がんばりやさんほどストレスがたまる.弱みを見せられる理解者がいるだけでだいぶ違う.人は一人では生きていけない.理解者がいるからがんばれる.
弱い自分,わがままな自分,見栄っ張りな自分,ダメな自分.
それに気付くのが第1段階.気付かない人も多いが,気付いて自分を客観視できるというのは「哲学」の入り口.気付くというのは向上への第1歩.
普通それに気付くと,まずそれらを隠そうとする.つっぱる.すると疲れる.
そういう自分を自分なりに認めたり,(ダメな自分もかわいい.)ちょいと周りに人間にさらけ出すのが第2段階.
「おれって普段強そうにしてるけど,ダメ人間なんだ.」
「なんだおんなじじゃん.」
親友や家庭の存在意義はそこにある.さらけ出しながら自分を高めてゆく.そして普通はそんな理解者がいるだけで,生きる活力が沸いてくる.
おれの目標はもっと高いぞ.それは弱い部分のガラス張りで丸見えの自然体,自由人.
ダメな自分をいかにさらけ出すか!!!
かっこいい自分も,ダメな自分も両方とも自分 であることを
自分 を知る人にさらけ出すこと.これこそ自由なる精神への一歩!
2000年2月20日日曜日
2000年2月17日木曜日
2000年2月11日金曜日
2000年2月8日火曜日
好き嫌い
味に鈍感である.味覚の鈍感さに関して妻にも文句を言われる.
というのも妻は料理が趣味で料理好き.ところが腕によりをかけて手の込んだ料理を 作っても,コンビニの惣菜を並べられても私にとってはおなじなんです.何を作っても「うまいうまい」しかいわないから妻は作り甲斐がないという.「何を食 べてもうまいんだ」といったら1週間毎食納豆と冷奴にされたことがあったが,ぜんぜん平気で妻が根負けした.だってうまいじゃん.
よくひどい料理に対して「うーまずい」とコメントする人がいるけど,ぜんぜんわからない.「へーそうかーこれがまずいという味なのかー・・・うまいなぁ」となってしまう.
世の中にまずいものがまったくないし「食」に関して執着がまったくない.
さらに,妻がいなければ面倒だから基本的に腹が減っても食事をとらない.餓死しない程度に時々食べる.自分で自分のえさを用意するときは飯を炊いて醤油だけをかけて食う.それで十分.だって何食べてもうまいんだもん.
あ,しいたけが多少苦手だけど,食えないわけではない.
というのも妻は料理が趣味で料理好き.ところが腕によりをかけて手の込んだ料理を 作っても,コンビニの惣菜を並べられても私にとってはおなじなんです.何を作っても「うまいうまい」しかいわないから妻は作り甲斐がないという.「何を食 べてもうまいんだ」といったら1週間毎食納豆と冷奴にされたことがあったが,ぜんぜん平気で妻が根負けした.だってうまいじゃん.
よくひどい料理に対して「うーまずい」とコメントする人がいるけど,ぜんぜんわからない.「へーそうかーこれがまずいという味なのかー・・・うまいなぁ」となってしまう.
世の中にまずいものがまったくないし「食」に関して執着がまったくない.
さらに,妻がいなければ面倒だから基本的に腹が減っても食事をとらない.餓死しない程度に時々食べる.自分で自分のえさを用意するときは飯を炊いて醤油だけをかけて食う.それで十分.だって何食べてもうまいんだもん.
あ,しいたけが多少苦手だけど,食えないわけではない.
2000年2月6日日曜日
2000年2月4日金曜日
幽霊?
幽霊を信じるかといわれれば申し訳ないけど信じない.
でも「幽霊を見た」というひとがうそをついているとは思わないし,それは事実だと思う.
幽霊を信じる人がいくら力説しても信じない人は信じないし,信じない人がいくら力説しても,「私には見える」と信じる人は信じる.これって何かの論争に似ていると思いませんか?そういわゆる「宗教論争」というやつです.(ぅわー)
科学で説明できないものは信じないのか?といわれればそんなことはなく,まだまだ科学は未熟だから,現代の科学で説明の出来ないことはいくらでもあると思う.数学でもポアンカレ予想はまだ解決していないし.
まぁ,私にとって,幽霊はいようがいまいが,それは「無害」で,興味が湧かない.生きている人間しか興味ないから.仮に幽霊を見たとして幽霊が何をするのだろう.怖いことはありませんね.
目に見えないことに畏敬の念を忘れてはならないと思いますが,それにとらわれ怖れるのは,呪術そのものだと思う.
つまりいわゆる「宗教論争」にしかならない宗教は,呪術の域を脱していないと思うのだが.きちっと「哲学」を論じ合うことのできる宗教が,宗教のあるべき姿であると思う.
でも「幽霊を見た」というひとがうそをついているとは思わないし,それは事実だと思う.
幽霊を信じる人がいくら力説しても信じない人は信じないし,信じない人がいくら力説しても,「私には見える」と信じる人は信じる.これって何かの論争に似ていると思いませんか?そういわゆる「宗教論争」というやつです.(ぅわー)
科学で説明できないものは信じないのか?といわれればそんなことはなく,まだまだ科学は未熟だから,現代の科学で説明の出来ないことはいくらでもあると思う.数学でもポアンカレ予想はまだ解決していないし.
まぁ,私にとって,幽霊はいようがいまいが,それは「無害」で,興味が湧かない.生きている人間しか興味ないから.仮に幽霊を見たとして幽霊が何をするのだろう.怖いことはありませんね.
目に見えないことに畏敬の念を忘れてはならないと思いますが,それにとらわれ怖れるのは,呪術そのものだと思う.
つまりいわゆる「宗教論争」にしかならない宗教は,呪術の域を脱していないと思うのだが.きちっと「哲学」を論じ合うことのできる宗教が,宗教のあるべき姿であると思う.