2013年1月30日水曜日

定義

昨日の記事で思ったこと.>昨日の記事


数学ではいろいろと定義が出てくる.
もちろん,定義だから覚えて使うのだけれど,そのように定義する必然とか理由があって定義しているはず.

昨日の記事のように,自分がいつも心がけているのが,
「~と決めたから・・・」
じゃなくて,
「~だから,こう決めると自然だよね.だから・・・」

「太陰暦では1年が360日だったから,1周を360度にしようと思ったんだね.」
「半径 r の円周の長さが2πrだから,1周を2πに決めたんだね.」
という具合に.

適切な定義を選ぶために,過去の人類の思考の過程を追うというか,なんかこう,人間の感性に訴えるのが,教育的なのかなと.(それが数学的に正しいかどうかより,教育の事情を優先する)

そもそも角の大きさを弧の長さ(360度を2π)で定義するのは循環論法に陥る.>以前の記事

掛け算の意味を
「1つ分の数」×「いくつ分」
と定義している時に,
「1皿に5個のミカンをもったとき,3皿でミカンいくつになりますか?」
では 5×3 が正解で,3×5 は不正解である.>大学の先生のブログ


「交換法則が成り立つのに不正解とはまかりならん,ちゃんと数学的に正しいことを教えよ」
というならば,実数の公理まで遡らねばならぬ.>以前の記事
あるいは,公理的集合論まで遡り,集合から自然数を定義して,そのペアで整数や有理数を定義して,有理数の切断で実数を定義すれば,実数の公理はすべて「定理」として証明できる.

「公理など専門的なことは教育的ではない」
というなら,教育のため(比の理解につなげるため)に,かけ算に順序を教えるのだって,とても教育的だと思う.

交換法則は,教えられるものではなく,自らの感性で気づくものである.

2 件のコメント:

  1. わかるんだけど、その答えは定義と違うから×ってだけだと寂しいですね。問題が、平易な文章からなるものだけにね。
    厳密に数学っぽく「~こう定義するぞ」じゃなくて、「~こう考えるんだよ」が妥当なんじゃないかなー。
    反論として交換法則が云々を持ち出すべきじゃないよね。
    今でも、答え合わせとかを先生がする様なら、その時にいろいろな方向に発展させられるんじゃないかなーなんて思ったり。

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  2. そのとおり.
    かけ算の順序の指導は,言語活動の一環として行われるわけで,画一的に「定義(教えたこと)と違うから」という理由だけでバツをつけたりはしません.
    今の先生でそんなことをする人はいないでしょうし,そんなものは教育とは言いません.
    「あ,そうか!」「なるほど!」という瞬間の連続が教育です.
    どの先生も,苦労していろんな仕掛けを用意していますよ.

    この記事は,そうした指導の場面を忠実に再現したものではなく,はしょって書いた部分がありますから,そのへんは言葉尻だけをつかまえる事のないように願います.

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