1997年12月8日月曜日

1997年度学年通信「さぼてん」より 12月8日号

席を譲ろう

学級日誌に電車の座席を譲る難しさ(譲ったら「そんな年寄りではない」と言われ気まずかった)が書かれていた.
私の対処方法を伝授しましょう.

以前私は「すわらない」という方法をとっていました.
特に学生のころは「この年で座るのはみっともない」とすら思っていました.
でも,これだと「本当に必要な人に席を譲れない」という重大な欠陥があることに気づき,今では,ゆっくりと座れるときは座るようにしています.
私が座席に座るのは,必要な人へのリザーブです.

で,難しい譲り方ですが,荷物がたくさんあったり手を伸ばせなくてつり革につかまるのが苦しいお年寄りなど,明らかに譲るべき人の場合声をかけて譲ります.
このようなお年よりは,出入り口付近の手すりにつかまっていることが多いので,かなり遠くても声をかけて譲るのです.
まぁ,これはだれでも出来るでしょう.万一断られちゃったら,座りなおすのも気まずいので,さっさと「次で降りますから」と他の車両へ逃げます.

次に,断られる可能性のある(つまり弱者扱いされたくない)人の場合ですが,これは向こうから近づいてくれないことにはスマートに譲れないので,遠くにいる人には譲れなくて残念です.
どうするかというと,声をかけずにいかにも「用事を思い出した!」という雰囲気で席を立ち,さっさとその場を離れ,他の車両に乗り換えるのです.
停車中なら電車から降りて違う車両に移ります.
こうすると,親切の押し売りにならず,気まずい思いをすることなく座席を譲れますよ.
問題は.自分ひとりで乗車しているときではない場合,この「立ち去る」というワザが使えないのです.
このときは,私ははじめから「座らない」ワザで対処しますが,必要な人のためのリザーブが出来なくて申し訳なく思います.

さて,第1回に社会の閉塞状況を指摘して,それについての態度を考えてもらいました.
それに対し,「環境問題を除いて,人を人と思わない意識に起因する」という原因を指摘してくれた人がいました.
そう,常に社会で起きていることについて思索することは大切なことです.
一人の人間の幸福,充足感というものは,結局人類全体のそれでなくては単なる利己主義者で意味のないものです.
利己主義を捨て,社会全体に目が行くというのはそのような社会実現への第1歩です.
僕らの力は地位差が,その一つ一つの集まりが社会を形成しています.

で,人を人と思う社会をどう築くか.
戦争をなくすには?
いじめをなくすには?
さべつをなくすには?
自分はどうするか.
紙面が尽きた.

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