先日,知人に紹介された本.おもしろい.最初,「文脈がわからないと『わからない』」の節で,次の文章が紹介されていた.
新聞の方が雑誌よりいい.街中より海岸の方が場所としていい.最初は歩くより走る方がいい.何度もトライしなくてはならないだろう.ちょっとしたコツがいるが,つかむのは易しい.小さな子供でも楽しめる.一度成功すると面倒は少ない.鳥が近づきすぎることはめったにない.ただ,雨はすぐしみ込む.多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる.ひとつについてかなりのスペースがいる.面倒がなければのどかなものである.石はアンカーがわりに使える.ゆるんでものがとれたりするとそれで終わりである.(Bransford and Johnson,1972)答えは本書にでている.答えを知るとこの文章の一文一文がすべてつながる.
なるほどこれがわかるということか.
こうして「わかる」とはどういうことかを解説し,逆に文脈の思い込みなどが,間違った「わかる」につながり,「わかったつもり」になる様子がわかりやすく解説されている.
さて,先の文を読んで最初に思ったことは,われわれ教員はわかってしゃべっている.つまり自分の中に文脈はある.ところが生徒は文脈はしらない.
わかりやすくしゃべってるつもりが,さっぱり伝わっていないときというのは,こういうことなのだろうと思った.
あー!これ凄い!
返信削除だからKざわの授業はあんなにも解らなかったのか!!
この本は面白い。
返信削除ぜひみなさんに読んでほしいものです。
秋くらいにこの著者の西林先生を囲もうと思っています。
>まる
返信削除確かに日常会話でも「何の話?」と聞き返すことは多かったかな.
>○さん
この文はおもしろいので,学校でみなに見せてます.
行き先がわからずにどこかに連れ回されると
返信削除疲れるのも似たような感覚だと思います(汗)
タイトルだけ読んで,積分の話でも書いてある
のかなと思いました.
微分:微かに分かる
積分:分かったつもり(積もり)になる
と高校のとき物理の先生が言ってました(汗)
>積分
返信削除ギャグの古典ですね^^
「微分積分いい気分」
てのがあったけど,最近は聞かないな.