2000年6月9日金曜日

学校ってめんどうだな

という声をときどき聞く.これはまったく同感のときがある.
自分自身も朝起きるとき,このままごろごろと寝つづけいたいと思うときがある.朝,家を出るときめんどくせぇなと思うときがある.このまま,すべてのしがらみから開放されたら楽だろうかという気持ちが支配するときがある.
この感覚は幼稚園の頃からずっと,いろんな形で自分の心に巣食っている.
この感覚を抑えきれなくなれば,学生なら登校拒否,社会人なら出社拒否,いわゆる「閉じこもり」という現代病なのだと思う.

こ の様な現代病に対して,「贅沢病だ」などと心無いことを言う輩や,「だれでもそう思うときがある,気にするな」と無神経なことを言うやつ,「社会病理だ」 と訳知り顔で言うやつ(俺だ)いろいろいるけれども,結局この苦しみを本当に理解できる人間は,苦しんでいる本人も含めて誰も居ないのかもしれない.

とりあえず現代病といわれる所以は,現代社会はとりあえず閉じこもっても家族が支えれば死ぬことは無く,豊かな社会特有の病だからだろう.
それに対して飢餓状態や貧困が深刻な社会では閉じこもり行為は自分の命に関わる,自給自足の社会などにあって,健康な体で閉じこもっていては,その社会の中で生きていくことは不可能といえる.

だ から贅沢病などともいうのだろうが,それでは当事者の居場所はますますなくなる.私はこの行為は,社会病理かもしれないが,生物としての人間の持つ一つの 多様性なのではないかと思うようになってきた.今は社会はそのような人の存在を「病気」として特殊扱いしているが,実は豊かな社会だからこそ,その程度の 行動の「ゆらぎ」が許されていいのではないかと思う.結局閉じこもりに悩む人の苦悩は社会との関係であって,その関係を遮断するのも一つの生き方,その程 度の生き方をも受け入れられる社会にならないだろうかと思う.
古代より人間は飢餓や貧困と闘い,がんばりつづける歴史を送ってきた.せっかく物質 的に豊かになったのだから,がんばらない生き方も許す社会にならないだろうか.閉じこもりの人の苦悩は,がんばれと励ます社会に応えられい自分に苦悩する こともあるだろう.「がんばるな」と励ます社会の実現は遠いのだろうか.

0 件のコメント:

コメントを投稿

スパム対策のため,コメントは,承認するまで表示されません。
「コメントの記入者:」は「匿名」ではなく,「名前/URL」を選んで,なにかニックネームを入れてください.URL は空欄で構いません.