2004年4月17日土曜日

九十九里,波乗り道路へ

2004年4月17日

午前中は部活の練習だったが,午後暖かくなるというので,ニューマシンで九十九里に行くことにした.特に,前回,海沿いを走る前に暗くなってしまったので,そのリベンジも兼ねて.

まずは,北総公団線沿いのR464 を東進.いつもスムースに流れているのだが,印西市で1箇所,工事渋滞.広いので,XJR でも十分すり抜けられる.すり抜けはいつも,ゆっくり慎重に.トップギア,アイドリングで 30km/h で走り続けられるから楽チン.遅くなればシフトダウン.アクセルをあけずにスピードによって1速からトップギアまでを使い分ける.

途中から対面通行になり,多少流れが悪くなる.ここはむりにすり抜けしない.後ろから CBR1000 が追い抜きすり抜けていく.印旛村でT字路を右折し佐倉方面へ.

さて,前回の帰り道をなぞればいいかなと思ったが,前回の帰り道は闇雲に走ったので,R296からR464に入った以外はわからない.さらに地図を忘れたので,また闇雲に海を目指すことにする.千葉県東部の町村の名前と位置関係はまったくわからないので,きっと無駄な遠回りをしてしまいそうだが,それもまた楽しいな.

前回は佐倉市から帰ってきたが,R464をなぞると酒々井町につながるようなので,そのまま R464 を走る.酒々井は佐倉の東側のはずだから OK.

よくわからないまま走り続ける.あとで地図を見てもどこを走ったのかさっぱりわからないが,「八街」の表示でてそちらに向かう.その途中の富里でおもしろいもの発見!なんだ?なんだ?なんだ?
すいか

近づいてみればガスタンク.
ガスタンク>>地図

それにしてもおもしろい.これだから,闇雲に走るのは楽しい.
すいか

さて成東町をめざす.成東町なら海がある.成東町から南下し,九十九里道路のある片貝海岸に行く.

海だー!
片貝海岸
片貝海岸

砂の風紋.
風紋

「波乗り道路」を走る.
九十九里道路

制限速度60km/h. 10km/h オーバーなら,覆面パトも許してくれるかな.ゆっくり走っているとスカイラインが後ろにくっつく.「もー,追い越すか,もっと離れろよー」

さらに後に,何台かつながってきて迷惑なので,ちょいとアクセルを開ける.一気に加速,すぐに100km/h. 後続車はたちまちミラーの中に小さくなる.すごいパワー.
ためしに100km/hから,アクセルをあけると1秒で120km/h. ひえー.すぐに減速.後続車につめられない程度,80km/h から 90km/h で流す.

パーキングがあったので,立ち寄る.マシンが何台か止まっていた.
マシンがいっぱい
全員1リッターを超えるマシン.

隣のハーレー,エンジン下になんか円筒形のものがついている.
「すいません,この丸いの何ですか?」
「工具を入れています.乗せる場所がないので(^^;)」
「へー,面白いですねぇ.写真撮っていいですか?」
「どうぞどうぞ」
Harley-Davidson

うーん.かっこいー.この長さはコンテナに入らないんだよなー.コンテナに入るならハーレー乗りたいなぁ.
さらにその隣の黄色いハーレーは,シート下がむき出し. 2個の緑色の部品は,線がプラグにつながっているようだから,ディストリビュータかな?

このあと,南側の出口から出て,一般道を帰ることにする.
パーキングから引き返せば,タダでもう一度波乗り道路を通れるが,あおられることなく,ゆっくり走りたいので,街中の道を北上.40km/h 程度で走り続ける.
GB250は40km/hは,トップギアの下限(それでも3000回転.ちなみにアイドリングは1500回転)で走りづらかったが,XJR はまったくアクセルに触れずアイドリングの1000回転で30km/hよりも遅く走り続けることが出来る.40km/hではもちろん何のストレスなく,走り続けられるので,ゆっくり走ることに関しては,GB250より走りやすい.GB250は 40km/h以下では頻繁にシフトしなければならず,ゆっくり走るのが苦手,いつも 60km/h で走っていた.

長生村.長生高校って長生村にあるのかな.ちがう,茂原市だ.この辺は長生郡で,その長生郡の中心地が茂原市.
白子町は,テニスの町.テニスコートがあちこちに.
九十九里町に入り,豊海のところから東金方向へ左折.千葉東金道路へ向かい,そこからそれて R126 から千葉市へ向かう.

千葉市坂月を通る.坂月は大昔,運転免許試験場があって,中型二輪(当時)免許はそこで取った.幕張の埋立地に今の免許センターができたのはいつごろだったかな.

家に帰ったのは19時ごろ.

明日は,西伊豆を走ろうっと.



>>くろべえ: ツーリング記録一覧

>>XJR1300 日記

2004年4月16日金曜日

納車

「半分衝動買い」のミーハーマシンが昨日納車になった.電話はその前日にかかってきたのだが,雨がつよかったので取りに行けなかった.
納車の日は創立記念日で生徒は休みだが有給をとって昼間から取りに行った.

YAMAHA XJR1300

もちろん中古.単車屋さんによれば,いろいろと社外部品がついている.

一目でわかるのがビキニカウル(小さいカウリング).はじめは「こんなに小さいの,意味あるのかな?」と思ったが,単車屋さんによると,
 「小さくてもあるのとないのでは,全然違う.」
らしい.確かに GB250 で高速道路はつらく,窒息しそうだが,ビキニカウル1枚で大分負担が軽くなるということらしい.高速道路は乗らないけど,広い道でスピード出すときに楽になるならいいかな.

2本のフロントフォークをつなぐスタビライザ
 「ハンドリングがかっちりしてコーナリングが安定します.その代わり柔軟性が犠牲になって突き上げが強くなります.」
スタビライザ
初心者には扱いづらくなる感じなのかも.ノーマル状態を知らないので,わからない.

ステアリングダンパー
 「高速でハンドルがあばれないようにする装置です.」
ステアリングダンパー
ハンドルが重くなるので街中では不要.高速道路に乗らなければ意味がないので,まったく効かないように調節した.これまた初心者には不要.

パワーフィルター
 「吸気効率がアップします.おかげで排気音も良くなってます.でも大雨の日は水を吸い込みやすいので走らないほうがいいです.」
パワーフィルター
高回転域は伸びるが,低回転域の力が多少細るらしいが,ノーマル車を知らない私には「ふーん・・・」
トップギアでアイドリングでも走れてしまうし,そこからドカンと加速できるし,低回転域のトルクは十分だな.

「バックステップがついてます」
「へ?二人乗りの後ろのステップのこと?」
「じゃなくて,ステップの位置を後ろに下げて,コーナーが攻めやすくなる.」
「なんだ,初心者には宝の持ち腐れですね」
バックステップノーマル
右はノーマル.たしかに5cmくらい後ろで,ちょっと上のほうについている.んー,ゆったり走りたい自分としては,ノーマルのほうがよかったけど,まぁいいか.

で,乗り始めて気づいたのが,バックステップのおかげで,シフトアップでシフトペダルの下に足を入れると,サイドスタンドに触れて違和感が.まぁ「サイドスタンド踏んづけてシフトアップ」と思いこんで違和感がなくなったが.

単車屋さん
 「マフラーを交換するなど派手な改造はされていないけれど,バランスの良いノーマルの味を残しながら,見る人が見ればわかる小粋な改造がされてますよ.」

うーん,逆に初心者の私には「ヘタなのに改造だけは凝ってます.」ってことだからはずかしいにゃー.でももともと「ミーハーマシン」だからいいか.すいてる道はあまり走らないようにしようっと.混んでいれば「安全運転してます」ってことで(^^;)

店からスタートして,ちょいと走り出す.
いつも振動の激しい単車だったので,滑らかに回るモーターが単車らしくない.
油温計がついていて,どんどん上がり,90度くらいで安定.
なんだか足が暖かい.モーターの熱気だ.夏の渋滞は暑いだろうなー.

まずは給油.稔台のセルフの出光まで行って見る.
給油中
給油中.

五香周辺はいつも渋滞.
1速でアイドリングで走る.スピードが上がると2速でアイドリングのまま.
五香のガード下.2速アイドリングのまま坂道を登ってしまう.
3速でもアイドリング.そのまま4速にしてもアイドリング.
やっぱり5速(トップギア)でもアイドリング(1000回転),時速30kmくらいで走れてしまう.前の車が離れたので,アクセルを開けるとそのままズドンと加速する.
すげー.さすが1300.こりゃ気持ちえーわ.癖になりそう.

ちょっと裏通りに入って,撮影.
YAMAHA XJR1300

このあと,車庫に借りたレンタルボックス(コンテナ)へ.
入れておいたクラブマンを出し,XJR を入れる.出し入れに10分はかかるな.

>>XJR1300 日記

2004年4月10日土曜日

新型二輪車のイベント

今日は朝から部活で練習.単車で行った.
駐輪場でまた得意の立ちごけ.右のミラーが折れる.(T_T)
結構かっこよい社外品のミラーがついていたのだが,後ろが見えないミラー(主に自分の腕が写る)だったので,この際,左右とも変えてしまうつもりで,沼南町にあるライコランド千葉店に行った.

そうしたら,駐車場の一部を使って,イベントの準備をしている.まずはミラーを選ぶ.
どうせまた立ちごけで破損するのだから,一番安いミラー(1個1500円)にする.ちなみに折れたのと同じミラーは2600円もするので,ここはやはり一番安いのにする.
駐車場でミラーを取り替えていると,会場でお姉さんがイベントの予告.3月30日新発売のヤマハ トリッカーの展示とプロライダー成田亮さんのデモ走行をやるらしい.これは見ていくしかないということで.20分ほど待ったら始まった.

まずは司会のおねぃさんによる新車の展示と説明.その後,成田亮さんトリッカーでウィリーをやりながら登場.
成田さんと司会でトリッカーについていろいろ説明.
そして質問コーナー.一番前で見ていたら司会にマイク向けられ
 「何か聞きたいことありますか?」
 「え.あ.そのエンジンの上についている黒いのなんですか?」
 「成田さん,これなんですか?」
 「これは,小物入れです.車載工具なども入っています」
他に,タイヤの空気圧とか質問した人がいた.
 「ノーマルの空気圧です.」
あと成田さんのトリッカーは,ハンドルのオフセットを小さく(つまり回しやすいが不安定),シフトペダルは特別な形をしていた.それ以外はノーマルとのこと.

さて,その後,成田さんの超絶技巧.始めはブレーキターンで小手調べ,つづいてウィリー.ウィリーのままターンとかスラローム.そして,極めつけはジャックナイフ.
ジャックナイフは前輪の急ブレーキで後輪を持ち上げ,そのまま前輪だけで走ってしまうワザで普通は転倒する.ジャックナイフで走った後,前輪だけをつけたままターンとか,ものすごい.路上に置いた2個のコンクリートブロックを使って,いろいろ.二輪は奥が深い・・・.コンクリートブロックは割れてしまった.

さて,終了後,DVD 争奪じゃんけん大会.
成田さんと,参加者がじゃんけんして,勝った人だけ残る.DVD は7枚あるので7回やり,私は最後の1枚の勝負で勝ち,成田さんサイン入りのヤマハのデモDVDをゲットした.立ちごけミラー破損のおかげだな(^^)
サイン入りDVD


さて,イベント終了後,またがってみてくださいということでまたがると,第一印象「軽い」.ハンドルの位置もニュートラルで,乗車姿勢に無理はない.ほんと扱いやすく,乗って楽しい単車という印象.いつか中古で3台目として買おう.

さて,実は木曜日に,ディジカメ(Ayuは、ブレない)の修理が終わったという連絡を受けていたので,午後,取りに行った.
取りに行って,天気が良いのでそのままショートツーリング.たいした距離ではないが,何も考えずに良い天気を楽しみながら,道なりに走る.走る.走る・・・.あぁ幸せ.
単車は単なる移動手段ではない.走るだけでよい.これが四輪車なら一目散に帰宅しただろうなぁ.

>>GB250 クラブマン日記

2004年4月3日土曜日

春の県境ツーリング

今日は久しぶりの休みでやっと春ツーリング.
で,千葉県の県境を走ることにした.県境は基本的に川沿いに道路が整備されているから,その道を通ろうという魂胆.

9時過ぎに自宅を出て,浦安のTDS前に10時に到着する.
TDS前

そして,そこを県境ツーリングのスタートとする.関宿を廻り,ゴールは犬吠崎.

ディジカメは修理中なので,PDAの40万画素のディジカメで撮る.

TDS前からひたすら北上.途中から堤防沿いの道に入る.都市部の堤防はコンクリートが高くて,壁際を走るような感じになる.
営団地下鉄改め,「東京メトロ」東西線が江戸川にかかる鉄橋脇の桜が美しいので撮影しようとすると,「電池がなくなりました.」(;_;).一晩充電していたけれど,古いので,電池が寿命のようだ.酷使してるからなー
コンビニがあれば,使い捨てカメラを買うことにする.

今井橋をくぐり,すぐ先の交番手前を左折して,またまた堤防脇を走る.このあたりは道が狭くて,四輪はます通らない.土手沿いの公園の桜が美しい.歩行者や自転車も多いので,ゆっくり走行・・・このままじゃコンビニは見つからないな.

堤防沿いをやめ,通りに出ると,行徳橋手前にサンクス発見.使い捨てカメラを買い求める.

行徳橋を渡り本八幡・市川方面に左折.道路は土手を下りていってしまうので,そのまま土手に乗るように,左へそれる.
さっそく,京葉道路を撮影.
京葉道路

京葉道路をくぐると,サイクリングロードとなり,自動車進入禁止なので,土手を降り,通りに出る.

国道14号線
国道14号線に出るところ.ここを直進して「県道1号線(市川松戸線)」を北上する.

県道1号線はいつも混雑.とくに里美公園が有名だから,大渋滞.
「はんこ」と書かれた印鑑屋ののぼりがはためいていて,文字が一部読めず,一瞬「どきっ!」
里美公園が花見の季節でなければ,単車で乗り入れて,江戸川を眺めながら北上するところだが,この時期は当然車両乗り入れ不可.さっさと通り,松戸へ.

国道6号線の陸橋
国道6号線の陸橋.この先をまた江戸川の土手沿いを走る.

ふと思ったが,土手と堤防の違いはなんだ?
まさにツーリング日和

松戸三郷有料の
松戸三郷有料の下をくぐる.
このまま走ると,流山街道に出てしまう.
農道にそれ,田んぼや農家の家並みの中を進む.

坂川放水路の水門
坂川放水路の水門

水門の向こうが江戸川.
流山市に入ると,やたら新撰組ののぼりが増える.

線路の下をくぐる.
また線路の下をくぐる.(!?)あれ?今のが武蔵野線だよな.さっきのは・・・常磐新線か!思い出してみれば,やたら新しい高架橋だったし.

直後に三郷へ向かう橋をくぐり,「そうだよ,この橋とJRは隣り合ってるんだよ.やっぱりさっきのは常磐新線だ.」またまた,日本一高い路線になるのだろうな.

菜の花も満開.
菜の花

常磐自動車道をくぐると,土手沿いを走れなくなり,松戸野田有料に出てしまう.料金所の手前で曲がればいいや.
すると,料金所の手前で,大型車以外ほとんど左折するので,ついていくことにする.

すると利根運河.これをわたると野田市.
利根運河
有料道路は利根運河を渡るためのものだと理解.

そのまま有料道路の後半に.道が広く走りやすく気持ちがいい.
とりあえず,市街地を走る.醤油の町野田.なんとなく醤油の香り.
「野田市の蛇口は青,赤,黒の3つ.青は水,赤はお湯,そして黒は醤油」
と言った生徒がいたなぁ.醤油のインフラか.いいな.

清水公園に向かう人並みを横切ると,清水高校.
清水高
千葉県北西部でも最も伝統のある高校.
ここを過ぎると,東武線の・・・「陸橋になってる!」
まえ来たときは,踏み切りだったなぁ.

国道16号線を横切り,次の信号に「野田市木間が瀬」の表示.
「木間が瀬中の卒業生は前の学校や,その前の学校によく入学してきた.木間が瀬は関宿町だったよな.そうか,野田市にも木間が瀬という地名があるのか・・・あ,違う.去年関宿町は野田市に合併したんだった.」
電柱の広告を兼ねた古い地名表示は「関宿町木間が瀬」,「関宿町平井」・・・と続くが,新しい表示はみな「野田市・・・」となっていた.

「野田市」関宿台交差点に到着(12時).右が利根川を渡って茨城県堺町,左が江戸川を渡って埼玉県幸手市(案内表示は杉戸)
とりあえず,直進して川の土手に上がる.
関宿
地図を持っていないので,自分の場所がさっぱりわからないが,この川の広さは江戸川.上流に向かえば,利根川の分岐点のはず.
その方向に関宿城博物館があるので,そこに行けばなにかわかるな.
関宿台交差点に戻ると,観光地図があった.たしかにさっきの土手は,江戸川.

関宿城博物館到着.広々とした「関宿にこにこ水辺公園」.
治水関係の説明のパネルで勉強.
関宿にこにこ水辺公園
管理橋をわたり,中洲に行く.こちらにも同じパネルが.
それから「へび注意」「蜂注意.巣穴を見つけたら,ご連絡ください」などの看板も.

利根川の洪水を江戸川に流さない水門.
水門
利根川流域のほうが洪水に強いからな.でも昔,利根川の支流,小貝川が決壊したときはすごかったなぁ.

水門上から,利根川分岐方面を望む.
水門上
さて,せっかく3県が隣接している場所に来たので,すべてを廻ってみることにする.

公園を出て,まず境橋を渡り,茨城県堺町に渡る.
わたってすぐ右折を繰り返し,道の駅のほうから利根川沿いの国道354号線にはいり,北上.
つづいて,国道4号線を埼玉県方向に左折.すぐに利根川を渡る.
渡れば埼玉?ではなく茨城県五霞町.五霞町も幸手市に合併するのかな.生活圏は川を渡らない幸手市だろうな.
南下し,埼玉県幸手市に入る.そして関宿橋を渡って戻る.約20分.

幸手市の土
幸手市の土手.

今度は利根川に近い側の農道を南下.(13:10)
県道7号線(我孫子関宿線)に入り,利根川沿いを我孫子に.
たぬきがひかれていた.そういえば銚子ではいたちがひかれていた.

利根運河到着.
利根運河
わき道からどんどん車が出てくる.ここが裏道のはじまりであるので,そちらに向かう.
この裏道を通ると,6号線の下を立体交差で通れる.

常磐自動車道.
常磐自動車道
この先,すぐ常磐新線の高架橋があった.

6号線(水戸街道),JR常磐線をくぐり,利根川土手上の道に出る.
利根川
途中,茨城県取手市小堀地区がある.利根川の蛇行を直したとき,千葉県側に残ったらしい.小堀地区の南側には古利根沼という昔の利根川の名残りがある.

我孫子市を過ぎ,道は印西市の木下から国道356に合流する.ひたすら東進.

成田へ向かう飛行機が大きく見え始める.
飛行機
飛行機を見に行きたい衝動に駆られながら通過.

堤防の下ではなく,堤防を幅広く作り,その上に道路を作った「スーパー堤防」
スーパー堤防
特に神埼町付近は直線が長くて楽しい.

佐原市内で給油.
佐原市を通過すると堤防沿いではなくなる.田園風景の中を走る.
小見川町で15時を過ぎ,ココスで休憩.気温が下がってきたので,ズボンの防寒着も着用.

台地沿いの高いことろをはしる道から,利根川が良く見える.
成田線
道路下は成田線.

銚子市に近づく.河口が近いので堤防は低い.
河口が近い
市内を通過し,今回のゴール犬吠崎へ.
犬吠崎16時半.
犬吠崎
何度か来ているので,あんまり見るところはない.このまま明るいうちに海沿いを南下することにした.
左手に海を見ながら爽快.

飯岡町に来ると風力発電機が回ってるのが見えたので,見に行く.
風力発電機
畑のど真ん中でぶんぶん回っていた
風力発電
これでちょうど使い捨てカメラのフィルムのなくなり,直後に日没.
暗くなる前に,九十九里道路に着くかな? と南下していたが,暗くなってしまったので,帰路に着く.
とりあえず内陸に入ってみると,国道296への案内標識.
成田空港の南側から富里を抜け,佐倉市内.
歴史民族博物館前を右折して印西方面へ.
印旛村から北総線沿いを自宅へ一直線.
自宅近くの45分現像の店でCDにしてもらう.
380km走行.

おわりに.
これからはツーリングの季節.とりあえず手始めに近所のトリビアを蓄積.特に,関宿は自分的に「へぇ」の連続で楽しかった.
関宿は3県が隣接しているけれど15kmも北上すれば栃木県に突入する.次はどんな名目でツーリングするかな.


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>>GB250 クラブマン日記

2004年3月27日土曜日

定期演奏会とライブ

前任のH高(通称T高)吹奏楽の定期演奏会に行ってきた.卒業生に教え子がいっぱいいる.
古いところでは2年のとき文化祭でジャズをやったベースのO歳君や3JのM時さんと会った.ふたりとも今も音楽を続けているということでなにより.
OB演奏は1曲だけだったが現役との合同演奏なので,総勢80人以上.ステージ上びっしり.最後のアンコールもぞろぞろ出てて来ていた.

さて,今夜もまた船橋に友人が出演するJAZZライブ.前回私がリクエストした C.Parker の Donna Lee が不本意だったということで,今回のリベンジを聞きに行った.
ナイスでした.で,リクエストコーナーでまたもや Parker の Scrappled from the Apple なんぞリクエストしたら,「ひぇぇぇ」といいながらもやってくれた.次回もこれリベンジかな.こうやってレパートリーが広がるのだねぇ.

2004年3月26日金曜日

半分衝動買い

今日,単車屋へ.
気持ちは先週すでに目をつけた空冷ビッグネイキッド.
目をつけていたが,いちおう店にはいろんな車種を相談する.
で,「やっぱこれちょうだい」で契約.
今乗っているクラブマン(GB250)にはちょっとマニアックなこだわり(クラシックなデザインのワイヤースポークのホイール,単気筒……性能は二の次)があったけど,今度のは,よく言えば単車の王道(早い話,ミーハー ^^;)ヾ
(ちょっとだけこだわったのは放熱フィンが単車らしくて美しい「空冷」)
4月上旬納車.9万で買った車と同じ排気量だ.(足,届くかな・・・)
もちろん,こだわりのクラブマンは手放しません.
>>XJR1300 日記
linked: 1

2004年3月24日水曜日

「0で割る」に見る科学的態度

「0で割る」の議論のおかげで私のページが引用され,先週の「アクセス大噴火」につながったのだが,その掲示板でいまいち議論がかみ合わない.その原因は「科学に対する態度」ではないかとも思っている.
どうも世間一般の人の数学や科学に対する「信仰心」は篤く,「数学的事実はすべて真実である.」とか「数学は答えがあるもの」と信仰しているように思える.
数学をかじったことのある私に言わせれば,数学や自然科学は単なる仮説の集合体に過ぎず,真実などはない.

真実とは「人類皆平等」とか「命は大切」とか「愛は地球を救う」とかたくさんあって,それを追求するのが人生だと思うし,哲学や宗教の存在意義はそこにある.
しかし,自然科学の専門家はだれも「真実を追究している」とは思っていない.その分野で追求するのは「より合理的な仮説」にすぎない.
ようするに「いまのところこの理論が一番合理的かな?」という程度.

掲示板の議論では専門家と思われる人は「0で割る計算は定義できない」で一致しているが,一般の人はいろんな実例でいろんな理由をつけ,なんとか「答」を出そうとしている.
そう,「答えがない」のが納得できないようなのである.
専門家は「『÷0には定義できない』でなんら不都合は起きないから,そのままほっとけ」「なにか不都合が起きたらそのときに考えるから,今は関係ない」って感じで,それ以上のなにか哲学的な「真実」に対しては無関心なのである.
それにたいして一般の人々は「÷0」に何か哲学的な真実(答え)をなんとか見出そうと無駄な努力をしているのだなー

もう一度断言する.数学,ひいては自然科学に真実などはない.
数学や科学に真実を追い求めてはならない.
そんな暇があったら,人生の価値を追求せよ.

でも数学はたのしいなぁ・・・(^^)
参考> 0で割る計算

2004年3月22日月曜日

鎌ヶ谷高校吹奏楽部第22回定期演奏会

昨日は母校の定期演奏会.OBバンドで演奏.特にボントロの曲「マジックスライズ」はストレス発散になるなー.


他の動画


で,撮影したすべての写真111枚,64Mbyte をソニーイメージステーションのアルバムからゲットできるようにした.(混雑時間帯はフリーズしたのかと思うくらい表示に時間がかかります.)
未整理なので,使えない写真もすべてあります.ほしい写真を持っていってください.くれぐれも被写体の人物の肖像権にはご注意ください.
また,投稿も出来ますので,ディジカメで撮影した方はどうぞ.
パスワードはOBバンドで最後に演奏した曲の,曲名の最初の単語を半角小文字で入力してください.
鎌ヶ谷高校吹奏楽部第22回定期演奏会


さて,定期演奏会とぶつかったため,もう一人の顧問に行ってもらったフェンシング全国選抜大会(富山県婦中町)の結果は28位だったとのこと.ということは予選リーグでベスト16に入れず,予選リーグの順位28位がそのまま最終結果になったと思われる.

鎌ヶ谷高校吹奏楽部(OB・OG) 掲示板

2004年3月16日火曜日

学年通信 Special Edition(限定15部発行)

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

T崎<シャトル>H幸
2004.03.16

 2004年3月11日(木)12:15(たぶん)我々は,石垣島空港にその足跡を記した.我々一行,O里<お坊ちゃま>K宏,N村<ツアコン>M子,T中<チャキチャキ>M子, U家<ライダー>S,N田<小娘>Y紀,U井<還暦>T,T崎<シャトル>H幸(ミドルネームは推定)の7人は,当然のごとく感激した.もうすぐ台湾という亜熱帯の風が一行を歓迎攻めにしてくれて「(やはり)ここは大和ではない」という感想を強くしたのであった.この感想は,最後まで一行の胸に去来するのだったが.

 さて,小腹も空いたことだし,腹ごしらえと称して早速地ビールである.その間おしゃべりに興じている島のオバァー3人の言葉は誰もわからなかったのだが,ソーキそばであり,ゴーヤチャンプルーを速攻でたいらげ,離島桟橋に向かえば,エメラルドグリーンにその白い船体を輝かせる連絡船が,一行を待ち構えているではないか.と思ったのもつかの間,走り出した竹富島行きの船は,一行の想像を超えるスピードを披露し,北朝鮮(推定)工作船もかくや,と思われる速さで波を蹴立てて走るのであり,すれ違う船の横波を食らおうものなら,一躍ジャンプして我々を喫驚させ, 10分で竹富島に着いてしまった.

 竹富島は島全体が歴史的景観保存地区に指定され,勝手に家を新築してはならず,赤瓦の平屋を作らなければならない.住民200人と少し,小中学生が18人で先生16人.小娘は思わず,石垣島の竹富町教育委員会に雇ってください,と談判しかけた.竹富島といえば水牛観光だ.「さくら」ちゃんという御年20歳の美貌(人間に換算すれば60歳の)を誇る水牛はまことに経験豊かで,きちんと内輪差を計算しながら狭い白砂の道のカーヴを切っていく.竹富島といえば,「安里屋(あさどや)ユンタ」の本場.若いガイドさんもいきなりサンシンを取り出し,歌ってくれた.シャトルは,翌日自分がこれを踊るとは想像だにしていなかった.ハイビスカスやデイゴやいろんな花が咲き乱れ,蝶々が次々に視界を横切るなかを,ゆっくりと水牛車は行く.「さくら」ちゃんは,なかなかの知恵者で庭木の木陰にさしかかると一休み.木陰がまた涼しいのであった.水牛車を降りると,アクティヴにレンタサイクルで移動.お坊ちゃまはだれもいない(推定)海でひとりナマコと戯れ,ライダーたちはミーハーにも星の砂海岸へでかけた.波が引き,リーフの外海が白い波しぶきをあげている.青い空,白い雲,濃い外海と緑色の環礁を区切る白い波,そしてわずかに茶色い星砂の浜・・・時間が停まったかと思いきや,来るは来るは次から次へとツアー客が押し寄せる.そして星砂をアレンジしたイルカやハートのキィホルダー(5個で1000円)を争うように買っていく(シャトルもその一人であった).亜熱帯の海の貝細工を売っていた青年は,総代を務めたA川クンに似ていた.

 石垣島に帰るとすぐに夕食『シェフのお勧めディナー』だった.今回の旅行全体を通じて勉強になったのは「予約がデージ(大事)」である.緯度で15度西にある八重山諸島は実質1時間の時差がある.まだまだ明るい18時にビールに食事なんてとてもお天道様に申し訳がないような気がした.夜,星が出てから外のテラスに集合して,缶ビールと泡盛で野外コンパを始めた.ホテルの照明が邪魔になったものの,よく星が見え,気持ちよい風のなかで飲む泡盛と,まったくまとまりのないユンタク(おしゃべり)に心癒され,その間お坊ちゃまは,60分間のマッサージを受け,小娘・ツアコンは民族衣装の記念写真,シャトルはコインランドリーに出かけ,みな気ままに過ごしつつ,夜はふけたのであった.

 「何もしない」旅のはずが,チャキチャキとツアコンを除いてみんなアクティヴになった.ライダーは目当ての250ccバイクが借りられず, 125ccで妥協して石垣島ツーリングに出かけた.帰ってきたときは「200km走りました」「孔雀が森の中にいたけど『あなた野生ですか?』と聞くわけに行かず困った」と楽しんできたようだ.

 還暦,小娘,お坊ちゃま,シャトルの四人は西表島に出かけた.「せっかくここまで来たんだから」と思ってしまう自分たちの貧乏性が恨めしい.例の高速船で40分.次々に乗客たちは,待ち受けていたバスに吸収されていく.残された,つまりツアー客でない4人だけが残され,うろうろしていると,レンタカーを借りるしかないことを知らされ(定期バスは一日3便しかない!),すぐにレンタカー屋に拉致された.この時,シャトルは生まれて初めてオートマチック車を運転することとなり,貴重な体験を味わった.しかしこの島の道路は10分間に5台すれ違えば多いと感じるほどの道であり,なをかつ,レンタカーはいくらアクセルを踏み込んでも時速60kmしか出なかったのである.のんびりとしたドライヴを楽しみつつ,美しい海岸線を愛で,海沿いの河口に広がるマングローブと川水の美しさを褒め称えつつ,「こんなに観光客が多いとは思わなかった」だの「カヌートレッキングは予約で一杯とは!」だの「何で平たい島と山がある島ができるのだろう」とユンタクは続いた.お坊ちゃまは「イリオモテヤマネコ」に会いに行くといって別行動でレンタカーを借りていったので,生死不明. 3人のユンタクのさなか,市立柏高校3学年団が沖縄に来ているという情報が伝わり「チッチッチッまだ若いな」と優越感に浸っていると,小娘のケータイに「イリオモテヤマネコを捕獲してきてくれ」とメールが着信.あとで西表野生生物センター(ポケモンセンターのようなものなるか)を訪れたお坊ちゃまの情報によると,いまは怪我をしてリハビリしているイリオモテヤマネコはいなかったので,本物に会えなかった,けれどヤンバルクイナは居たそうであるが,そんなことは知らない3人は,由布(ゆぶ)島にでかけ,またも水牛車に乗って400mの水牛旅行を楽しんだのである.今回乗せてもらった水牛はシンタロウ君(5歳).シャトルの子どもと同じであった.ガイドさんは「安里屋ユンタ」と「十九の春」を歌って歓迎してくれた.沖縄の人たちはほとんど三線が弾けるではなかろうか,と思った.由布島はかつて小学校もあったのであるが,戦後の強烈な台風で一度水没し,全島避難したのち,観光開発がなされたらしい.水牛30頭余りはローテーションを組んで毎日23頭が出勤する.朝と夜の一日二食で何回も往復できる水牛に敬意を払った.周囲2km足らずの島を抜けると,すぐそばに「ちゅらさん」で有名になった小浜島が見えた.しばし潮騒の音に身をまかせ,静かな海を見ていた.昼食は「唐変木」という店でゴーヤチャンプルー.後から来た客に店の人が「すいません.ご飯がなくなったので,ソーメンチャンプルーかソバしかできないんですが」とことわりをいれていた.あとで石垣のタクシーの運転手サンに聞くと,「島にオフシーズンはない」とのことだった.

 その間,チャキチャキとツアコンの二人は,ゆっくり起きて,ホテルのビーチでボーッ海を眺め,危うく寝てしまうところを無理やり起きて,ケーキ食べ放題に挑戦し,それに飽きると,焼き物の窯元に乗り込んで手ひねりで作陶に励んだそうな.何もしない,という決意は,かくもたやすく壊してしまう何かが南の島にはあるのかもしれない.

 二日目の夕食は八重山料理のコースを食したるのち,ライダーの案内でシャトル,還暦,ツアコンの4人が「琉歌」というライブハウスに出かけた.お坊ちゃまも同行したが,「夜の石垣市内を探索する」といって別行動.常にクールである.がしかし店は沖縄でいう夕方8時にならないと開かないということなので,各自が自由行動に移った.還暦氏は『頼まれた酒を買いに行く』と酒の激安店へ.ところが送り先の住所がわからず頼んだ本人に電話で住所を聞いているのを聞いていると,どうやら相手は酒豪の「姫」らしい.シャトルは,初日にタクシーの運転手サンから聞いた古本屋を訪れるが,まだこの時間では開いていない.しかたなく新刊書店に行くと,国際通り球陽堂に劣らぬ品揃えに,頬が緩みっぱなしになったまんま,止せばいいのに『竹富町史第12巻資料編戦争体験記録』厚さ6cmを購入して喜んでいた.旅先で重い本を買うなどというのは,殆どビョーキであることを本人は自覚している.さてその先の顛末であるが,ネェーネェーの打楽器とお囃子,ニィーニィーの見事な節回しと三線に聞き入ったことは言うに及ばず,従業員のお兄さんは大和から来たってすぐにわかるんだろうなぁ「どこから来ましたか?」と聞くので「千葉から」と答えると「エッ千葉のどこですか?ボク新松戸にいました」というので,とても仲良くなり,飲めば飲むほどにオリオンビールのような爽やかさと泡盛の気持ちよさが体を吹き抜けていて,「安里屋ユンタ」を見よう見真似で踊り,ラストのカチャーシーでツアコンいわく「壊れた」シャトルは踊り狂ったのであるが,それは他の3人も同じであった.この時,一人のオジィー(推測するに近所の民宿の主)の手さばきは素晴らしく見事であった.堂々としていて,とても真似できない何かを感じたのであり,それは思うに石垣の風土と歴史が積み重なって見についたDNAのなせる業かもしれぬ.

 短い時間に次から次へとさまざまなカルチャーショックを受けつつ,宿で飲みなおしながら,つくづく思ったのであった.『あまりにもディープだ』

 「季節はずれの台風に見舞われて,空港から飛行機が飛び立ちません!」あるいは「地震で滑走路に亀裂が入り,当分の間帰れません!」もしくは「ホテルがテロリストに占拠されて閉じ込められました」と学校に電話をしている自分自身を夢想していたのだが,そんなことはあるわきゃなく最終日を迎えた.

 みな思いは同じく<帰りたくないよぉ~>という顔をしながら朝のバイキングを食し,ツアコンの手配よろしくワゴン車を借りて,石垣島一周のドライヴに出かけた.運転手はライダー.もちろん前日のうちに下見は済ませていたので,狭い島内とはいえ渋滞を避けつつ,一回は袋小路に迷いながらも快調に飛ばした.沖縄本島とは違い,あちこちに水田が広がり,広い牧草地に美味そうな黒い石垣牛が草を食むなり寝ころがっている風景の中を北部海岸へと向かった.

 石垣島第一の観光地川平湾である.ツアコンによれば,前日乗ったタクシーの運転手さんが「曇っても雨でもこの美しさは変わらない」と言っていたそうだが,その言葉に偽りはなかった.絵はがきのような風景を展望台から見て,しばし写真の撮り合いになった.そういえば小娘は,デジビデを回しつつ,デジカメで撮り,さらに写メールで激写していた.忙しい人だ,というより教材作成の執念を感じた.展望台の奥へ向かうと,まるで罠を仕掛けたように「石垣島黒真珠センター」なる建物があり,ここで長い時間を過ごすことになった.女性人が何を買ったかはわからないが,シャトルもカミさんの土産に買ってお赦しを請うことにした.黒真珠貝を使った髪止めである.

 さらには車は東海岸へと向かった.「米原キャンプ場」周辺は,戦後の一時期に沖縄本島からの移民が開拓した地域である.沖縄戦終了後,サイパンの移民から引き上げ読谷や嘉手納の自宅で農業をしようとしたら,今度は米軍に追い出され,石垣島に開拓農民として移り住んだのである.海岸以外は密林という原野を相手に,木を伐り,根っこを抜いて畑にし,冷害や台風に悩まされつつパイン栽培でようやく安定を迎えたという歴史を有している(森口豁(かつ)『旅農民のうた』に詳しい).さらに本土復帰後のリゾート開発による本土資本の土地の買占め(農民の追い出し)や,マラリヤとの戦いなどを想起しつつMDで聞いた『島唄』を聴いているうちに不覚にも涙を催した.

 玉取崎展望台も美しかった.この海は照屋正規(てるやせいき)サンという海人(うみんちゅ)が鮫に咬まれて一命を取りとめた場所である. 9歳で口減らしのために海人に売られボタンの原料になるタカセ貝を採る仕事の最中にシロザメに咬まれたのである.いま72歳の照屋正規サンは辺野古(ジュゴンが棲む普天間飛行場の移転先)で一番の漁師である.その個人史は沖縄フリーク小林照幸サンの『海人』に詳しい.そんなこんなの下調べのせいか最後の日のドライヴは,八重山の多様な歴史をこの目で見て深い感動を覚えたのだった.

 いよいよ締めである.各自お土産を買い込み,シャトルは「泡盛中毒」Tシャツを買い,小娘は荷物が二倍になり, 1時にホテルをチェックアウトして市内の『金城』という焼肉屋へ向かう.最後に,神は我々に微笑みもうた.開店セール共催中でこの日まで(!)カルビとロースが半額で生ビールが90円なのだった.みな笑いながら食した.牛肉は本来のうま味たっぷりで,石垣の塩を少しだけつけて食べる方を,シャトルの舌は喜んでいた.食べ終った時,真に「八重山の旅」が終わったことに気がついた.

 こうして,2泊3日の短い八重山巡りは終わったのであるが,反省点をいくつかあげておきたい.その1・計画を立てて予約を入れておこう.カヌーでマングローヴ探検をする時も,レンタカーを借りる時も,夕食を摂るのも予約がデージということがよくわかった旅だった.その2・2泊3日は短い.もう一日リゾート気分でゆっくりと過ごしたかった.はやくリタイヤできないかな,と心底から思ったのだった.

追伸・これにて学年通信を終わらせていただきます.永い間のご愛読に感謝します.ある先生が仰った「この学年は学年通信という言葉の力で生徒を指導できた学年でしたね」という言葉が最高の評価だと思っております.謝々.

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

2004年3月14日日曜日

八重山 学年旅行最終日

3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信

朝食後,時間があったので,海に行ってみる. 3月20日が海開きというだけあって,冷たくはない.
海

最終日.レンタカーで.運転好きなくろべえが運転.特に,前日島内を闇雲に走ったので,土地勘がある.
信号が多い市内を避けて,単車を借りた店のある裏道のほうから西側の道の出る.名蔵湾を見ながら北上.名蔵湾は潮が満ちていた.

まずは川平湾.
川平湾
黒真珠センターがあって,みなさんそちらに.私は真珠の解説コーナーを見て歩いた.

つづいて,玉取崎展望台に向かう.
単車で通ったトンネルを抜け,島の「山の自然」を見ながら向かう.
まぁ多少遠回りになったが,すいているので5分と違わないだろう.

駐車場に大型モーターバイク(YAMAHA XJR1300)があった.
玉取崎展望台

お土産を見るというので,12時にはホテルにもどるが,私はお土産を買わない人.チェックアウトは13時までというので時間があるので,「飲み物,ケーキ無料券」が余っていたので有効活用.まぁケーキは苦手だし,この後焼肉が待っているので,スコン1個と飲み物にする.
天井
天井で団扇が動いていた.

昼食に予約した市内の焼肉屋は13:30.チェックアウトし,市内を適当に道に迷いながらジャストオンタイムで焼肉「金城」に到着.なんとオープンセールで生中ジョッキ90円だって.
焼肉金城
運転手だから飲めないけど,ロースとカルビを堪能.

石垣空港
石垣空港
車は石垣空港前の無料駐車場に乗り捨て.鍵の扱いを問い合わせる.
「鍵はどうするのですか?」
「鍵をかけずに,ダッシュボードに入れといてください」
といわれた.石垣空港の駐車場に鍵のかかっていないレンタカーがあったら,ダッシュボードに鍵がある・・・でも,狭い島の中.すぐに見つかるな.

石垣からの機体は来るときと同じ B737 スーパードルフィン.ちっこくてかわいい.那覇空港では「乗り継ぎの方は先に降りてください」とのことで優先的に出口へ.

降りるとすぐに羽田行きの搭乗口に向かい,乗り換える.こんどはB747.初めて2階席に乗る.
2階席
翼を見下ろす感じ.
翼

羽田で解散.うどんを食べて帰宅.
3月11日(木) 3月12日(金) 3月13日(土) 学年通信