みのものばかりだからかならず答えがあります.答えがあるかどうかわからない問題を解くのが,本当の数学です.
「答えがひとつだから好き」
他の教科もテストの答えはひとつでしょう.でないとテストはできないはず.よく引き合いに出されるのは国語のテストです.「国語はたくさん答えがある」という人がいるが,本当だろうか.試しに,どの国語のテストでもよいから,何通りの答えがあるか数えてみてほしい.「与えられた文章」をもとに「読み取り」を問題にしたり,「指示語」の指示する文を答えさせたり,「要約」を表す文を抜書きさせたりする場合,「もっとも適切な客観的な答え」はただ一つのはずで,そうでなければ「テスト」にならない.逆に「作文などは個性が出るよ」というかもしれない.もちろんそう.これは数学でも「証明」についていえること,証明の方法など一通りではない.それこそ「個性爆発」だ.記述式の数学の問題などは「作文」のようなものです.
「図形が苦手できらい」
計算より図形が苦手なのは普通です.あたまの使い方のレベルから考えると当然です.逆の人はまずいないでしょう.
「数学を学んでいくうちに興味を持ち,将来仕事に役立ち,科学が発展し,人々の生活の向上につながる.」
これが「全員にやらせる」理由だね.この科学文明を支える人を見つけ出すには「全員にやらせて興味を持つ者,得意な者」を探すしかない.エジソンやアインシュタインは「低学力児」だったそうで,たかが学校教育の十数年くらいでは「数学の向き不向き」の判定はできない.したがって,日常生活の部分は小学校で6年かけ,中学,高校とさらに5,6年かけて「全員」に数学をやらせ,「興味を持つもの,得意な者」を見つけだそうというわけだ.さらに文科系の大学へ行っても1年の「一般教養」では「自然科学の分野」から2科目程度は選択しなければならず,人によっては数学を選択することになる.したがって,たかが数年間で「数学はいらない」と判断され,数学の素養のない人が大量に社会に送り出された場合,現代の便利な生活を支える上で不都合が生じるかもしれない.日常生活では意識しなくてもこの便利な生活は科学が支えている.その科学の記述に数学は不可欠.だれも数学をやらなくなったら,この便利な生活はなくなってしまう.しかし,科学は地球破壊,人類滅亡の手段ともなっている.だからといって,いまさら原始時代の生活にはもどれない.世界の飢餓や地球の環境破壊を救えるのは,一人一人の意識とそれを支える科学だ.そのための基礎として数学を学ぶわけだ.さらに,現代の民主主義を支えるのも「科学技術」です.直接民主制はせいぜい学校の生徒総会が人数の上限.民主主義が成り立つには,知りたい情報がいつでも手に入れることができることが必要.情報を手に入れるには「科学技術」の支えがなくてはできません.



自己PRから

「少しのことではへこたれないのでしごいてください」
人生修行ですね.苦労は買ってでもせよと,昔から言われます.現代社会はなかなか苦労できないですから.
「学ぶ意味はよくわからない」
これがみんなの本音でしょう.本当の意味で学ぶ意味がわかるのは「全て学んでから」でしょうね.数学に限らず食わず嫌いはよくない.勝手に自分を「文系,理系」と興味の範囲を制限すること自体,自分の能力を矮小化して狭めていることに気付くべきだと思う.
「なかなかやり方を思いつかない」
これは普通のこと.受験生で全てのやり方を自分で気付いた人は皆無のはず.つまり大抵は答えを見て理解してやり方を覚えたのだ.数学を学ぶ目的が「問題を解くこと」に堕しているひとの勉強法だ.もちろん,目前に「受験」が迫っているならある程度仕方がないが,「これが数学」と思われると,数学がいかにも安っぽいよ.本当は「考えること」だ.それが人間の証だから.
「答えを求めるのが数学」
「問題を解く」のは数学理解の手段であって,目的ではない.数学を通じて,数学的世界観や発想,思考を身に付けるのであって,決して「問題を解く」のが目的ではない.
「苦手だけど好き」
こりゃまったく私と同じです.得意といえる人がうらやましい.得意だったら教員なんかやってない.研究者になっていた.そんな実力がないけど,好きだから教員をやっている.職業としての研究者ではないが,研究はしているつもり.
「高校の数学は難しくて大変そう」
だから楽しい.難しくて大変そうだからファイトが沸きませんか?楽したいならサルと同じかも.
「医師も目指したいけど,歌手になるのも夢」
夢は大きければ大きいほどいい.どうせかなわないのだから.もしかなったならめっけもの.かなわなくても大きな夢に向かっての死に物狂いの努力は人生の宝になる.要領のよさだけでも,この豊かで平和な世の中はわたれるが,残るのはむなしさだけだろうなぁ.
「自分は理系じゃない」
理系じゃなくても,高校程度の数学の素養は必要.私は3年で選択になる数学Ⅲと古文Ⅱは全員必修であるべきだと思う.
「自分は頭が硬い」
よく「若い柔軟な頭脳」という言い方をします.私は間違っていると思います.若者は常識を覆して,新しい文化を生み出すだけであって,それは柔軟な頭脳ではないと思います.柔軟な頭脳は訓練によってしか身につきません.したがって,本当なら年寄りほど頭脳は柔軟です.しかし,若い頃の頭の硬さのまま,やわらかくすることなく年をとり,硬い頭脳ゆえ「常識どおり」の楽な生き方をする年寄りが多いだけです.よくテレビの取材を受けるようなクリエイティブなお年寄りを見ると「この人は,今でも発展中だな」と思います.そういう人は若者のようにイタズラに常識を覆すこともしませんが,かといって決して頭脳は硬くありません.あこがれるなぁ.一生修行するしかありませんね.
「平等な授業にしてほしい」
平等ってどんな意味だろう.「字の大きさ,声の大きさなど座席の位置による不平等を・・・」そういうことね.そのくらいは気をつけられるな.まぁ,聞こえないときや見えないときはその都度教えてくれればいい.法律などの社会制度は万人に平等であるべきだろうが,おれは「制度」じゃなくて「人間」だからなぁ.自分自身は,不平等や理不尽やえこひいきが好きだから困る.世の中,制度は平等でも,人間は不平等.だって,それが普通の社会だ.自分の生まれた家を見ればわかるでしょ.隣のうちとはだいぶ違うはず.私の場合は特に,何らかのペナルティーを科すときは理不尽なことが起きるといってよい.あ,でも,成績は平等につけるよ.ペナルティーは記録しないから大丈夫.つまり記録しないゆえ,行き当たりばったりの思いつきのものになるんだ.成績は記録できる客観的で数値化が可能なものだけでつけるから心配ご無用.
「授業中に寝てしまうかも」
高校は義務教育じゃないから,自分の責任で,いいんじゃない.睡眠して,留年でも退学でも,選択肢はいろいろあるよ.まぁ,テストでいい点取れば大丈夫.中学校は全部休んでも卒業したいといえば,卒業可能だけど,高校は不可能.でも,数学は独学はまず無理だ.予習復習はできなくても,授業は大切にして欲しい.授業を理解していれば,予習復習しなくても試験前に何とかなる.これが試験直前に独学になるようでは,ダメだ.最も無駄な時間の使い方だ.
「あれこれ考えるのがすき,未来の地球とか,人間の存在意義とか」
人生の目的はズバリ「遊ぶため.」これは表面的な遊びではなく,苦しみを苦しみとして真剣に対決し,楽を楽として,苦楽ともに遊び演じきるのが人生の目的だと思う.
「試験第一主義の教育に疑問を抱いている」
これは「学校という社会システム」がそうだから仕方がないでしょう.勉強は本来,人間の持っている「知らないことを知りたい」という「本能的な生きる力」で,試験などで他人から強制されるものではない.しかし試験のない世界で,皆が勉強にいそしむほど人間は発達していない.だから馬車馬のように尻をたたかれながら勉強したい人は「学校という社会システム」に乗ればいい.自分の力で勉強が可能な人は,別にそんなシステムに乗る必要はないし,そういう人もたくさんいる.だから高校以上は義務教育ではないのだ.学歴社会を否定し,社会で活躍している人はたくさんいる.
しかし現代の便利な社会を支えてくれている人のほとんどは,そのシステムの中で能力を磨いた人たちです.さらにしかし,学力は常に「能力の一面であって全てではない」ということは忘れてはならないと思う.もっと大切な「人を思いやる心」,「他人の苦しみを自分の苦しみとできる心」,「自然愛護」,「誠実であること」・・・これらを忘れたら,学力は人を幸せにするどころか「凶器」となる.数値化して測ることが出来ないが,本当はこういうことで「競争」してもらいたいものだ.
私は「学力競争」は否定しない.「競争」はギャンブルみたいなもので,本当は「楽しい」はず.当然そうなれば「1位から最下位」まで順位を公開すべき.学業成績などというちっぽけなものはプライバシーではないのだ. 1位や最下位であってもそれは「人間の能力のごくごく小さい部分の評価」なのだから,威張ったり自分を卑下するのは無意味のはず.「学力が全て」だと思うから最下位が恥ずかしかったり,たかが1位で優越感を持つ.こんなくだらないことはないのだが.「笑顔の最下位」ですよ.

2000年4月14日金曜日

創立記念講演

4/10が創立記念日で休みだったのだが,記念の講演会が昨日あった.
寄生虫学で有名な半分タレントの藤田紘一郎先生を講師に迎えました.
つぼを押さえたギャグが楽しく,かつスライドを使いながらとても充実した2時間でした.
藤田先生の著書は「立ち読み」で何冊か読んでいたのですが,ミーはーな私は今回,「サイン入り」の本を2冊購入しました.
1冊は藤田先生を有名にした「笑う回虫」,もう1冊は最新刊の「清潔はビョーキだ!」.
自分は不潔な少年時代をすごしたので,すこしは頑丈かも

2000年4月9日日曜日

お花見

娘が友達と上野公園へお花見に行った.
おむすびをたくさん作っていったら,テレビのインタビューをうけたそうだ.

はなまるマーケットで4月20日(木)に放映されることが決まったんだって.「おにぎり特集」だって.早起きしておにぎりを作ったかいがあったようだ.

満開

今年も満開


2000年4月7日金曜日

今日は入学式

今年から1年生の担任で,今日は入学式.
緊張した1年生を見ているとこっちまで緊張してしまう.おちゃらけてみうと思ったけど,まじめな1年生がどれだけ受けてくれるか不安だったし,はずしたときの気まずさを思うと,とてもその勇気はなかった.
基本的に自分は人前で話をするのが苦手だということを,今日の1日で再認識できた.
授業はギャグも含めてシナリオができているからなー.でも来週からはぶっとぶぞー.

かわもとくんの妹がいた.

2000年4月1日土曜日

バレエの発表会

30日は娘が習っているモダンバレエ教室の発表会でした.

今回最年少のたぶん3歳くらいの子.
こんな小さい子が一生懸命じょうずに踊るのを見てるとけなげで,涙がでてきます.娘が習い始めたころを思い出しました.


こちらはムスメ.中学生以上は衣装のデザインや選曲,振り付けを自分でします.モチベーションが高いので表現力は圧倒的.

プログラムはこちら

2000年3月31日金曜日

娘の通うモダンバレエ教室の発表会より

娘の通うモダンバレエ教室の
発表会より

3月30日

第1部(小品の部)

1.森の熊さん(幼児クラス)


2.エーデルワイス(幼児クラス)


3.ディスコミッキーマウス(児童クラス)


4.金の星・銀の星(児童クラス

5.トップ・オブ・ザ・ワールド(児童クラス


6.ソング(幼児,児童,ジュニアクラス


7.プリーズミスターポストマン(ジュニアクラス)


8.渚にて(ジュニアクラス


9.HEAVEN'S DRIVE(ジュニアクラス


10.ショートストーリー(ジュニアクラス

11.Tears(ジュニアクラス


12.アルハンブラの思い出(ジュニアクラス)
 

13.Enjoy Yourself(ジュニアクラス)


14.チャールダッシュ(ジュニアクラス)


第2部 合同作品「ピーターパン」(幼児クラス,児童クラス)

「ピーターパン」のお話に出てくる「ネバーランド」ってどんなところなのかしら・・・「ピーターパン」に会ってみたいなぁ・・・
ウェンディーはいつもそう思っていました・・・
とってもきれいで,とってもかわいい仲間のいるネバーランドへ皆さんもいっしょにいってみませんか?

Part I


1.ネバーランドの夜明け(白い鳥の踊り)
ネバーランドには「平和の森」と呼ばれるオリーブの葉がたくさん茂っている森があります.夜明けとともに,白い鳥たちが眠りからさめ,朝をつげています.


2.おはようピーター
とってもかわいい天使ティんカーベルがピーターパンに夜明けをつげます.


3.平和のシンボルオリーブの葉
今日,僕のお話を読んでいる子は,どこにいるかな?平和の印のオリーブの葉を届けよう・・・

4.空にはばたけ
白い鳥たちをおともに,ピーターパンはウェンディーの家をめざし,飛び立ちました・・・

5.ウェンディーの家では・・・
お母さんが「ピーターパン」のお話を読んできかせてくれました.ウェンディーとジョンとマイケルは窓から夜空を見上げました.


6.こんにちは!ピーターです!
絵本の中のピーターパンが目の前に現れ,子供たちは大喜びです.空の飛び方を教えてもらいました.

7.ネバーランドへ出発
ピーターについて子供たちは,窓から夜空へ舞い上がりました.

8.悲しみの父と母
子供たちが居なくなり,お父さんとお母さんは,驚き悲しみました.テーブルの上にあるオリーブの葉を見て,ピーターパンが来たことを知りました.

1.人魚の踊り
ピーターパンは,ネバーランドの王子様です.どうか早く帰ってきてください.




2.ネバーランドに到着
大空高く,ピーターと新しい友達がネバーランドに向かって飛んできます.

3.ゆかいな仲間
島の子供たちとウェンディー達は,すぐに仲良くなりました.



4.インディアンの踊り
ネバーランドには10人くらいのインディアンがいます.ウェンディー達の為に「喜びの踊り」を踊ってくれました.



5.ティんカーベルの踊り
かわいい天使のティンカーベルも,すぐウェンディー達が大好きになりました.大好きなピーターとウェンディーに,かわいいおまじないをしたのでした.



6.ピーターパンとウェンディー
ピーターパンとウェンディーはなんだかとっても幸せな気持ちになりました.


Part III

平和なネバーランドも,フック船長と海賊の登場で,戦いが始まってしまいました.みんなでフック船長と海賊をやっつけろ!
天使のティンカーベル・・・どうかみんなを見守ってください・・・
1.時計ワニの踊り
「今日こそフック船長の手首を食べてやろう・・・」
その前に,みんなでちょっとウォーミングアップ!



2.フック船長


3.海賊登場
「ピーター!今日こそ決着をつけてやる!」
「おや?新しい仲間がいるぞ」


4.戦闘開始
ピーターパン,ウェンディー,ジョン,マイケル,インディアン,時計ワニ
vs
フック船長,海賊


5.ティンカーベルのお祈り
「どうか,みんなを行きかえらせてください・・・私たちが2度と戦わないようにおまじないをしますから・・・お願いです 神様・・・」




6.エンディング
ティンカーベルのお祈りが通じて,再び平和で楽しいネバーランドになりました.




第3部 合同作品「宮沢賢治の世界」(ジュニアクラス,児童クラス)


東北の岩手県に生まれ37歳で人生を終えた宮沢賢治・・・
彼は幼少のころから体が弱かったこともあって,大変に繊細な心の持ち主だった.
常に強い者にあこがれながらも,どこか理想と食い違う現実に悩み,苦しみ,悲しんだ.その思いは,やがて文学,芸術の世界で自分をとき放つように開放さ れ,花ひらいていった.37歳という短い人生の最後にたどり着いた詩「雨ニモ負マケズ」には,まさに痛々しいほどまでに彼の本当の心を感じる.詩というよ りは彼のひとりごとのようである.今回は,そんな賢治の人生の途中で書かれた文学作品4つを取り上げてみた.

1.永訣の朝
最愛なる妹「とし」.今病の苦しみから開放され,美しく舞い降りる雪と溶け合い天に昇ってゆく・・・ついに別れの時を迎えてしまった.


2.鹿踊り
「岩手の山奥深く多くの鹿の足音がこだまする・・・木の枝にかけられた1本のまめしぼりの手ぬぐい・・・旅人の忘れものだったその手ぬぐいは風にゆられ,まるで生き物のように見えた・・・恐れの中にも興味深そうに多くの鹿が集まってきた・・・」
賢治の童話「鹿踊り」と現在の郷土芸能とを織り合わせた新しい「鹿踊り」・・・


3.よだかの星
私たち「よだか」はタカにいじめられたことがつらく悲しくて「星になりたい」と思ったのではありません・・・いじめを受ける私たちは常に弱者であり清い生き物であると信じていました.
しかし,ある日私の喉に引っかかった1匹のクモが,もがき苦しんでいることに気づいた時,信じていたことは間違いであることを悟りました.
美しい鳥になりたい・・・できることならどんな小さな命もあやめることない美しい鳥になりたい・・・
そう,あの夜空に美しく輝くあの白鳥座の白鳥になりたいのです.



4.農業芸術概論

「どうか,この着物でお金を貸してください」
「いくらも かせんよ.」

これは,賢治が子供の頃,大地主でもあり質屋を家業としていた父と東北の厳寒の地,貧しく農業を営む農民との会話であった.農民に同情する賢治に「おまえ は,家業のおかげで生きてこられたのだ.」と父に言われ,どうにもならない力関係のその中に自らが存在していることに気づいた.
「どうか父と私を・・・許してほしい」賢治の人生を通じての思想の原点はここにあったのだった.

農民たちよ・・・もっと豊かに生きよう・・・誇りを持って強く生きよう・・・私もともに農業に取り組もう・・・この貧しい大地を豊かなる大地にしよう・・・
我々は大いなる芸術家なのだ・・・
その風景は美しい絵画であり豊作を喜び合う歌も踊りもある・・・耳を澄ませばヴァイオリンにも似た風の音,小鳥のさえずり・・・作物に心寄せれば医学にも通じる・・・地にひざまずき,地質の研究をする科学者でもある・・・

星のように野原に散らばり,太陽と風邪と雲からエネルギーを取れ!
農民たちよ,誇りを持って生きよ!
農業とは・・・芸術,科学・・・あらゆる文化の歴史を集結したものだから・・・


おしまい



楽屋