ハムフェアのCWの里ブースで実施したA1グランプリで、5つの部門で順位付けをした。
教育に携わっていると、順位付けの議論に遭遇することがある。
学校教育が始まった明治時代、成績順位は最下位まで公表していたようである。
最初は学業成績に競争を取り入れて、富国強兵を目指したのだろう。
現代はもちろん、学業成績の順位は、個人情報として本人にのみ知らされる。
自分の中学の頃は上位者は名前が公表された。
中学の最初のテストで、同級生の同じく名前の出ていた女子から
「くろべえ君ってバカなのかと思ってた。」
と言われた。自分にとっては誉め言葉でうれしかった。確かに小学生の頃は、ドリフのマネとかしてバカな小学生だったw
高校ではどうだったっけ。
いつのころからか、成績は個人情報になった。
最近では、運動会の徒競走も順位付けしないことがあるようだ。
順位を公表しないのは、順位が絶対視されたことを意味していると思う。
順位が絶対的で、人物全体を評価しているとするから、個人情報なのだ。
成績ごときで、人物全体を評価できるわけがないと、相対化できれば、個人情報ではなくなり、公表に対してだれも抵抗がなくなる。
それが順位の相対化。
学業成績ごときで人物を評価できるわけはないことはだれでも知っているのに、順位が独り歩きして、絶対視されている。
学業成績は読み書きという人物のごく一部の技能を測っているだけであると、みんな思っているのに、ホンネでは絶対的なものと信奉しているのだろう。
昔勤めた学校では合唱祭があり、順位は最下位から発表していた。
音楽に順位をつけること自体に疑問視する意見や、最下位まで発表することの是非とか議論になったりしたが、合唱祭委員会が「相対化」の考えの啓蒙で切り抜けていた。
ここでの相対化は、「順位付け自体を合唱祭の楽しみにする」ということである。(順位付けは各クラスから選出された審査委員会が行い、教師はノータッチ。)
結構教員でも、相対化が理解できぬやつがいたから、いまでも続いているかは知らない。
上位だけの発表だと、行事は衰退するだろうな。(初めからあきらめるクラスとか)
順位発表では、「最下位がこわいかっ!」とかあおって大盛り上がりして楽しかった。
吹奏楽コンクールなども、「音楽に順位など・・・」という意見に出会うことがある。
べつに参加の義務はない。音楽の順位付けに疑問があるなら、不参加の自由がある。順位を絶対視するとそういう考えに陥るのだろう。
参加団体は、順位を相対化して楽しんで参加しているか、無駄に絶対視して血眼になり、すり減って参加しているかだな。
いずれにしても、芸術に順位をつけることを望む者が参加し、順位付けを受け止めるのだから、問題ない。順位がおかしいと思うものは参加しなければよいだけだ。
1番になったところで、コンクールのルールの中で、一定の採点基準で並べただけなので、音楽として優れているとか、最下位だから劣っているとかということではない。最下位でも感動を与えられる場合もあるのだから。芸術の意味からすれば,感動で順位をつければいいわけだが、感動は客観化できず順位はつけられない。
自分は世の順位付けはすべて、「ごく一部の尺度による順位付け」と考えている。そして、対象すべての良しあしで並べたわけではない相対化している。相対化できていれば、順位付け悪くないと思っている。
ハムフェアのCWの里ブース、A1グランプリの順位付けは、
「楽しみましょう」
と順位付けを相対化し、順位付け自体を楽しむイベントだと考えている。
そんなものの順位を上げたところで、CWの技能が優れているなどとは誰も思わない。技能が低くても、アプリの対策をとれば(つまりアプリに合わせた練習を積めば)得点は上がる。
自分が送信のほうでいくつか10位までにランクインしているのは、アプリの癖が分かったからである。そして、参加者には得点の上げ方のコツをアドバイスした。
コールサイン早聞きは、Enterを押すまで次が出てこないので、録音しスロー再生を繰り返して書き留めて入力すれば全問正解は可能である。こんな、アプリの裏を突くようなことをして順位を上げたところで、楽しくはないだろう。楽しむのが最優先で、そして順位付けに一喜一憂して楽しむのが順位付けとの向き合い方。
大学の偏差値ランキングは、各大学が偏差値が上がるように科目数などを設定している。
偏差値を上げるのは簡単である。科目数を減らせばよいのである。まさに「ランキングアップの対策」をとっているのである。文系の大学入試から数学をなくし、理系の大学入試から国語をなくして同じ中身で偏差値アップでランキングを上げた挙句に、「大学生が基礎学力がない」と嘆くのだから、本末転倒である。
その点、国公立はセンターで曲がりなりにも科目数が多い。そのため偏差値は私立より低いように見えるが、それが数字のマジックなのである。
大学入試で数学や国語を全員に課さない大学があるのは日本くらいなものである。
学校の勉強が楽しくないのは、成績が絶対視された個人情報だからだ。
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