1997年11月10日月曜日

1997年度学年通信「さぼてん」より 11月10日号

両端揃え命を大切に

未成年の喫煙,飲酒は法律で禁止されている.
それは未成年を束縛しているのだろうか.
その法律で罰せられるのは誰か.
たばこや酒とは次元が違うが,あるアンケートでは薬物の使用も本人の自由であると考える者も増えているようだ.
善悪の判断さえ,本人の自由であるということか.

生物がどのようにその命を維持するかを考えてみよう.
ほとんどの植物は太陽の光からそのエネルギーを得ることが出来る.
それに対し,動物は必ず他の生物を摂取しなければ生命を維持できない.
つまり,動物は他の生物の犠牲の上に生命を維持しているわけだ.
命が大切な理由は何だろう.
養豚場のブタは人に喰われようと思って生きているわけではないし,畑のキャベツだって人に喰われるつもりで生えているわけではない. (喰われたいと思っているのは果実だけ)
みんなが意識しようがしまいが,生命の維持のために,生命の殺戮は行われている.
だから,命が大切なんだよ.
君の命は他の命をもらって維持しているんだ.
だから粗末にしてはいけないし,食べ残しや好き嫌いが良くないことにもつながる.

善悪の判断基準

話は変わるが,善悪というは,相対的なのだろうか,絶対的なのだろうか.
現代は価値観が多様化しているといわれ,「人に迷惑をかけなければなにしてもいい」風潮がある.
つまり,善悪の判断も個人の自由と思われはじめている.
ほんとかな.私は善悪はそんな相対的ではないと考えている.

「命を大切に」でも書いた通り,地球の生命を粗末にする行為はすべて「悪」に違いありません.
人間が地球に対して行っている残虐行為を考えると今すぐ人間をやめたくなるが,生き物の一員である以上自分の命を粗末にすることも地球生命に対する反逆なので「悪」です.
自殺などは私に言わせれば,殺人罪だ
つまり,生きることも悪かもしれないが,だからといって粗末にすることも悪である.
逆に良いこととは,自分も含めて地球のすべての生命を生かす努力をすること.
自分の生命維持のために最小限殺めるのはしかたがない,それがもともと動物の背負っている宿業だから.
だからそのために死んでくれた生命への感謝の気持ちは忘れない.

自分の人生,自分の命だから勝手にしてほしいと思うのは,せっかく命を育んでくれた地球に対する冒涜で「悪」です.
だから人間という生き物である以上,人間として精一杯価値的に生きることが,せめてもの地球への恩返し.

環境,社会,差別… この視点で見るとあらゆるものの善悪が見えるよ.

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