最近あるBBSに書いた記事から:
公教育のシステムはここ100年ちょっとの歴史しかなく,数千年にわたって教育に携わってきたのは「私塾」だ.歴史の長さから言えば,私塾のほうが先輩.もちろん私塾では貧富や社会階級による教育の差が出てくるために,「公教育」というものが考え出されたのだろう.
しかし私塾が繁盛するということ,それは公教育が機能していないことの証左であり,私塾はいつの時代も公教育の矛盾を突くべく,その隙間を埋める存在として,これからも存在しつづけてほしいものだ.
塾も繁盛しないような社会は,それこそ不安定で「教育どころではない」層が多数を占める社会だと思う.
さらに塾や予備校が受験競争をあおる元凶のようないわれ方をしているが,それは過去のもの.もちろん一部そのような場所もあるのかもしれないが,やっぱり「若者の集まる場所」としての広場になっていて,公教育にはない新たな場になっていると思う.
さて,毎日授業をやってて思うのは,授業内容を理解してくれればうれしいが,そんなことより「生きる力」を学んで欲しいものだ.最終目的は「生徒の幸福な人生」であるべきで,教科指導というものはまずその理念からはいるべき.
そして,あとは教師の工夫というべきか.ところが教師の工夫というものは科学ではなく「職人芸」になっていて,すばらしい教育実践は多数報告されても,結局その人だけのものと勝手に判断して,何も学び取ろうとしない教師のいかに多いことか.
そして,今の教育制度のキーワードの一つは劣等感だろうな.
そう.結局はその制度によって体に染み付いた劣等感をどう払拭してあげるか.学びの楽しさをいかに伝えられるか.
「知らないことを知りたい」というのは人間の本能,今の教育制度はそれを萎縮させる方向にシフトしている.これは進学校などでもいえることで,今の勤務校でも「知の喜び」というより,テストの点ばかりをとにかく気にする生徒がいることからもうかがえる.
他との比較ではない自分の人生をどう切り開いていけるか.
目の輝きををどう取り戻すか.
これは学校現場だけではない,社会全体にいえるのかも知れない.
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