2000年1月9日日曜日

宗教と呪術

あるBBSでの質問と答え
「宗教とは教えに従うことですから、『自分で考えることをやめる』ことになってしまいかねませんね。」

それがまさしく呪術,占い,カルトだ.
宗教も権威的になると呪術になるので,マルクスも「宗教はアヘンだ」と断じた.特に為政者が宗教を取り込むときは,必ず宗教を衆愚政策の道具にする.人々が疑問を持つのをやめマインドコントロールに成功すれば政権が安泰だから.政教分離の本質はここにある.

釈迦やキリストは呪術ではない.彼らは普遍的哲学を説き行動した.
釈迦は当時の社会で行われていた呪術を否定し,現実社会に目を向け,科学的に解決をはかることを主張し,行動をとった.

呪術と宗教の違い
1.呪術は中心者の神格化だけが教義.宗教の教義は人間が説いた哲学.
2.呪術は社会否定,社会逃避.宗教は積極的な社会参加.

「信仰=おすがり」と考えていると宗教と呪術の違いがわからないと思う.おすがり信仰は,考えることをやめさせ人間を弱くする.つまり「たなぼた信仰」である.毎年正月に神社で,たなぼた祈り行われている.もともと神道は呪術だから,たなぼた信仰以外のかかわり方しかないわけで,呪術に対する信仰としては正しいあり方であるといえる.
宗教に対する信仰のあり方は「誓願」であると考えるべきである.明日の自分の成長を誓い,そのために最大に努力し,徹底的に思索し,とことん行動する.つまり釈迦やキリストは神ではなく人間である.彫刻になってしまった偉大な人間師匠にあすの成長を誓うのが正しいありかただとおもう.そのためには徹底的な思索が必要.

呪術には教義がもともとないから,信者の疑問点に対して二言目には「とにかく○○を信じなさい」.それに対し,宗教の入り口は間口を広くするために「信」からはいるわけですが,教義は哲学ですから,その哲学を学ぶことにより自ら疑問や悩みを解決する洞察力思考力が湧いてくるわけです.「考えることをやめる」とは対極といえる.

では学問としての哲学と宗教はどうちがうか.どんなに高尚な哲学でもそれを実社会に実現するには組織が必要であり,それが宗教団体.ニーチェ,サルトルの実存主義も一般市民には広まらなかった.明日のパンを必要とする人にとって,それは机上の空論だから.それに対し宗教はパンを必要な人にパンを与える組織力がある.つぎにパンを与えられた人に対し,次は与える側に立てるように人間的境涯を高めていく活動があるわけだ.その活動は単なる道徳心ではなく利他の哲学に立脚し,行われてゆくべき.

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