2000年1月24日月曜日

今日

友人がガンで亡くなりました.36歳でした.最後まで握る手の力を緩めず,声をかけるとまばたきで返してました.

手の力が抜け,ほどなく臨終の宣告がされました.荘厳でした.

その姿で彼は自分の全てうったえたことを感じ取りました.
それをここに書こうと思いましたが,どう書いても私の陳腐なフィルターを通した,ありきたりな記述になるのでやめます.

2000年1月11日火曜日

今日からしごと

といっても,冬休み中は12月から3年生の講座編成の仕事をしていたのだが,授業は今日から.今の学校始業式はやらないでいきなり授業.
さて,久しぶりに授業をすると,正月ボケではじめはなんとなく乗らない.
でもしゃべっているうちに乗ってきたぜ.

そんで,毎年のことだが,冬休み中は3年の選択科目の講座編成とクラス分けに没頭していた.
作業は12月からはじめて,とりあえず1月5日の段階で全ての講座を矛盾なく編成することができた.つぎにクラス分けに入ろうとしたとたん,この講座編成では1人の生徒がクラスに割り当てられないことが判明してしまった.トホホ
もしかしたら,最初から講座を組みなおさなければならないかもしれず,12月からの作業が水の泡になるかもしれない.あるいは最悪の場合はその一人の生徒の選択科目を変更してもらわなければならない状況も考えられた.ピーンチ!
しかし!クラス分けに関わる講座の系列を大胆に変更することにより,ピンチをしのぐことができた.1ヶ月以上の作業な水泡に帰すことなく,クラス分けの作業に取りかかりはじめた.めでたしめでたし.ふぅ~.

2000年1月10日月曜日

勧誘とのお付き合い

>訳ワカンナイ勧誘によく合うんですが・・とっても困ってます。

まぁ,町を歩いていても自宅にいても,いろいろ出会いますねぇ.そこが「信教の自由,言論の自由,表現の自由」の国,日本のよいところだと思って,適当に付き合って遊んでます.(^^) 困る必要などない.「興味がありません,さようなら」と一言で終わりませんか? 連中は「人の良さ」につけ込むので人の悪さを出せばOK.「困る」のはあなたの人の良さの表れですが,まともに取り合うのは時間の無駄です.

私は街中での勧誘は「一切関知せず」,前を見てまっすぐ歩くのみ.用があって歩くのだから,付き合うひまは私には1秒もない.前に立たれたら一言「失礼」と横を通らせてもらう.勧誘は自由の国,日本の「空気」だと思うことにしています.空気とお話するのは,ピクニックのときだけで充分です.

自宅に物売り,勧誘がきたときは「いま親がいないから…なんにもわかりません」と子供のふりをする(この歳で!).あるいは,「客が来ている」とか「いまから出かける,忙しいんだ」とか.いろいろやるけど,つき合うのは時間の無駄です.

あと,多いのが電話勧誘なんだ.とくに教員は「名簿が買える」から.以前はよくいろいろ遊んでいた.,
「sphere さんですか?」
「はぁ…」
「(マンション,先物,株,墓地,風呂がま,網戸修理,家のリフォーム,布団クリーニング)を買え云々」
1.「先週買ったばかりです.いりません.」(基本)
2.「退職して失業中です.おかねがありません」
3.「ただいま,だんな様は海外旅行中です.」
あと死ぬほど暇なときは,長電話に付き合ってあげて,相手の仕事を妨害するとかやったけど,最近は忙しくて勧誘とわかった瞬間,何もしゃべらず受話器をテーブルにおいて無視することにしている.(勝手にしゃべらせておく,いずれ切れる.切れるまでよくしゃべるぞー)

最近は子供の家庭教師や塾の勧誘が多い.「ショウくんのお父様ですか?」
「いえ,父はだいぶ前に亡くなりましたが」
「(父…?)お母様はいらっしゃいますか?」
「いまは一人暮らしです.」
「(????)中学生のショウくんのお宅ですか?」
「ショウはわたくしですが,中学生ではありません.」
「失礼しました(???????????)」

DMの返信封筒やハガキは,ごみ減量のため,何も書かずにまとめておいて,あとで投函する.つまりごみは出した人に処分してもらう.できれば封筒にはDMの中身のほか関係ないチラシなどパンパンに入れて返送してあげる.そして自宅のごみの減量をはかる.

以前近所にマンションが新築になったとき,しつこい営業マンがいて,本社に直接電話し名指しして「クビにしろ」と,抗議したことがある.

2 April 2001 追記 > 勧誘電話と遊ぼう

2000年1月9日日曜日

宗教と呪術

あるBBSでの質問と答え
「宗教とは教えに従うことですから、『自分で考えることをやめる』ことになってしまいかねませんね。」

それがまさしく呪術,占い,カルトだ.
宗教も権威的になると呪術になるので,マルクスも「宗教はアヘンだ」と断じた.特に為政者が宗教を取り込むときは,必ず宗教を衆愚政策の道具にする.人々が疑問を持つのをやめマインドコントロールに成功すれば政権が安泰だから.政教分離の本質はここにある.

釈迦やキリストは呪術ではない.彼らは普遍的哲学を説き行動した.
釈迦は当時の社会で行われていた呪術を否定し,現実社会に目を向け,科学的に解決をはかることを主張し,行動をとった.

呪術と宗教の違い
1.呪術は中心者の神格化だけが教義.宗教の教義は人間が説いた哲学.
2.呪術は社会否定,社会逃避.宗教は積極的な社会参加.

「信仰=おすがり」と考えていると宗教と呪術の違いがわからないと思う.おすがり信仰は,考えることをやめさせ人間を弱くする.つまり「たなぼた信仰」である.毎年正月に神社で,たなぼた祈り行われている.もともと神道は呪術だから,たなぼた信仰以外のかかわり方しかないわけで,呪術に対する信仰としては正しいあり方であるといえる.
宗教に対する信仰のあり方は「誓願」であると考えるべきである.明日の自分の成長を誓い,そのために最大に努力し,徹底的に思索し,とことん行動する.つまり釈迦やキリストは神ではなく人間である.彫刻になってしまった偉大な人間師匠にあすの成長を誓うのが正しいありかただとおもう.そのためには徹底的な思索が必要.

呪術には教義がもともとないから,信者の疑問点に対して二言目には「とにかく○○を信じなさい」.それに対し,宗教の入り口は間口を広くするために「信」からはいるわけですが,教義は哲学ですから,その哲学を学ぶことにより自ら疑問や悩みを解決する洞察力思考力が湧いてくるわけです.「考えることをやめる」とは対極といえる.

では学問としての哲学と宗教はどうちがうか.どんなに高尚な哲学でもそれを実社会に実現するには組織が必要であり,それが宗教団体.ニーチェ,サルトルの実存主義も一般市民には広まらなかった.明日のパンを必要とする人にとって,それは机上の空論だから.それに対し宗教はパンを必要な人にパンを与える組織力がある.つぎにパンを与えられた人に対し,次は与える側に立てるように人間的境涯を高めていく活動があるわけだ.その活動は単なる道徳心ではなく利他の哲学に立脚し,行われてゆくべき.

2000年1月4日火曜日

2000年問題

原子力発電所,2箇所で2000年問題で機械が止まったんだって.ほれみろ!
人間のやることに100%はないんだよ.東京電力はあれほど「心配ない」とキャンペーンを張っていたが,結局
全部うそ

ということが発覚した.それもよりによって100%安全であるべき「原発」で.
もちろん私は信じていなかったので,「やっぱりな」と思い,
当然のこと

と思った.

原発事故が起きたら早く逃げる方法を考えよう.
私のリンクにあるから見てください.

かずと量

ひさびさ,数学ネタ.

かずは1から数えるもので,量は0から測るものである.

もうすぐ2000年.

20世紀が1901年から2000年の100年間であるが,歴史を習い始めたころ
「めんどうだな,西暦÷100=世紀 なら簡単なのに.」
と思ったことがあった.つまり1900年から1999年は単純に19世紀だと,西暦の上2桁と世紀が一致してわかりやすいだろうにと思ったのである.
もちろん,西暦は1年から数えて,はじめの100年間つまり西暦100年までを1世紀としたから,当然いまのようなカウントになったのである.
では,西暦1年の前年は紀元前何年か?
といわれたら,紀元前1年である.0年は存在しない.

ビルのエレベータの表示で,0階というものは存在しない.
1階の下の階は,地下「1」階である.

これらが「かず」である.しばしば0の発見と対比する人もいるが,そんな大それたことではなく,「かず」というのは1から始まり,0とは「ない」と道義で,0はかずではないのである.「かぞえる」というのは1から始まるものなのである.

昔の年齢計算の「かぞえ」というのはまさに年齢を「かぞえて」いるのであるから,生まれたら1歳.正月で2歳.とかぞえていくわけだ.

それに対し,0から測るのが量である.つまり,時間,分,秒は人間にとってかぞえるものではなく,測るものなのである.
時間の単位の中ではこれだけが量で,あとの世紀,年,月,週,日は人間にとっては「かぞえる」対象なのである.
しかし,「時」を量として0時から測るのは放送局くらいで,「12時」と言ってしまうことが多いということは,これも量ではなく「かず」と認識しているようである.
上2桁を「世紀」にするには0年から始めるとともに,0世紀から始めなくてはならない.そうなると,月日も0月0日からはじめる.1年間とは0月から11月までも12ヶ月間ということになる.
暦の始まりを0世紀の0年0月0日0時0分0秒にすれば,とてもわかりやすいカウントになったのだと思う.

コンピュータのメモリのアドレスも「0から255までの256個」のような数え方をしている.

イギリスでは地上が「地上階」で,その上が1階,地上階の下が地下1階と聞いたことがある(ちがっていたら指摘してほしい).つまり0階が存在している.もし本当ならイギリス人は階数というものはかぞえるものではなく,測るものらしい.

中2階ということばがある.1階と2階の間である.中2階というからには2.5階のような印象をうけそうなものだが,1階と2階の間なのだから1.5階かもしれない.で,そもそも0階から始めるイギリス式なら,0.5階ということになって,まことに自然である.

現代の年齢計算も量といってよい.ところが,妊娠第n週というのが「かず」なのでこんがらかってしまう.

死んだあと,1周忌は量だが,3回忌はかずである.

ほかにもかずと量が混在しているものがあったら,BBSへ書き込んで教えてね.