言論,表現の自由
知らなかったと思うけど,学級日誌の法律上の位置づけは「公募に準ずるもの」だったようにおもう.
公費(税金)を使って紙や表紙が用意されるのも私的なものではないからで,保管場所が教室ではなく教務室の前であるのは,単に教員にとって便利だからではなくて「校内の誰でもが閲覧可能である」ことを保証するためなのです.
公費が投入された公的日誌なら当然のことですね.
だから転載の是非は生徒の著作権ではなく,自由閲覧可能である公的日誌の内容が別の誌面に転載される是非にさかのぼって,議論する必要があるわけです.
逆に記載する生徒は公的であるゆえ,誰に見られても差し支えのない内容を気遣うことが求められます.
本校の良いところは検閲をしないことですね.
これは記載者の良識が求められます.
検閲といえば「言論の自由,表現の自由」なんてことを思い出します.
「言論の自由,表現の自由」というと,「なんでもあり」と履き違えている社会の風潮があって,一部マスコミ等はその錦の御旗の元に人権侵害を繰り返したり,わいせつな出版物を店頭に並べさせたりしています.
皆さんは「言論の自由,表現の自由」の本当の意味を知っていますか?
「言論の自由,表現の自由」というのは「言論表現によって公権力に取り締まられない」だけであって,「なんでもあり」ではありません.
「なんでもあり」と思っている一部マスコミは「知る権利」まで持ち出して個人のプライバシーを晒します.
数年前に,街宣車の音を規制しようと東京都で条例を設けようとして,市民の反対で取りやめになりました.
うるさい街宣車を見ると一見「うるさいから取り締まってくれないかな」と思うかもしれません.
しかし,どんなにうるさくても警察等が取り締まるのは「言論表現の自由」の侵害です.
ではどうするか.うるさいと思う市民が集まって抗議すればよい.
市民の集まりは「公権力」ではないから「自由の侵害」にはあたりません.
つまり「マナーが悪いぞ」と教えればよいわけです.
同様に良識のない出版物は市民の力で排除すればよい.
良識のない出版物を「法律で取り締まってくれ」というのは,そもそもの発想が憲法違反です.
法律で取り締まるのではなく,市民の力で排除する.
これが民主主義というものです.
つまり,人権侵害や公序良俗に反するような腐臭を放つ出版物は,神戸の事件の写真の件のように「店に置かない」,「買わない」ことによって,社会から排除すべきであり,権力による出版差し止めはどう考えても憲法違反です.
逆に市民の不買運動等,市民の側からの排除は言論の自由の侵害にはあたりません.
出版社が何を出版するかは自由,それが言論の自由.
腐った表現でも出版は自由.
ただ市民が「腐ったものは買わない」,「うちの店は腐ったものは置かない」と皆で良識を持って社会から排除すればよい.
それを権力に肩代わりさせてはいけない.
でも店に並べればたくさんの人が覗き見趣味で買うんだろうし,街宣車だって一朝一夕にはなくならない.
これも現代の閉塞状況.
だからといって,権力に判断をゆだねるのは危険だ.
結局一人一人がモラルを確立するしかないわけだ.
道は遠いけどそれしか方法がない.
短気を起こしちゃだめなのよ.
最後に人権侵害某雑誌言い訳
「われわれは国民の知る権利に応えている.それがだめだというのは知る権利の侵害,言論の自由の侵害である.」
これに反論してください.
簡単でしょ.
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