2004年3月27日土曜日

定期演奏会とライブ

前任のH高(通称T高)吹奏楽の定期演奏会に行ってきた.卒業生に教え子がいっぱいいる.
古いところでは2年のとき文化祭でジャズをやったベースのO歳君や3JのM時さんと会った.ふたりとも今も音楽を続けているということでなにより.
OB演奏は1曲だけだったが現役との合同演奏なので,総勢80人以上.ステージ上びっしり.最後のアンコールもぞろぞろ出てて来ていた.

さて,今夜もまた船橋に友人が出演するJAZZライブ.前回私がリクエストした C.Parker の Donna Lee が不本意だったということで,今回のリベンジを聞きに行った.
ナイスでした.で,リクエストコーナーでまたもや Parker の Scrappled from the Apple なんぞリクエストしたら,「ひぇぇぇ」といいながらもやってくれた.次回もこれリベンジかな.こうやってレパートリーが広がるのだねぇ.

2004年3月26日金曜日

半分衝動買い

今日,単車屋へ.
気持ちは先週すでに目をつけた空冷ビッグネイキッド.
目をつけていたが,いちおう店にはいろんな車種を相談する.
で,「やっぱこれちょうだい」で契約.
今乗っているクラブマン(GB250)にはちょっとマニアックなこだわり(クラシックなデザインのワイヤースポークのホイール,単気筒……性能は二の次)があったけど,今度のは,よく言えば単車の王道(早い話,ミーハー ^^;)ヾ
(ちょっとだけこだわったのは放熱フィンが単車らしくて美しい「空冷」)
4月上旬納車.9万で買った車と同じ排気量だ.(足,届くかな・・・)
もちろん,こだわりのクラブマンは手放しません.
>>XJR1300 日記
linked: 1

2004年3月24日水曜日

「0で割る」に見る科学的態度

「0で割る」の議論のおかげで私のページが引用され,先週の「アクセス大噴火」につながったのだが,その掲示板でいまいち議論がかみ合わない.その原因は「科学に対する態度」ではないかとも思っている.
どうも世間一般の人の数学や科学に対する「信仰心」は篤く,「数学的事実はすべて真実である.」とか「数学は答えがあるもの」と信仰しているように思える.
数学をかじったことのある私に言わせれば,数学や自然科学は単なる仮説の集合体に過ぎず,真実などはない.

真実とは「人類皆平等」とか「命は大切」とか「愛は地球を救う」とかたくさんあって,それを追求するのが人生だと思うし,哲学や宗教の存在意義はそこにある.
しかし,自然科学の専門家はだれも「真実を追究している」とは思っていない.その分野で追求するのは「より合理的な仮説」にすぎない.
ようするに「いまのところこの理論が一番合理的かな?」という程度.

掲示板の議論では専門家と思われる人は「0で割る計算は定義できない」で一致しているが,一般の人はいろんな実例でいろんな理由をつけ,なんとか「答」を出そうとしている.
そう,「答えがない」のが納得できないようなのである.
専門家は「『÷0には定義できない』でなんら不都合は起きないから,そのままほっとけ」「なにか不都合が起きたらそのときに考えるから,今は関係ない」って感じで,それ以上のなにか哲学的な「真実」に対しては無関心なのである.
それにたいして一般の人々は「÷0」に何か哲学的な真実(答え)をなんとか見出そうと無駄な努力をしているのだなー

もう一度断言する.数学,ひいては自然科学に真実などはない.
数学や科学に真実を追い求めてはならない.
そんな暇があったら,人生の価値を追求せよ.

でも数学はたのしいなぁ・・・(^^)
参考> 0で割る計算

2004年3月22日月曜日

鎌ヶ谷高校吹奏楽部第22回定期演奏会

昨日は母校の定期演奏会.OBバンドで演奏.特にボントロの曲「マジックスライズ」はストレス発散になるなー.


他の動画


で,撮影したすべての写真111枚,64Mbyte をソニーイメージステーションのアルバムからゲットできるようにした.(混雑時間帯はフリーズしたのかと思うくらい表示に時間がかかります.)
未整理なので,使えない写真もすべてあります.ほしい写真を持っていってください.くれぐれも被写体の人物の肖像権にはご注意ください.
また,投稿も出来ますので,ディジカメで撮影した方はどうぞ.
パスワードはOBバンドで最後に演奏した曲の,曲名の最初の単語を半角小文字で入力してください.
鎌ヶ谷高校吹奏楽部第22回定期演奏会


さて,定期演奏会とぶつかったため,もう一人の顧問に行ってもらったフェンシング全国選抜大会(富山県婦中町)の結果は28位だったとのこと.ということは予選リーグでベスト16に入れず,予選リーグの順位28位がそのまま最終結果になったと思われる.

鎌ヶ谷高校吹奏楽部(OB・OG) 掲示板

2004年3月16日火曜日

学年通信 Special Edition(限定15部発行)

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

T崎<シャトル>H幸
2004.03.16

 2004年3月11日(木)12:15(たぶん)我々は,石垣島空港にその足跡を記した.我々一行,O里<お坊ちゃま>K宏,N村<ツアコン>M子,T中<チャキチャキ>M子, U家<ライダー>S,N田<小娘>Y紀,U井<還暦>T,T崎<シャトル>H幸(ミドルネームは推定)の7人は,当然のごとく感激した.もうすぐ台湾という亜熱帯の風が一行を歓迎攻めにしてくれて「(やはり)ここは大和ではない」という感想を強くしたのであった.この感想は,最後まで一行の胸に去来するのだったが.

 さて,小腹も空いたことだし,腹ごしらえと称して早速地ビールである.その間おしゃべりに興じている島のオバァー3人の言葉は誰もわからなかったのだが,ソーキそばであり,ゴーヤチャンプルーを速攻でたいらげ,離島桟橋に向かえば,エメラルドグリーンにその白い船体を輝かせる連絡船が,一行を待ち構えているではないか.と思ったのもつかの間,走り出した竹富島行きの船は,一行の想像を超えるスピードを披露し,北朝鮮(推定)工作船もかくや,と思われる速さで波を蹴立てて走るのであり,すれ違う船の横波を食らおうものなら,一躍ジャンプして我々を喫驚させ, 10分で竹富島に着いてしまった.

 竹富島は島全体が歴史的景観保存地区に指定され,勝手に家を新築してはならず,赤瓦の平屋を作らなければならない.住民200人と少し,小中学生が18人で先生16人.小娘は思わず,石垣島の竹富町教育委員会に雇ってください,と談判しかけた.竹富島といえば水牛観光だ.「さくら」ちゃんという御年20歳の美貌(人間に換算すれば60歳の)を誇る水牛はまことに経験豊かで,きちんと内輪差を計算しながら狭い白砂の道のカーヴを切っていく.竹富島といえば,「安里屋(あさどや)ユンタ」の本場.若いガイドさんもいきなりサンシンを取り出し,歌ってくれた.シャトルは,翌日自分がこれを踊るとは想像だにしていなかった.ハイビスカスやデイゴやいろんな花が咲き乱れ,蝶々が次々に視界を横切るなかを,ゆっくりと水牛車は行く.「さくら」ちゃんは,なかなかの知恵者で庭木の木陰にさしかかると一休み.木陰がまた涼しいのであった.水牛車を降りると,アクティヴにレンタサイクルで移動.お坊ちゃまはだれもいない(推定)海でひとりナマコと戯れ,ライダーたちはミーハーにも星の砂海岸へでかけた.波が引き,リーフの外海が白い波しぶきをあげている.青い空,白い雲,濃い外海と緑色の環礁を区切る白い波,そしてわずかに茶色い星砂の浜・・・時間が停まったかと思いきや,来るは来るは次から次へとツアー客が押し寄せる.そして星砂をアレンジしたイルカやハートのキィホルダー(5個で1000円)を争うように買っていく(シャトルもその一人であった).亜熱帯の海の貝細工を売っていた青年は,総代を務めたA川クンに似ていた.

 石垣島に帰るとすぐに夕食『シェフのお勧めディナー』だった.今回の旅行全体を通じて勉強になったのは「予約がデージ(大事)」である.緯度で15度西にある八重山諸島は実質1時間の時差がある.まだまだ明るい18時にビールに食事なんてとてもお天道様に申し訳がないような気がした.夜,星が出てから外のテラスに集合して,缶ビールと泡盛で野外コンパを始めた.ホテルの照明が邪魔になったものの,よく星が見え,気持ちよい風のなかで飲む泡盛と,まったくまとまりのないユンタク(おしゃべり)に心癒され,その間お坊ちゃまは,60分間のマッサージを受け,小娘・ツアコンは民族衣装の記念写真,シャトルはコインランドリーに出かけ,みな気ままに過ごしつつ,夜はふけたのであった.

 「何もしない」旅のはずが,チャキチャキとツアコンを除いてみんなアクティヴになった.ライダーは目当ての250ccバイクが借りられず, 125ccで妥協して石垣島ツーリングに出かけた.帰ってきたときは「200km走りました」「孔雀が森の中にいたけど『あなた野生ですか?』と聞くわけに行かず困った」と楽しんできたようだ.

 還暦,小娘,お坊ちゃま,シャトルの四人は西表島に出かけた.「せっかくここまで来たんだから」と思ってしまう自分たちの貧乏性が恨めしい.例の高速船で40分.次々に乗客たちは,待ち受けていたバスに吸収されていく.残された,つまりツアー客でない4人だけが残され,うろうろしていると,レンタカーを借りるしかないことを知らされ(定期バスは一日3便しかない!),すぐにレンタカー屋に拉致された.この時,シャトルは生まれて初めてオートマチック車を運転することとなり,貴重な体験を味わった.しかしこの島の道路は10分間に5台すれ違えば多いと感じるほどの道であり,なをかつ,レンタカーはいくらアクセルを踏み込んでも時速60kmしか出なかったのである.のんびりとしたドライヴを楽しみつつ,美しい海岸線を愛で,海沿いの河口に広がるマングローブと川水の美しさを褒め称えつつ,「こんなに観光客が多いとは思わなかった」だの「カヌートレッキングは予約で一杯とは!」だの「何で平たい島と山がある島ができるのだろう」とユンタクは続いた.お坊ちゃまは「イリオモテヤマネコ」に会いに行くといって別行動でレンタカーを借りていったので,生死不明. 3人のユンタクのさなか,市立柏高校3学年団が沖縄に来ているという情報が伝わり「チッチッチッまだ若いな」と優越感に浸っていると,小娘のケータイに「イリオモテヤマネコを捕獲してきてくれ」とメールが着信.あとで西表野生生物センター(ポケモンセンターのようなものなるか)を訪れたお坊ちゃまの情報によると,いまは怪我をしてリハビリしているイリオモテヤマネコはいなかったので,本物に会えなかった,けれどヤンバルクイナは居たそうであるが,そんなことは知らない3人は,由布(ゆぶ)島にでかけ,またも水牛車に乗って400mの水牛旅行を楽しんだのである.今回乗せてもらった水牛はシンタロウ君(5歳).シャトルの子どもと同じであった.ガイドさんは「安里屋ユンタ」と「十九の春」を歌って歓迎してくれた.沖縄の人たちはほとんど三線が弾けるではなかろうか,と思った.由布島はかつて小学校もあったのであるが,戦後の強烈な台風で一度水没し,全島避難したのち,観光開発がなされたらしい.水牛30頭余りはローテーションを組んで毎日23頭が出勤する.朝と夜の一日二食で何回も往復できる水牛に敬意を払った.周囲2km足らずの島を抜けると,すぐそばに「ちゅらさん」で有名になった小浜島が見えた.しばし潮騒の音に身をまかせ,静かな海を見ていた.昼食は「唐変木」という店でゴーヤチャンプルー.後から来た客に店の人が「すいません.ご飯がなくなったので,ソーメンチャンプルーかソバしかできないんですが」とことわりをいれていた.あとで石垣のタクシーの運転手サンに聞くと,「島にオフシーズンはない」とのことだった.

 その間,チャキチャキとツアコンの二人は,ゆっくり起きて,ホテルのビーチでボーッ海を眺め,危うく寝てしまうところを無理やり起きて,ケーキ食べ放題に挑戦し,それに飽きると,焼き物の窯元に乗り込んで手ひねりで作陶に励んだそうな.何もしない,という決意は,かくもたやすく壊してしまう何かが南の島にはあるのかもしれない.

 二日目の夕食は八重山料理のコースを食したるのち,ライダーの案内でシャトル,還暦,ツアコンの4人が「琉歌」というライブハウスに出かけた.お坊ちゃまも同行したが,「夜の石垣市内を探索する」といって別行動.常にクールである.がしかし店は沖縄でいう夕方8時にならないと開かないということなので,各自が自由行動に移った.還暦氏は『頼まれた酒を買いに行く』と酒の激安店へ.ところが送り先の住所がわからず頼んだ本人に電話で住所を聞いているのを聞いていると,どうやら相手は酒豪の「姫」らしい.シャトルは,初日にタクシーの運転手サンから聞いた古本屋を訪れるが,まだこの時間では開いていない.しかたなく新刊書店に行くと,国際通り球陽堂に劣らぬ品揃えに,頬が緩みっぱなしになったまんま,止せばいいのに『竹富町史第12巻資料編戦争体験記録』厚さ6cmを購入して喜んでいた.旅先で重い本を買うなどというのは,殆どビョーキであることを本人は自覚している.さてその先の顛末であるが,ネェーネェーの打楽器とお囃子,ニィーニィーの見事な節回しと三線に聞き入ったことは言うに及ばず,従業員のお兄さんは大和から来たってすぐにわかるんだろうなぁ「どこから来ましたか?」と聞くので「千葉から」と答えると「エッ千葉のどこですか?ボク新松戸にいました」というので,とても仲良くなり,飲めば飲むほどにオリオンビールのような爽やかさと泡盛の気持ちよさが体を吹き抜けていて,「安里屋ユンタ」を見よう見真似で踊り,ラストのカチャーシーでツアコンいわく「壊れた」シャトルは踊り狂ったのであるが,それは他の3人も同じであった.この時,一人のオジィー(推測するに近所の民宿の主)の手さばきは素晴らしく見事であった.堂々としていて,とても真似できない何かを感じたのであり,それは思うに石垣の風土と歴史が積み重なって見についたDNAのなせる業かもしれぬ.

 短い時間に次から次へとさまざまなカルチャーショックを受けつつ,宿で飲みなおしながら,つくづく思ったのであった.『あまりにもディープだ』

 「季節はずれの台風に見舞われて,空港から飛行機が飛び立ちません!」あるいは「地震で滑走路に亀裂が入り,当分の間帰れません!」もしくは「ホテルがテロリストに占拠されて閉じ込められました」と学校に電話をしている自分自身を夢想していたのだが,そんなことはあるわきゃなく最終日を迎えた.

 みな思いは同じく<帰りたくないよぉ~>という顔をしながら朝のバイキングを食し,ツアコンの手配よろしくワゴン車を借りて,石垣島一周のドライヴに出かけた.運転手はライダー.もちろん前日のうちに下見は済ませていたので,狭い島内とはいえ渋滞を避けつつ,一回は袋小路に迷いながらも快調に飛ばした.沖縄本島とは違い,あちこちに水田が広がり,広い牧草地に美味そうな黒い石垣牛が草を食むなり寝ころがっている風景の中を北部海岸へと向かった.

 石垣島第一の観光地川平湾である.ツアコンによれば,前日乗ったタクシーの運転手さんが「曇っても雨でもこの美しさは変わらない」と言っていたそうだが,その言葉に偽りはなかった.絵はがきのような風景を展望台から見て,しばし写真の撮り合いになった.そういえば小娘は,デジビデを回しつつ,デジカメで撮り,さらに写メールで激写していた.忙しい人だ,というより教材作成の執念を感じた.展望台の奥へ向かうと,まるで罠を仕掛けたように「石垣島黒真珠センター」なる建物があり,ここで長い時間を過ごすことになった.女性人が何を買ったかはわからないが,シャトルもカミさんの土産に買ってお赦しを請うことにした.黒真珠貝を使った髪止めである.

 さらには車は東海岸へと向かった.「米原キャンプ場」周辺は,戦後の一時期に沖縄本島からの移民が開拓した地域である.沖縄戦終了後,サイパンの移民から引き上げ読谷や嘉手納の自宅で農業をしようとしたら,今度は米軍に追い出され,石垣島に開拓農民として移り住んだのである.海岸以外は密林という原野を相手に,木を伐り,根っこを抜いて畑にし,冷害や台風に悩まされつつパイン栽培でようやく安定を迎えたという歴史を有している(森口豁(かつ)『旅農民のうた』に詳しい).さらに本土復帰後のリゾート開発による本土資本の土地の買占め(農民の追い出し)や,マラリヤとの戦いなどを想起しつつMDで聞いた『島唄』を聴いているうちに不覚にも涙を催した.

 玉取崎展望台も美しかった.この海は照屋正規(てるやせいき)サンという海人(うみんちゅ)が鮫に咬まれて一命を取りとめた場所である. 9歳で口減らしのために海人に売られボタンの原料になるタカセ貝を採る仕事の最中にシロザメに咬まれたのである.いま72歳の照屋正規サンは辺野古(ジュゴンが棲む普天間飛行場の移転先)で一番の漁師である.その個人史は沖縄フリーク小林照幸サンの『海人』に詳しい.そんなこんなの下調べのせいか最後の日のドライヴは,八重山の多様な歴史をこの目で見て深い感動を覚えたのだった.

 いよいよ締めである.各自お土産を買い込み,シャトルは「泡盛中毒」Tシャツを買い,小娘は荷物が二倍になり, 1時にホテルをチェックアウトして市内の『金城』という焼肉屋へ向かう.最後に,神は我々に微笑みもうた.開店セール共催中でこの日まで(!)カルビとロースが半額で生ビールが90円なのだった.みな笑いながら食した.牛肉は本来のうま味たっぷりで,石垣の塩を少しだけつけて食べる方を,シャトルの舌は喜んでいた.食べ終った時,真に「八重山の旅」が終わったことに気がついた.

 こうして,2泊3日の短い八重山巡りは終わったのであるが,反省点をいくつかあげておきたい.その1・計画を立てて予約を入れておこう.カヌーでマングローヴ探検をする時も,レンタカーを借りる時も,夕食を摂るのも予約がデージということがよくわかった旅だった.その2・2泊3日は短い.もう一日リゾート気分でゆっくりと過ごしたかった.はやくリタイヤできないかな,と心底から思ったのだった.

追伸・これにて学年通信を終わらせていただきます.永い間のご愛読に感謝します.ある先生が仰った「この学年は学年通信という言葉の力で生徒を指導できた学年でしたね」という言葉が最高の評価だと思っております.謝々.

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

2004年3月14日日曜日

八重山 学年旅行最終日

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

朝食後,時間があったので,海に行ってみる. 3月20日が海開きというだけあって,冷たくはない.
海

最終日.レンタカーで.運転好きなくろべえが運転.特に,前日島内を闇雲に走ったので,土地勘がある.
信号が多い市内を避けて,単車を借りた店のある裏道のほうから西側の道の出る.名蔵湾を見ながら北上.名蔵湾は潮が満ちていた.

まずは川平湾.
川平湾
黒真珠センターがあって,みなさんそちらに.私は真珠の解説コーナーを見て歩いた.

つづいて,玉取崎展望台に向かう.
単車で通ったトンネルを抜け,島の「山の自然」を見ながら向かう.
まぁ多少遠回りになったが,すいているので5分と違わないだろう.

駐車場に大型モーターバイク(YAMAHA XJR1300)があった.
玉取崎展望台

お土産を見るというので,12時にはホテルにもどるが,私はお土産を買わない人.チェックアウトは13時までというので時間があるので,「飲み物,ケーキ無料券」が余っていたので有効活用.まぁケーキは苦手だし,この後焼肉が待っているので,スコン1個と飲み物にする.
天井
天井で団扇が動いていた.

昼食に予約した市内の焼肉屋は13:30.チェックアウトし,市内を適当に道に迷いながらジャストオンタイムで焼肉「金城」に到着.なんとオープンセールで生中ジョッキ90円だって.
焼肉金城
運転手だから飲めないけど,ロースとカルビを堪能.

石垣空港
石垣空港
車は石垣空港前の無料駐車場に乗り捨て.鍵の扱いを問い合わせる.
「鍵はどうするのですか?」
「鍵をかけずに,ダッシュボードに入れといてください」
といわれた.石垣空港の駐車場に鍵のかかっていないレンタカーがあったら,ダッシュボードに鍵がある・・・でも,狭い島の中.すぐに見つかるな.

石垣からの機体は来るときと同じ B737 スーパードルフィン.ちっこくてかわいい.那覇空港では「乗り継ぎの方は先に降りてください」とのことで優先的に出口へ.

降りるとすぐに羽田行きの搭乗口に向かい,乗り換える.こんどはB747.初めて2階席に乗る.
2階席
翼を見下ろす感じ.
翼

羽田で解散.うどんを食べて帰宅.
3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

八重山学年旅行2日目

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

前日,かなり遅くまで盛り上がったのに, 6時半ごろ目覚める.

7時ごろ朝日が・・・
ご来光

7:30に朝食バイキング.さて,数日前に予約を入れていおいた,レンタバイク,本当は前日20:00までに確認の電話を入れるはずだったのが,昨夜は飲んで盛り上がってしまいすっかり忘れてしまう.営業時間が8:00からなので,ぴったりに電話を入れると「8:15にホテルロビーに参ります.」とのこと.日焼け対策に長袖を着て8:10頃ロビーに向かうとすでにレンタカー屋のおねぃさんが「くろべえ様」の札を掲げて待っていた.ワゴン車に乗り込み,営業所へ向かう.今日の天気予報は曇り.天気のことなどおねぃさんと雑談.

これが借りた単車.
借りた単車
ヤマハ TZR-125.
最初またがって,メインスイッチを入れ,セルモータのスイッチを探す・・・あ,キック式なのね.20年前の原付以来だ.
2サイクルエンジン車は初体験.なかなかピーキーなエンジン特性.はじめ自分のマシンのように5000回転くらいでシフトアップしていて,「パワー無いなー」といらいら.ためしに6000回転以上回すと,劇的にトルクが大きくなる.
  「なるほどー,回転数上げないと力出さないのね.」
だからトップギアで50km/h位で走っているときに,上り坂に差し掛かると必ず2,3段くらいはシフトダウンしなければスピードが落ちてしまい,面倒くさい.自分のマシンならそのままアクセルひねるとズドンと加速するのに・・・いらいら.小さいからしかたがない.
あー,でも去年北海道で,自分の単車に同じストレスを感じたんだった.長い上り坂で遅い車を追い抜くとき,
  「ビッグマシンなら,シフトダウンなしで一気に加速するだろうに」
やっぱり北海道はビッグマシンが楽だろうなー.

まずは北上.玉取崎展望台.
玉取崎展望台
いい眺め.天気が悪くても,それはそれで東南アジアの雰囲気.
いい眺め

走っていると「サビチ洞」の看板.何かわからないけど行ってみると,鍾乳洞だった.
サビチ洞
サビチ洞の説明

中はかなり広い感じ.反対側に抜けると海.
洞窟を出ると海
海岸沿いを数十メートル歩くと行き止まり.歩ける場所はたいした広さではないが,海の色は格別.

平久保崎を目指して北上.
北上
ちょいといい眺め.

平久保崎灯台,石垣島最北端
灯台
南の島で「最北端」と言われても,あんまりありがたみはないけど,「最北端に来たぞぉ~!」ここから北へ行きたければ泳ぐしかない.

平久保崎灯台の海.
平久保崎灯台の海.
晴れていれば美しいのだろうなぁ

近くの小山のてっぺんに登って見下ろす
少し高いところから

南のほうの景色.
南のほうの景色
この道を通ってきた.

東のほうの景色
東のほうの景色
となりの小山.

平久保崎を後にして
ツーリング
ツーリングというのは走っているだけで楽しい.とくに他の交通がないと,自分だけの道と化す.

道にはたくさんサトウキビが落ちている.
道端のサトウキビ
そこここに落ちている.はじめは何だろうと思ったが,サトウキビ畑を見てすぐに理解する.

海が見えてきた,
海が見えてきた
この先の下り坂の途中に面白いものを見つけた.

ドコモのアンテナ塔.なんと「ハブ注意」
ハブ注意の看板
いったん通り過ぎてしまうが,わざわざ引き返して撮影.
石垣島は暖かいので,野宿でも寒くはないが野宿は禁止されている.ハブが危険だから.

伊原間湾.
伊原間湾
伊原間(いばるま)から西の海岸線に向かう.

適当に道をそれて,サトウキビ畑.
伊原間湾
「栄」という集落があって,バス停もあった.バスは1日に数本.

昼食はガイドブックにも載っていたコーヒー&パスタ「やしの実」
やしの実
鉄筋コンクリート二階建ての屋上に乗っかっている.案内通りにすすめば入れるが,それでも「え?ここから入っていいの?」って感じ.

通りからはいり,庭の中を裏手に廻る.
レストラン入り口

裏の,外階段を2階に上り,建物内へ. 2回の室内はがらんとして何もない.
レストラン入り口

なにもない部屋の奥の扉をあける(ここでいいのかなー).するとレストランの音楽が聞こえてきて,階段を登る.
レストラン入り口


階段を上り3階には別世界が広がる.
階段上

海を一望(曇ってるけど)
海を一望

昼食
ランチ
かなりゆっくり時間を過ごす.食べ終わってから,地図やガイドブックを見ていたら眠くなり,さらに30分くらい昼寝をした.

外壁にはシーサー
外壁

昼食,昼寝後,走り出す.入り江は絵になる.
入り江
山道へ入り,於茂登トンネルを抜ける.

石垣島最大の底原ダム.
底原ダム
ダムにもシーサー.

ダムを見物していると,急に波音が聞こえる.
「波? あれ?ぜんぜん波は立っていない.何の音?」
水面の見える場所を歩くとときどき波音がするが,まったく波はない.むむむ怪奇現象?
水面を見ながら歩いて判明した.人影におびえて群れている小魚が,一斉に逃げるのだ.
底原ダム
動画で撮影.


ダム近くの田んぼ.田植えが終わっている.
田植え終了

そして,山道にそれ,林道を走る.これもツーリングの醍醐味.
林道

軽快に走っていると,眼前になんと孔雀(オス)が!
残念ながら孔雀はそそくさと,林に消える.
写真は孔雀がいた現場.
孔雀
放し飼いになっているのか,飼われていたのが逃げ出したか.まさか野生ではあるまい.

林道を闇雲に走ると名蔵ダムに出る.
名蔵ダム

なんか見えたので行ってみる.
なんだこれ

国立天文台,天文広域精測望遠鏡(VERA),石垣島観測局
電波で宇宙観測
やっぱりシーサー

なんか楽しそうな説明.
電波で宇宙観測
フェンスの外からでも見やすいように設置してほしいなぁ.

名蔵湾方面に抜ける途中,製糖工場発見.
製糖工場

この積載なら,道にたくさん落ちるわけだ.
荷台からサトウキビがあふれているダンプ

名蔵湾.かなり沖まで潮がひいている.
沖までひいている
翌日,聞いたのだが,このマングローブは植樹したものだそうだ.

名蔵湾から北上し,まずは御神崎へ向かおうと,崎枝小学校のほうへ左折.
目の前に黒い雲が広がっていて,いやな予感.小学校を過ぎるあたりから,大粒の雨が・・・
急遽雨のないところまで引き返し,しょうがないので,先に川平(カビラ)湾へ向かう.

川平湾にも小雨が降り出すが,「美しさは雨でも変わらない.」とはタクシー運転手の弁.
川平湾

デイゴの花.
デイゴ

川平湾の雨が上がったので,その西にある御神崎(うがんざき)も上がっているとふんで,向かう.
その途中,美しい雲が見え始める.
御神崎ではすごい光景を見ることが出来た.
御神崎の雲
なんか信仰心が篤くなりそうな・・・

ダイナミックな自然な営みを感じる.
御神崎の雲

御神崎灯台.
御神崎灯台

御神崎から戻る.
牛とサギ
牛とサギ
この時点で16:30を廻る.
夕食は17:30 だからこのまま市内に戻り, 17:00には単車を返却.なんと205km走行.ホテルに送ってもらうと17:15到着.ちょうどよい.

夕食は沖縄伝統料理の懐石.さすが高級ホテル.当然のことながら,初日,二日目ともまったくはずさない.

前の週,母校の定期演奏会の練習のとき,沖縄フリークのこあき さんに「石垣に行くんだよ.」と自慢すると.「え?私も行きます.」とのこと.我々より,1日早く到着で4泊.さすが専門家.上を行っている.数日後,メールで三線のライブの店の情報がもたらされる.

夕食後の7時過ぎ,店の名「琉歌」を告げてタクシーで連れて行ってもらうと,準備中の札.「開店は8時で,ライブは9時」ということだったので,それまで市街地をぶらぶら.酒のディスカウントショップを見つけ,古酒を2本購入.一本を叔父は送る.その後,本屋で立ち読み.そのとき,こあきさんからライブの時間等の確認の電話が入る.

石垣島の「夕方」は8時らしい.初日の昼間学年主任が,開いていない古本屋の店のシャッターに「夕方開店」とあり,食事をした店で正確な開店時間を聞くと8時であった.

つまり「琉歌」は石垣島時間の「夕方」に開店するのだ.
琉歌

8時過ぎに琉歌に戻ると,店の前でU井先生とばったり,中に入るとすでにM子さんとTさんが飲み始めている.そろったところで乾杯.
しばらくして,こあきさんもムスメと来店.

まぁ結局最後は
琉歌
こうなる.楽しかったー.主任のTさんは完全にぶっ壊れていた.
3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信


ツーリング記録一覧