等式 3x-6=0 は真か偽か?
という問題.
x=2 なら真だけれど,それ以外では偽となり,x の値によって真偽が変わる.このような命題を「述語論理」という.
これを,「ある x について, 3x-6=0 が成り立つ」という言い方をし,論理記号∃を使って
∃x(3x-6=0)
のように書く.
「すべての x について3x-6=0,は成り立たない」ので,これを論理記号∀と否定記号¬を使って、
¬∀x(3x-6=0)
のように書く.
∃は「存在」 exist のEを逆さにしたもので,∀は「すべてall」,「任意any,arbitrary」のAを逆さにした記号.べつに,「キタ━━(゜∀゜)━━ッ!!」の記号ではない.
全称記号∀,存在記号∃という.
「すべての x について3x-6=0,は成り立たない」と「ある x については,3x-6=0ではない.」は同値である.(カンマの位置で,否定がかかる範囲を決めている)
つまり
¬∀x(3x-6=0) ⇔ ∃x(¬(3x-6=0)) ⇔ ∃x(3x-6≠0)
である.「3x-6=0ではない.」は「3x-6≠0」と書ける.
このように,否定命題について,記号が入れ替わるが,これをド・モルガンの法則という.
ある x について,等式が成り立つときに,その等式を「方程式」という.
「方程式を解く」とはそのような特定のxの値をすべて求めることをいう.
(実際には方程式という語にはもっと広い意味があるが.> 方程式の気持ち)
つまり,方程式 3x-6=0 とは
∃x(3x-6=0)
かどうかということである.
等式には方程式のほかに恒等式というものがある.
x+x=2x
といったものである.恒等式 x+x=2x とは
∀x(x+x=2x)
ということである.
等式 3x-6=0 は恒等式ではないので,
¬∀x(3x-6=0)
となる.
こ の程度なら,記号化する意味はほとんどなく自然言語でも十分だが,連続の定義の否定の不連続の命題を作ったりするときは,命題論理の「ならば(⇒)」, 「かつ(∧)」,「または(∨)」,「否定(¬)」と述語論理の,∃,∀を総動員することになるので,自然言語で扱うのは絶望的である.>論理計算と連続の概念
あの有名なコーシーでさえ,
各点連続
∀a∀ε>0∃δ>0∀x(|x-a|<δ⇒|f(x)-f(a)|<ε)
一様連続
∀ε>0∃δ>0∀a∀x(|x-a|<δ⇒|f(x)-f(a)|<ε)
の区別が,いまいちついていなかったらしいということが最近読んだ本にあった.>足立 恒雄 著「√2の不思議」ちくま学芸文庫
記号なら,ひと目で違いがわかるが,これを自然言語に直したら,わからんだろう.
この命題の否定を作るとなると,自然言語ではよほど内容がわかっていなければ難しい.記号なら,まさに機械的.
各点連続の否定
∃a∃ε>0∀δ>0∃x(|x-a|<δ∧|f(x)-f(a)|≧ε)
一様連続の否定
∃ε>0∀δ>0∃a∃x(|x-a|<δ∧|f(x)-f(a)|≧ε)
つまり否定を作るには ∃,∀ を逆転させ,「p⇒q」を「p∧¬q」に直し,<の否定が≧,ということを機械的に行うだけである.
コーシーがこんがらがっていたのもうなずける.自然言語で扱っていたのだろう.
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