1999年10月10日日曜日

サイエンティフィック・リテラシー

の岩波新書がある.
まだ読んでいない.

現代人のサイエンティフィック・リテラシーの薄っぺらさが,先日の臨界被曝事故と無関係ではなさそうな気がしてならない.
一定質量以上のウランを集めると臨界に達することぐらいは,原子力産業に携わるものにとっては常識だと思っていたが,そうではないらしい.
それとも,扱っている物質がウランであるとは知らされていなかったのだろうか.
これから責任者の「保身」がみられるぞ.
あぁ無責任体質.

私が事件を知ったのは当日の夕方,ラジオの報道で知ったが,
「臨界に達する事故」という報道だった.
臨界という言葉の報道で,自体の重大さを理解したひとはどれくらいいただろう.
私は思わず車をとめて,風向きを確かめてしまったし,その後の天気予報はかなり注意していた.


臨界とは本来原子炉内部でだけ起こしてよいもの.
原爆はまさに臨界そのもの.
現在の核実験は「臨界前核実験」といって臨界にはしない.
それほど臨界は危険なもの.

サイエンティフィック・リテラシーの低下は危険なものに鈍感になり平気で危険なことをしたり,安全なものに必要以上に神経質になり,パニックになったりする.
さらに,科学を悪用されても見抜けない.

これは科学を使って詐欺をはたらいたりすることを指しているわけではない.
大企業や政府といった権力が民衆の収奪に使うということ.
これを助長するのが,科学に対する無知と,他者への無関心.
科学無知ならそもそも巨悪は見抜けないし,科学を知っていても無関心なら見て見ぬ振りをするだろう.
さらに心有る科学者がそれを見抜いても,科学的無知な社会(特にマスコミ)はそれを無視する.
で,気が付くととんでもないことになってるわけだ.

したがって,一般の人も科学の便利さを享受するだけではなく,少しずつでも知識を身に付ける必要もある.
科学に携わるものは他者へ無関心であってはならないし,
ましてや一部のものの利益のために科学を悪用してはならない.
高校で教わるくらいのことは常識だと思うのだが.

ところが科学の基礎知識を教える学校がその機能を果たしてはいない.
それどころか「理科離れが深刻」なんてことになってる.
日本碍子のCM「関係ないじゃん」がまさにそれを表している.
もちろん,これだけ高度にシステム化した社会で,学校の授業内容が直接,巨大システムの説明にはつながらないわけだが.
教員は「教科書を教える」ことに徹し,「教科書の暗記力」を試すテストをする.
ほんとは「教科書で教え」応用力をテストするんだが.
それをやると受験に直結しないから大部分は寝てしまう.
さらに,受験に関係のない学校なら,見向きもしない.
末期的とはこのことだ.

といいながら先日「暗記力テスト(学力テスト)」をやったのだが.

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