2000年6月20日火曜日

2000年1学期 第2回テスト

今回は予告はしなかったが,まぁ抜きうちともいえないな.やるぞーっと言ってたから.
TeXソースとPDF

1 次のもののうち,y がx の関数であるものを答えなさい.
ア.直線y = 2x − 1.
イ.放物線x − y^2 = 0.
ウ.自然数x の約数y.
エ.自然数x の約数の個数y.
オ.時刻x における平均株価y 円.
カ.円相場がx 円であった時刻y.

2 関数y = −2x + 1 (−2 ≤ x ≤ 1) の値域を求めよ.

3 放物線y = 2x^2 をx 軸方向に−3, y 軸方向に2 平行移動した放物線の方程式を求めよ.

4 直線y = −2x + 1 をx 軸方向に−3, y 軸方向に2 平行移動した直線の方程式を求めよ.

5 y = x^2 + 2x + 3 の頂点の座標を求めよ.

6 2 次関数のグラフの頂点の座標が(−1, 3) で点(2, 6) を通る.この2 次関数の方程式を求めよ.

7 関数f(x) = x^2 − 2x − 2 (0 ≤ x ≤ 3) の最大値,最小値を求めよ.

8 y = 3x^2 − 4x + 1 とx 軸との共有点の個数を求めよ.

9 不等式x^2 + 2x − 2 < 0 を解け.

10 不等式x^2 + 2x + a ≤ 0 の解が存在するa の範囲を求めよ.

11 関数を定義せよ.(あるいは説明)

12 2 次方程式ax^2 + bx + c = 0 の解を求める.
左辺はax^2 + bx + c = a(x + b/(2a))^2− (b^2 − 4ac)/(4a)より2 次方程式は
a(x + b/(2a))^2= (b^2 − 4ac)/(4a)
ゆえに(x + b/(2a))^2= (b^2 − 4ac)/(4a^2)
b^2 − 4ac ≥ 0 のとき右辺の値は正または0 であるから
x + b/(2a)= (±√(b^2 − 4ac))/(2a)
よってx =(−b ±√(b^2 − 4ac))/(2a).
この手順の省略されているところを詳しく書いてください.

13 y = f(x) のグラフをx 軸方向にp, y 軸方向にq 平行移動した図形の方
程式はy − q = f(x − p) であることを示せ.

14 a, b, c は定数とする.方程式ax^2 + bx + c = 0 を解け.

2000年6月19日月曜日

目の輝き

最近あるBBSに書いた記事から:

公教育のシステムはここ100年ちょっとの歴史しかなく,数千年にわたって教育に携わってきたのは「私塾」だ.歴史の長さから言えば,私塾のほうが先輩.もちろん私塾では貧富や社会階級による教育の差が出てくるために,「公教育」というものが考え出されたのだろう.
しかし私塾が繁盛するということ,それは公教育が機能していないことの証左であり,私塾はいつの時代も公教育の矛盾を突くべく,その隙間を埋める存在として,これからも存在しつづけてほしいものだ.
塾も繁盛しないような社会は,それこそ不安定で「教育どころではない」層が多数を占める社会だと思う.
さらに塾や予備校が受験競争をあおる元凶のようないわれ方をしているが,それは過去のもの.もちろん一部そのような場所もあるのかもしれないが,やっぱり「若者の集まる場所」としての広場になっていて,公教育にはない新たな場になっていると思う.

さて,毎日授業をやってて思うのは,授業内容を理解してくれればうれしいが,そんなことより「生きる力」を学んで欲しいものだ.最終目的は「生徒の幸福な人生」であるべきで,教科指導というものはまずその理念からはいるべき.
そして,あとは教師の工夫というべきか.ところが教師の工夫というものは科学ではなく「職人芸」になっていて,すばらしい教育実践は多数報告されても,結局その人だけのものと勝手に判断して,何も学び取ろうとしない教師のいかに多いことか.

そして,今の教育制度のキーワードの一つは劣等感だろうな.
そう.結局はその制度によって体に染み付いた劣等感をどう払拭してあげるか.学びの楽しさをいかに伝えられるか.
「知らないことを知りたい」というのは人間の本能,今の教育制度はそれを萎縮させる方向にシフトしている.これは進学校などでもいえることで,今の勤務校でも「知の喜び」というより,テストの点ばかりをとにかく気にする生徒がいることからもうかがえる.
他との比較ではない自分の人生をどう切り開いていけるか.
目の輝きををどう取り戻すか.
これは学校現場だけではない,社会全体にいえるのかも知れない.

2000年6月9日金曜日

学校ってめんどうだな

という声をときどき聞く.これはまったく同感のときがある.
自分自身も朝起きるとき,このままごろごろと寝つづけいたいと思うときがある.朝,家を出るときめんどくせぇなと思うときがある.このまま,すべてのしがらみから開放されたら楽だろうかという気持ちが支配するときがある.
この感覚は幼稚園の頃からずっと,いろんな形で自分の心に巣食っている.
この感覚を抑えきれなくなれば,学生なら登校拒否,社会人なら出社拒否,いわゆる「閉じこもり」という現代病なのだと思う.

こ の様な現代病に対して,「贅沢病だ」などと心無いことを言う輩や,「だれでもそう思うときがある,気にするな」と無神経なことを言うやつ,「社会病理だ」 と訳知り顔で言うやつ(俺だ)いろいろいるけれども,結局この苦しみを本当に理解できる人間は,苦しんでいる本人も含めて誰も居ないのかもしれない.

とりあえず現代病といわれる所以は,現代社会はとりあえず閉じこもっても家族が支えれば死ぬことは無く,豊かな社会特有の病だからだろう.
それに対して飢餓状態や貧困が深刻な社会では閉じこもり行為は自分の命に関わる,自給自足の社会などにあって,健康な体で閉じこもっていては,その社会の中で生きていくことは不可能といえる.

だ から贅沢病などともいうのだろうが,それでは当事者の居場所はますますなくなる.私はこの行為は,社会病理かもしれないが,生物としての人間の持つ一つの 多様性なのではないかと思うようになってきた.今は社会はそのような人の存在を「病気」として特殊扱いしているが,実は豊かな社会だからこそ,その程度の 行動の「ゆらぎ」が許されていいのではないかと思う.結局閉じこもりに悩む人の苦悩は社会との関係であって,その関係を遮断するのも一つの生き方,その程 度の生き方をも受け入れられる社会にならないだろうかと思う.
古代より人間は飢餓や貧困と闘い,がんばりつづける歴史を送ってきた.せっかく物質 的に豊かになったのだから,がんばらない生き方も許す社会にならないだろうか.閉じこもりの人の苦悩は,がんばれと励ます社会に応えられい自分に苦悩する こともあるだろう.「がんばるな」と励ます社会の実現は遠いのだろうか.

2000年6月4日日曜日

フェンシング関東大会

金曜日からでかけ,さっき帰ってきた.
個人戦は2人とも1回戦プールを通過したが,エリミナシオン・ディレクト1回戦で敗退.
2日目団体戦は1回戦春日部共栄高校に5-0で勝ち.2回戦東亜学園に1-5で負けた.
2年生チームなのに1回戦勝てて,来年が楽しみ.

2000年6月1日木曜日

昨日は合唱祭

お祭り騒ぎはたのしい!
近いうちにいろいろ書き込みたいが,明日からフェンシングの関東大会で出張.日曜日まで帰ってこないから,しばらくはネットお休み.